動き出したシナリオ
文化祭準備期間もいよいよ大詰めになった、とある放課後。
私は観月先輩のお使いで、柔剣道場へと向かっていた。
人気の無い裏庭を通り過ぎれば、聞こえて来たのは普段あまりなじみの無い、威勢の良い掛け声。
「せいやっ」「はっ!」「ふんっ」
声の合間に、ぱしんぱしんと乾いた様な、それでも重い音がするって事は、剣道部と柔道部の両方が活動中という事なんだろう。
文化祭準備期間中とはいえ、部活が完全に休みになる訳では無い。
もちろん準備の方が優先されるのは当たり前だけど、時間がある時はこうやって集まって練習する事もあるのだ。
で、何で私がここに来たかって言うと……。
「ごめん下さーい、椿先輩いますかー?」
荷物を抱えたまま、少しだけ開けた扉の隙間から人を呼ぶ。
今日の椿先輩の出向先が柔道部だったからだ。
「ええっと、椿に用?」
「あ、はい、1年の央川と言います。観月先輩から差し入れを持って行くように頼まれt」
「マジ!?おーい、観月からの差し入れ来たぞー!!」
私の話は最後まで言い終える事は無く、事情を察した先輩の雄叫びに、「マジ!?」とか、「よっしゃあ、これで勝る!」とか、「早い者勝ち」がどうとか、とにかく止める間も無くガタイの良いお兄さん達がわらわらと寄って来てしまって、あれよあれよと取り囲まれる羽目になってしまった。
私がその肉壁に圧倒されていると、その壁の向こうから聞き覚えのある声がした。
「央川か」
待つ事も無く、椿先輩本人が肉壁を割る様に顔を見せてくれて、少しホッとする。
いや、この圧迫感というか圧倒される感覚は、慣れない人間にしてみたらやっぱ落ち着かないよ?
「あ、どうもお疲れ様です。これ、観月先輩から皆さんで食べて下さいと」
「そうか、ご苦労だったな」
「おーい、皆、きゅうけーい!!」
さっき声を掛けてくれた先輩が休憩の宣言をすると、集まった肉壁は歓声を上げて散って行った。
いつの間にやら持って来たお菓子入りのバスケットは、神輿か何かの様に部員達の間で担ぎ上げられ、回されている様だ。
あれ?いつの間にか剣道部員さん達もちゃっかり混ざってるみたい。……足りんのかな?
「いやあ、椿も隅に置けないねえ。何お前、モテ期?」
脱色した髪がインパクトある上級生に絡まれて、逃げ腰の椿先輩。
見た目ゴツいし普段黙ってる時多いし、そうじゃ無くても眼光鋭いせいか人のそばに近寄らないし近寄らせない……ってイメージがあるから、こういうの新鮮かも。
で、何、モテ期って。
「央川は…後輩だ」
「またまたぁ、強がっちゃって~。で、どっちが本命なの」
逃がさんとばかりにヘッドロックを掛けた先輩の腕を外し、反論しようとしたみたいだった椿先輩の後ろから、高貴なソプラノが響いた。
「三十郎さん?ご用は終わりましたの?」
あ、……この人。
「……七星」
長い髪を後ろに流し、お嬢様然とした態度で椿先輩の下にそっと寄り添ったのは、校章などから判断するに3年の女子の先輩。
見覚えがあったのは、先日私が外出先で目撃した椿先輩とにこやかに談笑するお嬢様の姿と一致したからか。
それは確か、友美が空条先輩と出かけた修学旅行前最後の休日。
1人で近所の本屋に行った帰り、偶然椿先輩を目撃した。
駅前の賑やかな通りで“それ”を見たのは、運が良かったのか悪かったのか。
椿先輩、と声をかけようとして、隣に立つ綺麗な女性に目を奪われる。
まるで何かのスチルの様なその光景。……隣に立つのが“友美”じゃないのっていうのに、あまりにそれは違和感が無くて。
女性はにこやかに椿先輩と話していた。
椿先輩は―――まあ、どこか戸惑った様な雰囲気だったけど、女性絡みの椿先輩なら割とデフォだしなあ…。いまだに私や友美にさえ慣れない、って時あるし。
逆に言えば、それでも会話を続行する位には好意を抱いてるって事なのかもしれない。
結局邪魔するのも悪いかと思って、その時は声をかけずにそのまま帰る事にしたんだっけ。
「……あら、貴女は?」
「1年の央川櫻です。いつも椿先輩にはお世話になっていて」
ぺこりと頭を下げると、ころころと笑いながら挨拶を返してくれた。
「3年の七星沙織よ。三十朗さんとは幼馴染なの。少し前まではあまり話す事も無かったのだけど、最近になって再会して…。空条明日葉さんて知ってるかしら?彼とその人と私の3人で、小さい頃はよく遊んでいたのよね」
そう言って椿先輩に向かって小首を傾げる。
一方私は、そのセリフに瞬間的に思い浮かぶ設定があった。
じゃあ、この人が―――――――――
問題のこの人が同じ学園の3年だと知ったのは、あの目撃した日から割とすぐ後の事。
あの日以後この女子の先輩は、椿先輩、観月先輩、空条先輩と行動を共にする様になっていた。
例の修学旅行でも、友美が空条先輩宛に電話を掛けた先で先輩達の背後から聞こえてきた、3人を親しげに呼ぶ女性の声。
……なんとなく、あれはこの人じゃないかという気がして来た。
ならば私は、この人の事を注意して見なければならない。
そうじゃなくても、あの3先輩相手に友美差し置いて逆ハーもどき状態とかちょっとどうかと思うし。おにょれ。
注目度の高い先輩達の事、特に同性、つまり全学年の女子の大半は現在、注目しつつも静観状態にある。
だから、今さら私一人が注視していても問題無いだろう。
ちなみに静観する理由は、3年でも有名な才女で悪い人じゃないらしいから、との事。うーむ……。
其の事も踏まえ、私は即座に椿先輩から離れる事に決めた。
言われてみれば、何となく見覚えがある様な気もする。
彼女はきっと――――――
そこまで考えて息を吐く。
――――――なんだ、ただのイベントか。
その溜め息は、安堵というよりは―――
「それで?貴女の様な可愛らしいお嬢さんが、こんなむさ苦しい所に何の御用かしら?」
隣にいた上級生(多分部長さんかな?)がひでえとかぼやいていたけど、割とスルーされた様だ。
「あ、観月先輩に頼まれて柔道部に差し入れを持って来ただけなんです、すぐにお暇しますから」
「央川?」
早口になったかもしれない。
でもとにかく、今かち合うのは問題だから。
とっとと退散する事にした。
女子の先輩―――七星さんは「まあ、観月先輩が態々わたくしに……?」なんて頬に手を当てうっとりしてるけど、それは無いんじゃないかなー?
むしろ、甘い物苦手な椿先輩に対する当て付けかと。
お菓子の出所に気を取られて私の事気にしないって言うなら、それはそれで問題無いから放置の方向で。
私という存在がばれるのも問題だが、私から空条先輩と親しくしている友美の存在が発覚するのはもっとマズイ。
けど彼女が、今現在の様な寛容な態度のままだというのなら、それもやっぱり放置で良い。
椿先輩と七星先輩の関係が良好な(そう見える)今が、距離を置くなら一番良いタイミングなのだろう。好感度的にも時機的にも。
友美自身についても、椿先輩とは先輩後輩として懐いてる様だけど、空条先輩と居る時とのあの絶対的な温度差、ベクトルの差は、端から見てもはっきり分かるまでになった。
……となると、1つ違和感があるのは、“何故、空条先輩のそば、じゃなくて椿先輩のそばにこの人がいるのか”……って事なんだけど……。
――――――それも都合が良いからスルーの方向で。
…………とりあえず、椿先輩とはここまでかな。
「私はこれで失礼します。忙しい所、お邪魔して済みませんでした。じゃあ」
睨まれない内にと、さささっと挨拶して道場を出る。
イベント的にも中座した形だ。
本来は、椿先輩が例のあの人と仲良く話してて、その様子を見ているヒロインが、彼女なのかなとか、好きなのかなとか、悶々とするイベントだった。
そこまで考えて、出て来たばかりの道場を振り返り、ふう、と1つ息を吐く。
……これって、いわば強くてニューゲームの弊害かなあ?
先輩の行動がゲーム通りなのは私にとって都合が良い筈なのに、イベントだと気付いた途端、何故だか物凄く味気ない物に感じてしまった。
……何か、つまんないな。
「央川?」
「あれ、白樹君。今帰り?」
「央川こそ」
昇降口で白樹君とばったり出会った。
「お互い忙しいね」
「そうだな。央川もお疲れ」
何とは無しに靴を履き換えながら、お互い居残りの理由報告をする。
「篠原いないって珍しいけど、何かあったのか?」
「空条先輩に拉致られたんだよ。ついでに観月先輩も一緒。お仕事関係みたい。で、その観月先輩に頼まれたというか、自分で行くって申告したって言うか、椿先輩にお届物があったから今さっきまで居残ってた。白樹君は?」
「俺は大道具制作に駆り出されてた。…っていうか、央川知ってるだろ?」
「え、今までかかってたの?うわー、乙でーす」
「心に誠意がこもってないんだけど?央川」
軽口を叩く。
「後ちょっとだからさ、皆頑張ってるんだぜ」
「知ってるってば。私だってここに来る前は、その修羅場の中にいたんだから」
でもさ、でも……。
少しだけ、考えてしまう。
―――それは、“そういうシナリオだから”だとしたら―――?
「央川?どうしたんだ?…もしかして疲れちゃったとか?」
あれ?今、私、どんな表情してた―――?
うっかりしてた、うわ、ホントに疲れてんのかな?
何気ない風を装って、「何でも無いよ」と(エセ)スマイルを浮かべる。
椿先輩のイベントを回避してから胸に巣食ってた、どうしようも無い空虚感。
どう、説明したもんかなー……。
考え込みかけた、その時。
「央川!!」
呼ばれて振り向いた先には、息を切らせて走って来る椿先輩の姿があった。
え?
そばまで走って来た先輩の息は切れていて、あの椿先輩が本気で走って来たんだと分かる。
あれ?個人イベント回避したんじゃなかったっけ?割と、たった今。
「央川、その、すまん」
「……え?」
「さっき、様子、おかしかっただろう?」
まだ息が整ってない先輩が、切れぎれにそう言う。……心配、してくれたのかな?
「だから、その、悪かった」
「あー、えと、先輩が悪い訳じゃないですよ、…多分。私も態度悪かったと思いますし?」
よく考えてみたら、来てすぐ帰るって愛想無いにも程があるよね。
……それで、気にしてくれたのかな…?
「俺も、相手出来なくて悪かった。……他に気を取られていたんだ。まだまだ修行が足りんな」
浮かべた苦笑に惹かれる。
鼓動が1つ、跳ねた気がした。
――――――これは、本来のイベントには無い展開だ。
まさか、本気で『私を気にして』追いかけて来るとは思わなかった。
嬉しくて、予想外で、思わず満面の笑みを浮かべる。
時間的にも薄暗くなったこの世界が、輝いている様な気さえしたかもしれない。
「気にしないで下さい。……というか、それじゃ私が拗ねてたみたいじゃないですか。……単に邪魔かと思っただけです」
「邪魔じゃ無い。……よければまた顔を出してくれると、あいつらも、喜ぶ」
「……時間があれば」
それはつまり、応援に行けば先輩も喜ぶって事で。
…………考えます、なんてこの状況で言える訳なかった。
「それじゃ、もう帰るので」
「ああ、もうこんな時間か」
昇降口から外を見ると、どんどん暗くなって来てるみたいだった。
この時期は日が落ちるの早いね。
「少し待て、送る」
え?
「暗くなったら危ないだろう」
おお!?
踵を返しかけた先輩に、私の後ろから大きな声がかかった。
「央川なら、俺が送って行きますから大丈夫ですよ!」
……白樹君がこんな風に大きな声出すなんて珍しいかも……。
またまた起こった予想外の事態に、頭がついて行けてなくて若干混乱する。
確かに白樹君はハキハキしていて皆のまとめ役だから、声かけたりするのに大きな声で叫んだりする事もあったけど、こんな風に……何だろう、えー、違和感?
まあ、声かけたの自体は善意だと思うんだけど……。
「白樹か……。すまん、気が急いていて気付かなかった」
「じゃないかな、とは思ってました」
珍しいですね、と言う白樹君の表情は、どう捉えていいのか分らなくなる様な、曖昧な笑み。
「そうだな、……央川、白樹と帰れ。その方が早いだろう。白樹、頼む」
「はい」
……あれ?本人の意思は?選択は?…………まあ、いいけど。
「ゴメンね、遠回りだよね」
一応、申し訳なさそうにしてみる。
「いいって、女の子1人で帰す方が問題だろ?」
逢魔ヶ時、黄昏。薄暗い中で、白樹君の表情はいつも以上に分かりにくい。
でも本人はそんなの関係無く微妙に答えにくい質問をぶつけて来た。
「そんなに追いかけて来てくれたの嬉しかった?」
「え?」
「さっきまで落ち込んでる風だったのに、椿先輩来てから急に元気になるからさ」
そんなに、分かりやすかったかなあ……?
「正直予想外だった、かな」
内容はともかく、隠す事でも無かったので正直な所を答える。
それだけ気にかけてくれたって事なんだろう。
好感度が上がっていたからこそ、であろう事は気がかりではあったけれど、それでも嬉しいのは隠せない。
定められた筋書きを変えて、そこから派生する出来事が私を惹き付けて止まない。
予定されたイベントと、思いも出かけない出来事。
ちりばめられた予定調和が変化して行く毎に、わくわくさせられる気持ちを抑えられない。
たまには失敗もあるけれど。うん、おおむね成功してればいいんだ!(開き直り)
“椿先輩が私の為に”なんて、頭の痛い女子みたいな感想を抱いていたのも要因かもしれないけど、
きっとこのゲームは上手く行く。
そう、理由も無く浮かれる。
「今、物凄く楽しいよ」
弧を描く口元を隠しもせず、私は白樹君にそう言った。
定例会であの女の人―――七星先輩の話題が出る事は終ぞ無かった。
どうやら、この件に関する話題はタブーらしい。
いつの間にかな暗黙の了解というか。
噂に強くて、こういう時には真っ先にからかうであろう某愉快犯ですら沈黙を保っている。
……無視、してるって事だろう。
周囲では、3先輩の内誰が彼女の本命なのか探っている様な状況だ。
とはいえ、まだ1年の私達の間ではそれほど大きな話題となっている訳じゃないけれど。
誰と一緒にいてもお似合いだとかで、今の所反感は買っていないようだ。
“アレ”が、どうして“アレ”になっちゃうかなー?
あの七星先輩の動向については今後もきっちり注意しつつ、個人イベントも盛り上がって来た事だし、これは文化祭に期待するしかないね!
よーし、気合い入れて回るぞー!!
最後の2択は、よくある好感度1位と2位による選択イベントでした。選、択……?
あれです、1人が声かけたと思ったら後ろから本命が!みたいな。
基本的に、選択しなかった方の好感度が下がる仕様。
言うまでも無いですが、本来なら嫉妬がらみです。




