空巣
確かめなければならない事がある。遼一は中野区に向かった。
遼一は東中野駅を出て、プリペイド携帯に残っていた座標を確認する。
遼一は小奇麗なアパートの前にやって来る。白いミニバンがなくなっている。もしかしたら、あの車はレンタカーだったのかもしれない。
各部屋の表札を確認していくが、部屋番号を見たところで何も分かりはしなかった。
アパートは全室が埋まっていて、目当てである住人を探し当てるのは骨が折れそうだ。
遼一は暗い夜道で目を凝らして何かを探し始める。そして、それを拾うと、また何かを探し始める。この作業を何回も繰り返した。豆粒ほどの大きさのそれは全て同じ物のようで、遼一の左手はそれで満たされている。
アパートのベランダ側の路地に回ると、部屋の窓が見えるぎりぎりの所まで下がった。そして、左手を満たしている物の一つを明かりが点いている部屋の窓に目掛けて放り投げる。
それは窓に当たると小さな音を立てる。遼一は小石を集めていたようだ。それを何回か繰り返すと、部屋の住人が不機嫌そうに顔を出した。あの部屋ではない。遼一は今度は隣の部屋の窓に目掛けて小石を放り投げていく。
四つある部屋の内、三つの部屋には遼一の探している人物はいなかった。遼一が見た若者ではなく、その仲間が顔を出す事も考えられる。しかし、部屋から顔を出した三人の中年があの若者の仲間だとは考えにくい。彼らは単身赴任をしている地方在住のサラリーマンといったところだろう。残ったのは明かりが点いていない一階の部屋と二回の四部屋だ。
今手元にある物だけでは心もとない。遼一はプリペイド携帯で最寄のホームセンターを検索する。
無人レジの普及と防犯カメラの高性能化に伴い、多くの小売店が二十四時間営業となった。
コンビニエンスストア以外で最初に二十四時間営業に移行した小売店はホームセンターだった。当初、レジの無人化による雇用削減は就労者の働く場所を奪うとして大きな非難を浴びたが、パンドラの箱と考えられていた小売店の無人化は日本社会に幾つかの利益をもたらした。
中国のバブル崩壊は世界経済を混乱を陥れる。そして、最も損害を被ったのは他でもない日本だった。二十年代後半には世界各国で中国人労働者が溢れたのだが、その中で群を抜いていたのが日本である。当時の日本は少子高齢化が加速し、労働力人口の不足が問題となっていた。それを解消するための政策として移民受け入れが模索されていたが、そのための法整備は滞っていた。しかし、中国のバブル崩壊と共に中国人労働者が日本国内に溢れてしまい、日本が移民を受け入れる体制をとる前に外国人労働者の数が増加していた。勿論、彼らは不法入国者であるが、入国管理局が日に日に増えていく彼らを取り締まるのは困難を極めた。そして、増え続ける不法滞在者の後を追う形で、移民受け入れ政策が確立されていった。
日本が公式に移民を受け入れるようになってからは人手が不足していた介護業界が外国人労働者の雇用を進めるが、数年もすると基本的な日本語なら流暢に話せるようになった彼らは販売色に転職していった。再び介護業界は人手不足に陥るが、予てより開発が進められていた介護ロボットの導入によって大事には至らなかった。しかし、販売職に外国人労働者が増えた事で、日本のサービス業界におけるホスピタリティの精神が失われてしまった、とマスコミが取り沙汰した。
その後、介護職員のロボット化は成功を収め、他の職種にも高性能ロボットの導入が検討される。その候補として挙がったのが販売職である。それに異を唱えたのは、外国人労働者の保護団体『Promote Accepting Immigration』、通称PAIである。元々は移民受け入れを推進する団体だったが、国内に中国からの移民が溢れてからは外国人労働者を保護する団体に姿を変えた。彼らの主張は小売業へのロボット導入が外国人労働者の雇用の場を奪うというものだった。しかし、外国人労働者に対する世間の目は冷たく、移民保護論に同意する者は少なかった。
ホームセンターに高性能レジスターが導入されると、PAIが懸念していた事が現実となる。しかし、外国人労働者の接客の悪さが評判になっていたので、世論は小売店の無人化を支持する事となった。
当初は無人店舗における防犯が危惧されたが、高性能防犯カメラの躍進によって犯罪件数は寧ろ減少した。事実かどうかは定かではないが、多くの万引きが外国人店員によるものだったとも言われている。そして、チェーン展開する小売店のほとんどが二十四時間営業に移行し、それは市街地の治安維持にも貢献した。
無人店舗の普及は人件費の削減をもたらし、多くの企業が営業利益を増加させる事となる。その結果、セルフレジ方式は世界に波及し、レジスターと防犯カメラの市場は大きな成長を遂げた。
遼一は地味な作業着姿でアパートの付近に戻ってくると双眼鏡でアパートの部屋を確認した。さっきは暗かった一階の部屋の一つが明かるくなっている。遼一は小石を握る。だが、部屋の窓に狙いを定めていると、そこに中年女性が佇んでいるのが見えた。この部屋ではない。
遼一は双眼鏡をアパートの二階に向けた。双眼鏡のレンズから中の様子を伺うが、カーテンが邪魔で住人の姿を確認する事はできなかった。遼一は小石を掴み、それをアパート二階の窓に目掛けて放り投げていった。
距離があったので一階の時よりも時間がかかってしまったが、二つの部屋の住人を確認する事ができた。一人は中年男性で、もう一人は三十歳前後の女性だった。彼らも犯人達と関係があるとは思えない。残りは二部屋だ。その内の一つは部屋の中が暗いので外出中なのだろう。しかし、もう一つの部屋が少し奇妙だった。部屋の中が明るいのにも関わらず、どんなに窓に小石をぶつけても中の住人が反応する事はなかったのだ。痺れを切らして強めに小石をぶつけてしまっても、それは変わらなかった。住人が部屋の電気を消し忘れて外出してしまったとも考えられるが、部屋の中で何かが動いているように見えるのだ。TVのホログラム映像とも考えられるが、ホログラムの光というよりは人影が動いているように見える。
遼一は手提げからロープを取り出した。その先にはフックが固定されている。遼一がここに来る途中で作った物である。ロープに取り付けた四つのフックはホームセンターで購入したコートフックを代用した物である。
遼一はアパートの脇に行くと人通りがない事を確認して目出し帽を被った。最初はサングラスもかけるつもりだったが、夜道でかけてみたら見通しが悪くて使い物にならなかった。
遼一はロープのフックが付いている方を明かりが点いていない部屋のベランダに向かって放り投げた。そこは角部屋なので、上手くやれば他の住人には気付かれないはずだ。フックが何かに当たる音がすると、遼一はロープを引っ張った。ある程度まで引っ張ると、そこからロープが動かなくなる。上手く引っ掛かったようだ。遼一はすぐにアパート二階に登っていった。
遼一は辺りをベランダに潜り込むと、そこから辺りを見渡して誰にも見られていないか確かめた。
まだ大丈夫だ。遼一は身をかがめて部屋の中を覗き込むが、部屋の中は暗いので何も分からなかった。遼一は枠で区切られた窓ガラスの一つにガムテープを貼りめぐらせていく。一枚のガラスがガムテープで覆われると、遼一は小型ハンマーを取り出した。そして、それをタオルで包んでガムテープが貼りめぐらされたガラスに叩きつける。鈍い音がするが、隣室の住人に聞こえるほどの大きさではない。
遼一はガラスが割れたかどうか確認するがよく分からない。強く押してみるが、ガラスはびくともしなかった。遼一はハンマーからタオルを取ると、今度は剥き出しのハンマーをそこに叩きつけた。
叩きつけられたハンマーがガムテープの中に食い込む。窓が割れたようだ。大きな音がでないか心配だったが、一回目の時よりも寧ろ音は小さかった。
ガムテープを剥がすと、窓ガラスに拳ほどの大きさの穴が空いていた。これぐらいの大きさなら、ここから腕を入れて中から鍵を開けられそうだ。しかし、腕を切ってしまうかもしれないので念を入れる事にする。遼一はひびの入った部分を取り除いて穴の大きさを広げ、割れたガラスの断面にガムテープを貼った。これで大丈夫なはずだ。
遼一は窓の鍵を開けて部屋の中に侵入した。しかし、すぐにこの部屋の住人が事件とは無関係である事が分かる。そこは女性の部屋だったのだ。
部屋を物色して女の素性が分かる物を探すが、特に怪しい物はなかった。テーブルの上をライトで照らすと、そこには写真立てが置いてあった。三十半ばの四人の女性が写っている。この中のどれかがこの部屋の住人なのだろう。少しすると、違う写真に切り替わる。写真が六回替わると、最初の写真に戻ってしまった。写真立てに写し出された6枚の写真の全てに写っていた人物がこの部屋の住民だと思われる。そして、どの写真にも遼一が見た若者の姿は写っていなかった。この部屋の住人は関係ないと考えて良いだろう。
残ったのは明かりが点いているのに反応がなかった部屋だけになった。そこに犯行グループの一人がいる。遼一が確認した住人の中に関係者がいた可能性はあるが、いずれにせよ全ての部屋の住人を確認しなければならない。幸いなことに、残ったのはこの部屋の隣の部屋だ。ベランダを伝えば簡単に行く事ができる。
遼一はベランダに出る。そして、手すりに足をかけ、屋根の端を手で掴んで隣のベランダに侵入した。
カーテンが僅かに開いていて、窓に近づけば中の様子が分かった。
部屋の隅に誰かが座っている。あの顔は忘れもしない。真実を拉致した男だ。死んでいるのだろうか、目を見開いたまま固まっている。
遼一はその男を注意深く観察する。目立った外傷はない。よく見ると身体が僅かに動いているのが分かった。奴は生きている。しかし、様子が可笑しい。一点を見つめたまま微動だにしないのだ。意識を失っているとも考えられるが、稀に瞬きをしているのでそれは違う。
窓の鍵が開いている。目の前に真実を自殺に追い込んだ張本人がいるのだ。遼一は迷う事なく窓を開けて中に入っていった。




