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ドッペルゲンガー  作者: ドM伯爵
第一章 事の発端
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自責の念

 ダイニングテーブルで俯きながら娘の帰宅を待っている男がいる。彼は都内の小さな出版社に勤務している神田雄介というライターである。妻の沙良とは娘の真実がまだ幼い頃に交通事故で死別し、現在は千葉県で真実と二人で暮らしている。雄介は真実を男手一つで育て上げたと自負しているが、真実が母親の分の家事までこなして父親を支えてきたのが本当の所である。それは、父親である雄介も自覚していた。特別な事などしてあげられていない事は重々承知している。だが、娘が立派に育ったのは自分の存在が大きい、そんな風に思い込みたいのが父親というものなのだ。

 その自慢の娘が三日前に家を出てから帰ってきていない。年頃なのだからこんな事もあるだろうと昨日までは考えていた。しかし、沙良に先立たれてから、一度もこれといった迷惑のかからなかった自分の娘に限って何の連絡もせずに外泊するという事はありえるのだろうか。考え込む程に自分の浅はかだった考えに後悔し、もっと早く、警察に届けるべきだった、そう考えずにはいられない。真実が帰ってこない事に不安を感じてからどのくらい経ったのだろう。真実の安否が気がかりな雄介にとって、時間の経過は大した事のないように思える。だが、時計の針が進む程に真実の身に何かあったんじゃないかと考える時間が増えるのも事実だった。


「山梨県警の郷田と言う者です。神田真実さんのお父様の携帯で宜しいしょうか」


 静まり返ったリビングで沈黙を破ったのは、雄介の携帯端末のスピーカーだった。そこから流れる音声は、少し聞き取り難く、雨音の様な音が混じっている。県警という言葉に心拍数の上がる雄介だが、真実の名を聞くと虚ろだった目を見開き、スピーカーから流れる音声に耳を傾ける。


「真実さんの事でお話したい事があります。至急、こちらまでお越しいただけますか」


 郷田と名乗る男が用件を言い終えるのと同時に、カッパを身に纏った男が映し出されているタッチパネルを二回タップし返答する。


「娘に何かあったんですか」


「詳しい事はこちらでお話します。こちらの位置情報を送りますので、そこに来てください。私は派出所にいますので」


 雄介の携帯端末の映像は衛星写真に切り換り、雄介のマンションから郷田がいるという派出所までの経路が映し出される。雄介は、映し出された経路の確認もせずに身支度を始める。この時、自宅のマンションからは程遠い、山梨県警の人間から連絡が来た事に多少の違和感を感じたが、それよりも、真実が見つかった事に安堵し、大して気に留める事はなかった。



 真実を迎えに行く道中で、雄介は真実が最後に家を出た日の事を思い返していた。

 真実は雄介に対して何かを語りかけているが、雄介にはそれが聞こえていない。雄介は自身が担当する科学情報誌の編集に追われ、余裕のない生活を送っていたからだ。思い返せば、何日もそんな状況が続いていた。そんな雄介に気を遣ってか、真実はキッチンに掛けてあるデジタルコルクボードに、いつもメモを書き残して家を出ていた。

―今日はサークルの集まりがあるから遅くなると思う―

―夕飯は昨日の残りが一人分余っているからそれを食べて―

 雄介は、真実が産まれるまで、沙良と共働きの生活を送っていた。キッチンに掛けてあるコルクボードは、お互いに仕事が忙しい時、すれ違いが多くてもコミュケーションが取れるようにと沙良が買ってきた物だ。当時の沙良も、今の真実と同じような事を書き残していたと思う。真実がいつからコルクボードを使うようになったのかは覚えていないが、雄介に言われて始めたわけではない事は確かだ。雄介は真実が、全てにおいて、自分よりもしっかり者の妻に似ている事に安心しきっていた。真実が何の連絡もなく帰宅しなかった事に、特に何も思わなかったのはそのためだ。

 雄介は様々な思いと共に車を走らせ、真実と再会する事を心待ちにしていた。しかし、この期待はすぐに裏切られる。




「神田さん、大丈夫ですか。聞こえてますか」


 雨の中、雄介の耳元で郷田が叫んでいる。雄介にはそれまでの記憶が無い。手には沙良の指輪が握られている。沙良と結婚する前、婚約指輪が準備できずに、形だけでもと買った安物の指輪だ。お金を貯めて正式な婚約指輪を贈った後、沙良の化粧箱にしまわれていた。そして、沙良の死後、真実がお守りとしてネックレスにして身に着けていた。それがなぜここに。


「検出した指紋を照合させたのですが、この遺体は神田真実さんに間違いないそうです」


 郷田が雨音に声がかき消されない様に大声をあげている。郷田の言っている事の意味が分からない。そして、自分の視線のすぐ下には何年も前に死別したはずの沙良が全裸で横たわっていた。しかし、それは見間違いである。実際は、目の前に横たわっているのは衣服を身に纏っていない真実だった。


「その指輪に見覚えはありますか。遺体の手元に落ちていたのですが」


 その後も郷田が何かを話していたが、雄介の耳には届いていなかった。



 また記憶が飛んでいる。気が付いたら自宅のマンションのリビングにいた。どうやって山梨から帰ってきたのだろうか。そもそも今までの出来事は夢だったのではないか。キッチンに掛けられたコルクボードには娘の書いたメモがまだ残っている。このメモを見ると、真実がまた帰ってくるような気がした。しかし、自分の手に握られている指輪が、それは夢ではない事を物語っていた。


「俺のせいだ」


 雄介には真実に対する甘えが、この様な結果を招いたと思えてならない。リニアレールの開発が進み、首都圏以外からの都心へのアクセスが容易になり、関東郊外に住む学生でも、そのほとんどが実家から都内の学校に通っているのが今の日本の現状である。それでも、雄介の自宅マンションから真実の学校までは、通学に一時間以上かかっていた。そこまで生活に支障をきたす程の時間とは言えないが、大学のサークル活動等があると、真実の帰宅が二十時を過ぎる事は珍しくなかった。当然、雄介は年頃の娘の事を心配していた。しかし、雄介が帰りが遅い時の真実を駅まで迎えに行く事は一度もなかった。しっかり者の真実なら大丈夫だろうと高をくくっていたのだ。そんな雄介に対して、真実が不満を漏らす事は一度も無かった。雄介は聞き分けの良い娘に甘えていたのだ。

 あれから何日が経っているのか分からない。何度か会社から連絡が入っていた様だが、雄介の耳には届かない。




「神田雄介さんの携帯端末で宜しいでしょうか。山梨県警の者です。娘さんの事件についてお話があります。一度、山梨県警本部までご足労いただけませんか」


 雄介は事件という言葉に引っかかる。真実が裸で山の中に倒れていたのだ。事件性があるに決まっている。何で今までそんな簡単な事に気が付かなかったのだろう。そう考えてからは、雄介の自責の念は犯人に対する怨みに変化していった。

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