隠し味
雄介の目の前のテーブルには簡易メモパッドが置かれている。
―インスタント食品を適当に食べてください―
―合鍵がまだなので今日は外出せずに大人しくしていてください―
すぐ横にはインスタント食品が山積みになっている籠がある。その籠は埃が被っていて少し汚い。おそらく、普段はどこかに収納されているのを、雄介のために引っ張り出してきたのだろう。その中にはパスタ系のインスタント食品が多くあり、同じメーカーのソースが異なる物が揃えられている。彼女は普段からこんな物ばかり食べているのだろうか。昨日の様子だと、興味を引かれる物事があると、とりつかれたように没頭するようなので、料理をする暇がないのかもしれない。
カウンターに置かれている電機ケトルに水を注ぎ、即席パスタの封を開け始める。ソースはミートソースだ。雄介は子供の頃からこの味が好きなのだ。
ミートスパゲッティを食べながら、簡易メモパッドを眺める。合鍵か。的場教授の帰宅時間が分からない以上、迂闊に外出はできないという事か。しかし、合鍵はどうするのだろう。認証させる指紋を追加させるには管理会社を通さなくてはならない。一般的には、大きくなった自分の子供、もしくは、同棲する事になった恋人の指紋を追加させる事が多い。彼女は管理会社にどのように説明するのだろうか。彼女とは歳が離れているが、離れているといっても、せいぜい十歳前後だ。傍から見ればカップルに見えない事はない。
自分は何を考えているのだ。彼女との仲を期待した所で、彼女にとって、自分は研究対象のモルモット以外の何物でもないはずだ。それ以前に、こういう邪な考え事態が、家族に対する裏切りだ。
雄介は、頭の中の思考を消すために、目の前に置かれたメモのリセットボタンを押す。的場教授が残したメモ書きは一瞬にして消え、代わりにホーム画面が表示される。
する事がない。テレビが映し出すワイドショーは、既に自分が知っている情報しか伝えない。雄介は今から一年後の世界からやってきているのだから、それは当然の事である。しかし、最新の情報として伝えられる事の顛末を知っている雄介には、テレビを見る事に何も面白みが感じられない。
的場教授のコレクションである平面映画を見ようともしたが、昔の機械に疎い雄介にとって、数え切れない程のボタンがあるコントローラーを操作するのは困難だった。
部屋の中を適当に漁っていると、目に付かない所には埃が溜まっている。部屋自体はそんなに散らかっていないので、大掛かりな掃除をする時間がなかったのだろう。手持ち無沙汰で困っていた雄介は、部屋の中の普段は掃除できない部分の掃除をする事にした。
インスタント食品が入っている籠の底を確認すると、そこにはカレールウが眠っていた。箱の雰囲気からして、購入してから大分経っているように見受けられる。賞味期限を確認すると、日付が一年も過ぎている事が発覚した。いや、違うか、ここは一年前の世界なのだから賞味期限まではまだ一日ある。だが、賞味期限が切れていないといっても、それは明日までの話だ。今日中に使ってしまった方が良い。今日の夕飯はカレーにしよう。材料は揃っているだろうか。外出する事はできないので、材料が揃っていないとカレーを作る事はできない。
冷蔵庫の野菜室を確認するが、カレーの具材となる野菜は見当たらない。それどころか、野菜と呼べる物が一つも無い。普段の彼女が料理をしていない事は明白なようだ。これではカレーを作るのは不可能だ。他に何か材料はないだろうか。冷蔵庫の中を片付けながら、何か良い物がないか確認していく。
冷蔵室では良い物が見つからなかった。これでは、夕飯を作る事も満足に出来ないかもしれない。冷蔵室の片付けを終えると、次は冷凍庫を開ける。中の物を取り出していくと、何が入っているのか分からない白いチルドパックが見つかる。これは何だろう。雄介はパックに貼られているシールを確認する。
―鍋に入れるだけ!|(カレー用)―
これだ。これがあればカレーが作れる。雄介は、冷蔵庫の掃除を早々に切り上げると、カレー作りに取り掛かった。
雄介の前では、鍋がぐつぐつと良い音を立てている。カレーを作るのは久しぶりだったが、どうやら上手くいったようだ。隠し味を忍ばせる事もできた。後は教授の帰りを待つだけだ。そうだ、教授の帰りを待っている間に浴室の掃除もしておこう。
教授は、髪を耳にかけると、カレーライスを掬ったスプーンを口に入れる。雄介の表情はどこか誇らしげだ。カレーライスを食べる彼女を見つめる彼の目は、心なしか輝いているようにも見える。
教授は口に入れたカレーライスを味わうと、何も言わずに食べ進めた。
「私が買っておいた物を使ったんですよね。インスタント食品の下にあった」
雄介は無言で頷く。誇らしげな表情は変わる事がなく、少しだけ憎たらしく見える。
「以前、私が作った時はこんなに美味しくはできませんでした。何をしたんですか」
「隠し味を入れました」
「そうですよね、風味からして違いますし。隠し味には何を」
「それを御教えする事はできません。これが漢の料理です」
できる男は多くを語らない。一向に変わる気配のない雄介の憎たらしい表情は、目の前にいるのが違う人だったら、すでに殴り飛ばされているだろう。
二人のいる空間は、どこか暖かい物に包まれていた。こんな感覚は久しぶりだ。二人の談笑は部屋の外にまで漏れているかもしれないが、そんな事は少しも気になりはしなかった。
良い湯だ。この感覚を堪能できたのは久しぶりだ。一番風呂とそうじゃない風呂には雲泥の差が存在する。一番風呂には、そうじゃない時と比較して、精神的にも何か満たされる物があるのだ。これで身体の疲れは完全に抜けるだろう。本当は教授に入ってもらつもりだったのに断られてしまった。雄介は、同じ湯船に浸かられる事に抵抗があるのかと思い、気持ちが沈んでしまった。しかし、話を最後まで聞くと、カレーライスをご馳走してくれただけで十分という事らしい。
教授といると当初の目的を忘れてしまいそうだ。しかし、過去に来れたからには、何としてでも真実を救わなければならない。そのために何をしたら良いのだろうか。真実の運命が変わるように仕向けなければならない。この事は専門家である教授に相談した方が良さそうだ。
自分が今いる場所は、前にいた世界の一年前の世界。つまり、ここにはまだ真実がいる。千葉のマンションに行けば、真実に会う事ができる。しかし、過去の自分に出くわしまう事は危険だろう。そんな事はタイムトラベルの専門家でなくても想像できる。それでも真実に会いたい。真実を一目だけでも見る事はできないだろうか。その程度なら、そこまで難しい事ではないはずだ。問題は、一年前の自分がどこで何をしていたか、それだけだ。
一年前というと、取材が多くて忙しかった時期だ。教授に取材をした次の週は何をしていた。過去の自分の行動を正確に把握すれば、安全に真実を見に行く事ができるはずだ。
目の前が真っ暗になった。雄介は脱衣所で全裸で倒れる。風呂に浸かりながらの考え事は控えるようにしよう。




