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第1章 -1- 君の思ひ出

 


あの日言えなかった言葉は



いつか君に言える気がしたよ



子供の頃の記憶が手を引いて



君の大切さに気付かせてくれて



時間と共に消えたあの季節が



君の面影を焼き付けていて



風が町を駆ける度に



僕は君に歌うんだ



あの時言えなかった言葉は



いつか君に言える気がしたよ



鮮明に揺らぐ僕の記憶が



君への想いに気付かせてくれて



風が頬を撫でる度に



僕は君に歌うんだ



僕は君が好きなんだ



あの時言えなかった言葉は



今なら君に言える気がしたよ




縄張り争いでもしているのであろう犬たちの耳ざわりな声に俺は起こされた。


「うう・・・」


何故か痛む後頭部をおさえながら俺はのっそりと起き上がる。

頭に手をあてると違和感がした。

どうやら包帯が巻いてあるようだ。

何故包帯が?そう思ったときあることに気付く。



「ここ・・・どこだ・・・?」


人間というのは単純なもので、想定外のことや自分の心で耐えきれないことは口にでてしまうのだ。

まぁそれは年のせいかも知れないのだが。

かくにも頭に「混乱」の2文字しかない俺にも自分が見知らぬ部屋で寝ているということがかろうじて理解できた。





俺は混乱した頭で必死に何故こんな場所にいるか考える。

しかし

どれだけ思いだそうとしても、ここがどこなのか

自分が何故ここにいるのか

自分が何をしていたのか

そして

自分の名前が何というのかさえも思い出せない。



「なんだ・・・それ・・・。」



耐えきれなくなった心の声が口から漏れる。

さらに


「これが記憶喪失…か…」



また口から溢れる



ん?


記憶喪失?


俺が?



自分で言った言葉に我が耳を疑う。

やはり人間というのはどこまでいっても単純なもので、許容量以上のことが起こると頭で理解出来なくなる。

しかし、時間がたって自らの置かれている状況を理解したとき、悲しみや恐怖などの感情がまるで津波のようにおしよせてくるようになっているのだ。



俺は今まさにその状況にあった。



全身に寒気がする。


きっと心の奥底から「恐怖」か何かが押しよせてきているんだ。そう感じた。



「落ち着け、落ち着け。」



俺はそう自分に言い聞かせ、無理に心を抑えようとする。

しかし、押し寄せる津波は止められるわけもなく、「恐怖」は俺の心をまるで蝕むかのように増殖していく。


息が荒くなる。


俺の心には限界が近づいていた。

心にリミットがあるのか、限界を超えるとどうなるのか俺には見当もつかなかったが、確かにわかるのは

俺の心は恐怖に押し潰されそうだということだった。

俺の心が折れそうになったとき、俺の正面にあったドアが開き、ミルクティーを持った一人の女性が現れた。

その女性は俺が起きたのを見るなり血相を変えて俺のもとへとかけ寄ってきた。



「起きた?」

「今までどこに行ってたの?」

「随分うなされてたようだけど大丈夫?」

「頭のケガは?痛くない?」



全く以て状況が理解できない。

質問攻めにあったことの前にまず質問の意味が理解できていない。


「何を言ってるんだこの人は…」

と思ったときにハッと気付く。

自分の中に先ほどまであんなに積もっていた恐怖が消えていたのだ。

また俺の頭の中は混乱で埋め尽くされてしまったようだ。

依然として俺の頭がごちゃごちゃしてることに変わりはないのだが、

『彼女の存在』

それだけで俺の心は幾分救われたような気がした。



「あの…すみません…おっしゃっている意味がわからないんですが…。」



やはり敬語を使うのはおかしっただろうか。

彼女は「何故敬語を使うのだろう」顔をしている。

少し困惑ぎみの表情の彼女は


「あ、そうだよね、まだ起きて間もないし、頭もうってるんだからしょうがない。なら、ちょっと落ち着いてからにしよっか。」


と言うが、

記憶喪失の人間に

しかも、こんな短時間の間に

情報を押し付けられれば、そう簡単に落ち着くことがでいるはずがない。

だから、俺はしばらく落ち着いたのを装うことにした。

俺は彼女から貰ったミルクティーを半分ほど飲み、

深々と深呼吸をした後、

ほんの少し落ち着いてから自分の名前がわからないことなどを彼女に全て話した。



もしかしたら彼女が俺を監禁しているのかもしれない。

最初はそう思った。

しかし、ミルクティーを受け取った時に彼女が見せた笑顔で

彼女は信用してもいいのではないか

そう思えたのだ。

それは

ミルクティーがおいしかった。

とかそんな理由ではなくて

彼女は俺のことを知っている。

ただ…本当にただそう思っただけなのである。

案の定、彼女は何かを知っているようで、俺が自分のことについて話していくにつれて

彼女の顔はどんどん絶望にも似つかないような表情になっていった。


「ホントに覚えてない?嘘でしたって言うなら今のうちだよ?」


彼女は俺が話している間にそう言ったが

何も覚えていないのに

「嘘でした」

などとは言えるはずがない。


俺が話し終えると

彼女は泣きそうになりながら

自分にも言い聞かせるようにして言った。



「よく聞いて。

あなたは白石泰輔(しらいしたいすけ)、私は白石唯音(ゆいね)あなたの妻。

あなたは2年前、突然ここを出ていってそれっきりだったの。

後頭部を強く打って記憶を無くしているようだけど、大丈夫。すぐに思い出すよ。心配ない。」



俺は一度に大量の情報を詰め込まれたため混乱した。

記憶喪失の人間には文字通り記憶がない。

自分のことさえわからない不安定な状態なのだから無理もないだろう。

だが、もし俺が泰輔という男だというのなら思いだすことが出来ていてもいいはずだ。

しかし、名前を言われても自分の名前さえも思い出すことができない。



ただ…

ベットにある写真立てを見ると、彼女の言ったことが間違いでないのがわかる。

そこには、俺と同じ顔をした男が今横にいる唯音という女性と楽しそうに写っている。


とはいえ、まだ俺は自分の名前さえ思い出せていない。


「すまないが思い出せない。」

俺がそう言うと

彼女は右手の裾で涙を拭うしぐさを見せ

それから涙をこらえるためだろう、無理に笑って


「あなたは記憶を無くす前も正直で嘘は1つもつかなかったの。私はそこに惚れたのよ。」

「私は今から仕事に行くから、アルバムとかを見てゆっくり、ゆっくりでいいから昔のこと思い出して。」


と言った。


俺は彼女に申し訳ないなと思いながら、右手で持っていたミルクティーがちょうどいい温度になったのを確認して飲み干した。






彼女はそれから何も言葉を発する事なく

俺から白い無地のコップを受け取り、部屋を出ていった。



彼女が出ていった後

俺は自分の脳をフル活動させて、自分のことを思いだそうとしてみた。

ここまで自分のことを知っている人を悲しませてはいけない、と内なる俺が俺を駆り立てたのだ。

しかし無情にも思い出せることは何一つなく、ただ俺が落胆するだけの結果となった。




それから少し時間がたち



バタン



扉が閉まる音がした。

おそらく唯音さんが仕事に出たのであろう。

一言も話さずに出て行ったのは俺が記憶をなくしていたのがあまりにショックだったのかもしれない。






まだ

俺の記憶が戻る気配はなかった。

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