『セガは広告で勝っていた。それでも、なぜ負けたのか――せがた三四郎と湯川専務が残したもの』
「セガのゲームは世界いちぃぃぃぃぃぃ!」
「セガサターン、シロ!」
またセガのエッセイかよと思われても構わない。
今でも、この言葉を聞けば、あの時代を思い出す。
セガのゲーム機には、妙に熱い広告が多かった。
中でも印象に残っているのが、せがた三四郎だ。
藤岡弘、さんが演じる、あまりにも濃すぎるキャラクター。
雪山だろうが、戦場だろうが関係ない。
とにかくセガサターンを遊べ。
その勢いと馬鹿馬鹿しさが、強烈だった。
そして時代はドリームキャストへ。
1998年。
セガは、それまで以上に大規模な広告を打った。
新聞には、
「セガは、倒れたままなのか?」
という挑発的な広告。
その翌日には、
「逆襲へ、Dreamcast。」
と続く。
そして、そこに登場したのが湯川専務だった。
子供たちからセガを馬鹿にされる。
散々な目に遭う。
それでも、最後にはドリームキャストを売ろうとする。
普通なら、こんな自虐的な広告はやらないだろう。
だが、セガはやった。
しかも、それが話題になった。
「負けている」という状況そのものを、広告の物語にしてしまったのである。
せがた三四郎が「セガは熱い!」なら、湯川専務は「セガは負けている。それでも戦う」だった。
セガの凄いところは、勝っているときだけでなく、負けているときまで広告にしてしまったことだ。
では、本当にセガの広告戦略は成功していたのだろうか。
私は、広告としては成功だったと思う。
これだけ年月が経っても、せがた三四郎も湯川専務も覚えている。
「記憶に残る」という役割は、十分すぎるほど果たしていた。
ただし。
**広告を覚えていることと、その商品を買うことは別なのだ。**
ゲーム機を売るには、
**「このハードで、このゲームを遊びたい」**
と思わせる必要がある。
つまり、ハードを売るにはソフトが重要だった。
もちろんセガには、強力な自社タイトルがあった。
バーチャロン。
ソニック。
バーチャファイター。
そして、私が好きだった『アドバンスド大戦略』のような、他社なら少し躊躇しそうな尖った作品もあった。
私は、そういう「他社とは違うものを出してくるセガ」が好きだった。
だが、自社タイトルだけでハードを普及させ続けるのは難しい。
「あれも遊べる」
「これも遊べる」
「次はどんなゲームが出るのだろう」
そんな期待が積み重なってこそ、ハードは売れていく。
そして、そのためにはサードパーティが欠かせない。
ファミコン初期には、ナムコの『ギャラクシアン』『パックマン』『マッピー』『ドルアーガの塔』など、アーケードで人気だったゲームが家庭で遊べた。
ゲームセンターの人気作が家で遊べる。
それだけでも、ファミコンを買う理由になったはずだ。
さらに後には、『ドラゴンクエスト』のような大型タイトルがハードそのものを牽引した。
プレイステーションでも、『リッジレーサー』のようなアーケードの人気作や、『ファイナルファンタジー』のような大型タイトルが、ハードを買う理由になった。
つまり、強いハードには、
**「このゲームを遊びたいから、このハードを買う」**
という理由が必要だった。
セガにもサードパーティのソフトがなかったわけではない。
問題は、ファミコンの『ドラゴンクエスト』やプレイステーションの『ファイナルファンタジー』のように、**ハードそのものを牽引する大型タイトルを継続的に確保することが難しかったこと**ではないだろうか。
しかも、これは単純に「セガがサードパーティを集めるのが下手だった」という話だけではない。
サターンは、ソフトメーカーにとって決して扱いやすいハードではなかった。
複雑な構成で、特に3Dゲームが主流になっていく時代には、その性能を引き出すためのノウハウも必要だった。
セガ自身も、開発環境を整え、他社が開発しやすくすることに苦労していた。
一方で、プレイステーションは3Dを前提とした設計や開発環境を武器に、ソフトメーカーを取り込みやすかった。
そして、もう一つ大きい。
**売れるかどうか分からないハードに、大きな開発費をかけるのは怖い。**
ハードが売れればソフトを出したい。
しかし、ソフトが増えなければハードも売れない。
つまりセガは、
**「作りやすいハードを用意すること」**
と、
**「この市場ならソフトが売れる」と思ってもらうこと**
の両方で苦戦したのではないだろうか。
そして、ここに厄介な悪循環が生まれる。
ハードが売れなければ、ソフトメーカーは慎重になる。
ソフトが集まらなければ、ユーザーはハードを買わない。
ユーザーが増えなければ、さらにソフトメーカーは参入しにくくなる。
一度この循環に入ってしまうと、広告だけでひっくり返すのは難しい。
セガの苦しさは、ここにあったのだと思う。
そして、サターンの時代には、もう一つ惜しい話があった。
1997年、セガとバンダイは合併することで正式に合意した。
新会社の名前は「セガバンダイ」。
しかし、その話は同年5月に解消された。
これも、セガファンとしては痛かったと思う。
バンダイは、セガ単独では補いにくいキャラクターコンテンツに強い会社だった。
しかも、サターンには実際に良いゲームを出していた。
『機動戦士ガンダム外伝Ⅰ 戦慄のブルー』。
『機動戦士ガンダム ギレンの野望』。
こうした作品をサターンで遊べたことを、私は今でも覚えている。
セガのゲーム開発力やアーケードで培った技術に、バンダイのキャラクターやコンテンツが加わる。
もし合併が実現していたら、サターン以降の家庭用ゲーム市場で違った展開があったかもしれない。
もちろん、合併していれば成功していたとは言えない。
ただ、セガにとって一つの大きな選択肢が消えたことは惜しかった。
その後、『ギレンの野望』はプレイステーションにも展開していった。
合併解消がその直接の原因だった、とまでは言えない。
それでも、
**「もしセガバンダイが実現していたら、こうしたタイトルがもっとセガ側に残っていたのではないか」**
と思ってしまうのだ。
任天堂は、ハードの普及がソフトを呼び、ソフトの充実がさらにハードを売るという循環を作っていった。
一方のセガは、アーケードという強力な市場を持ち、自社でも魅力的なゲームを作っていた。
自社で強いソフトを作れることと、他社がそのハードに参入したくなる市場を作れることは、同じではない。
セガには、自社タイトルという強さがあった。
しかし、それだけではハード市場全体を大きくすることはできなかった。
そして、私自身、ドリームキャストには少し複雑な思いがある。
オラタンのような、いかにも「セガらしい」硬派なゲームをもっと遊びたかった。
ところが後半になるにつれ、私にはギャルゲーの存在感が妙に大きく見えた。
もちろん、それらのゲームが悪いという話ではない。
ただ、私がドリームキャストに期待していた「セガらしさ」とは、少し違っていた。
だから私は、
「セガの広告戦術は間違っていた」
とは思わない。
むしろ逆だ。
**広告としては成功していた。**
人を振り向かせる力もあった。
それでも、サードパーティを含めた、長く続くソフト市場を十分に築くことはできなかった。
**セガは広告に負けたのではない。**
**面白いゲームを作れなかったわけでもない。**
ハードを支えるだけの、サードパーティを含めたソフト市場を最後まで十分な形で作り切れなかったのだと思う。
**尖っていることと、勝つことは違う。**
**面白いことと、売れることも違う。**
負けた理由は、たぶん分かっている。
だからといって、セガが嫌いになるわけではない。
むしろ、そんな不器用なところまで含めて、私はセガが好きだった。
普通の会社ならやらないことをやる。
普通なら広告に使わないような人物を使う。
普通なら自虐しないところまで自虐する。
そして、普通ならゲームにしないような題材までゲームにする。
そういう無茶苦茶なところが、セガらしかった。
だから最後は、やっぱりこれだ。
「セガのゲームは世界いちぃぃぃぃぃぃ!」
「セガサターン、シロ!」
そして――。
**セガ、ここから逆襲しろ!**




