政略結婚した旦那様は、私を愛していないと思っていました
最後に、2人の見た目のイメージラフがあります!
正直、政略結婚に期待はしていなかった。
女好きの高齢の方や、暴力を振るう方、酷い言葉を浴びせ続ける方の元へ行かされる。そんな絶望的な話をたくさん聞いてきた。
自分もきっとそうなる。
そう思っていた。
そう、覚悟していた。
だから、マリアンヌは目の前に立つ見目麗しい男性が、自分の婚約者だなんて、全くと言っていいほど信じられなかったのだ。
陽に透けて輝く美しい銀髪。
海を閉じ込めたような深みのある蒼い瞳。
さっぱりとした印象の整った顔。
(綺麗な人……)
頬が少し紅潮する。胸がドキドキと高鳴った。
マリアンヌは、これからの結婚生活に少し期待を寄せ始める。
(本当にこの方が私の婚約者……?)
「……シグルド・ランドルフ侯爵様でお間違いありませんか」
そして、挨拶しようとして間違えてそう口に出す。
「なっ、名乗りもあげず、失礼いたしました。本日よりランドルフ侯爵家に嫁がせていただきます、マリアンヌ・フェローと申します」
「……君がマリアンヌか。私がシグルド・ランドルフで間違いない。今日からよろしく頼む」
マリアンヌが慌ててお辞儀をすると、シグルドは酷く低い声でそう言った。
恐る恐る顔を上げれば、目も合わないし、シグルドはニコリともせず、硬い表情をしていた。
(……なんだ、期待してしまったわ)
マリアンヌは、早々に心を切り替える。
期待は危険だ。
理想の結婚生活なんてものを思い描いてしまえば、それに届かないこれからの現実に耐えられなくなるところだった。
(きっと冷たい人なのだわ。嫌われないように過ごさなければ、体や心に傷をつけられるかもしれない)
マリアンヌはそう考えると、彼を刺激しないよう、なるべく大人しく過ごそうと決めた。
そんなマリアンヌの心がけが功を奏したのか、シグルドは特に何もしてこなかった。
屋敷でどう過ごしてても何も言ってこない。
共に食事をしていても何の言葉も交わさない。
同じベッドで寝ていても、指一本触れてこない。
言うなれば、シグルドは自分に全く興味がないのだろう、マリアンヌはそう考えた。
こんな調子で三ヵ月。トキメキもなければ、特に不満もない。思っていたよりはずっと充実した結婚生活だった。
そんなマリアンヌの認識が覆されることが起こった。
「たまには二人で街にでも、どうだろうか」シグルドのそんな言葉を皮切りに、その日は珍しく二人で街へ出かけた。
夫婦と言えどほぼ接点のない状態のため、マリアンヌは馬車の中での重い沈黙に、気まずい思いをしながら街までたどり着いた。
交わした会話と言えば、天気の話くらいだ。
「……どこか見たいところはあるだろうか」
「……えっと……、そうですね……」
(誘って来た方がプランを考えてくださったら良いのに)
マリアンヌの頭にはそんなことが一瞬過る。しかし、シグルドに楯突く必要もなければ、メリットもない。だから、辺りを必死に見回して、見たいところを生み出そうとした。
そんなマリアンヌの視界は、広場でやっている紙芝居劇を捉えた。
「あっ、あれ……! 見てみたいですわ」
(これなら見てる間は話さなくて済むし、時間も短いだろうから、きっと負担にならないわ)
そこまで考えてから、よく見たら鑑賞者はほとんど子どもであることに気付く。
(わ、私ったらやっちゃった……! どうしましょう……!)
マリアンヌは顔を真っ青にして、全身に冷や汗をかく。もしかしたら、今の発言はシグルドを怒らせるかもしれない。そう思うと、恐怖で嫌に心臓がうるさくなる。
「……わかった。では鑑賞してみよう」
しかし、シグルドは意外にもすんなりと頷いた。
(まぁ……、私を立ててくれたのかしら……。それとも、何も気にならないのかしら……?)
マリアンヌはほっと胸を撫で下ろすと、シグルドに付いて広場へと向かった。
紙芝居の内容は、ペットとして可愛がっていた犬が、命をかけて賊に襲われた飼い主を助ける、という感動ストーリーだった。
マリアンヌが「子ども向けにしては中々良い話だったわね……」と感嘆していると、ふと隣で鼻を啜る音が聞こえてくる。
(あら……? そこまでになるほどだったかしら……)
マリアンヌはシグルドの方を見上げたい気持ちを抑え、気付かないフリをして、正面を見続ける。
その間にも、シグルドは何回か目を拭う動作をしているようだった。
(……怖い方だと思っていたけれど……、意外と優しくて純粋な方なのかしら)
マリアンヌは、いよいよシグルドの方を確認したい気持ちを抑えられず、えい!と見上げてみる。
すると、シグルドは泣いていたことに気付かれたくないのか、慌てたようにそっぽを向いてしまった。
(かわいらしい……!)
なんてかわいらしい方なのかしら!
それからというもの、マリアンヌはシグルドに興味が湧いて仕方がなかった。
使用人に普段の様子を聞いたり、はしたないと思いつつも、遠くから盗み見ることも増えた。
それによって、わかったことがある。
シグルドは冷たいのではなく、誠実で優しい。
そして、口下手で不器用なだけなのだ。
働き詰めで倒れるような者が出ていた屋敷の働き方を改革したり、領地経営を統括する立場として、領民の農業などの仕事を実際にその身で体験したりしていた。
なんて思いやりと経営手腕を兼ね備えた人なのだろう。
マリアンヌは感動した。
そこからシグルドを大好きになるまで、大して時間はかからなかった。
シグルドを見かけるだけで嬉しい。
話しかけられるだけで嬉しい。
声を聞けるだけで嬉しい。
「シグルド様! 見てください、こちらのお花、とっても綺麗です」
「シグルド様! 本日のディナー、本当に美味しいですわね! 私、こんなに美味しいお肉を食べたのは初めてですわ」
「シグルド様! 贈ってくださったドレス、とってもかわいいんです。いかがですか? 素敵でしょう?」
心を動かされたものを共有したい。
同じ気持ちを共有したい。
あなたの笑顔が見たい。
夫婦なのに、片想いをしていた。
そんなマリアンヌの気持ちに呼応してか、シグルドも前よりはいくらか和やかに対応してくれるようになった。
相変わらずぎこちないけれど、少し笑顔が増えた。
話す話題も増えた。
でも。
相変わらず少しも触れてはくれなかった。
「……やっぱり、優しく微笑みかけてくれるのも、話しかけてくれるのも、夫としての最低限の義務を果たしてくれているだけなのだわ」
マリアンヌの思考は、いつしか一つの結論に至るようになっていた。
シグルドはきっと、優しさ故に、妻である私を無碍に出来ないのだ。
と。
無理をして笑い、無理をして話してくれている。
愛のない結婚なのは、とうにわかっていた。
だから、この気持ちに見返りは求めない。
(……愛されなくてもいいわ。大好き。大好きよ、シグルド様……。どうか、永遠に、健やかで幸せでいて)
マリアンヌはそうして、胸の奥の恋心を、大切に大切に、抱きしめた。
そんなある日のことだった。
シグルドが街で、見知らぬ女性と親しげに話しているのを見たのは。
その日、マリアンヌはシグルドがいるとは特に知らずに、街に遊びに出かけていた。
たまたま遠くに見つけたのだ。
何を話しているかまではわからなかったが、美しくて凛々しい素敵な女の人と、見たこともない柔らかい表情で笑いながら話していた。
──ショックだった。
自分には、そんなことを思う権利もないのに。
そう思ったけれど、ひどく悲しかった。
「……なんだ。……愛する人がいたのね」
マリアンヌは俯き、ぽつりと呟く。
声に出したら、実感を伴ってきて、もっと悲しくなった。
(でもいいの……。決めたじゃない。愛されなくてもいいって……)
シグルドは、いつも立派に良い夫を演じてくれていた。形式的ではあるが、大切に扱ってくれている。
だから、だから。
良いのだ。
愛されていると錯覚出来るから、良いのだ。
それで満足するから。
頑張って満足するから。
だから、大丈夫。
マリアンヌは自分に向かって、そう言い聞かせた。
それから一ヵ月が経った。
マリアンヌにはもう、限界が来ていた。
どんなに優しくされても、どんなに会話を重ねても、あの女性には敵わないんだ。あの笑顔を自分には向けてくれないんだ。
そう思うと、シグルドに関わる全てが辛くなった。
嬉しくて温かい思い出が、暗く、悲しい思い出に塗り替えられていくのに耐えられなかった。
これ以上、シグルドへの想いが深くなっていくのに耐えられなかった。
そして、マリアンヌはいつしか、シグルドを避けるようになってしまっていた。
「……マリアンヌ。久しぶりに庭園で二人でお茶でもどうだろうか」
「……ぁ、えと……、はい」
マリアンヌは、咄嗟に上手く笑顔が作れなくて口籠ってしまった。
それを感じ取ったシグルドの顔が、少し強張る。
「たっ、楽しみですわ! ありがとうございます!」
「……そうか、良かった」
マリアンヌは慌ててそう付け加えたが、シグルドは困ったように控えめに笑ってそう言った。
(あぁ……、上手く、笑えるかしら……)
マリアンヌは、ケーキを口に運びながら、ぼんやりと不安を抱える。
目の前の丸テーブルに置かれた色とりどりのスイーツや、鮮やかな庭園の花たち、澄み渡る青空とは裏腹に、マリアンヌの心は曇り模様だった。
今のような状態では、離れるのが一番良い……。
それを……、わかっていたけれど、わからないでいたかった。
一緒にいたい。
でも、一緒にいると、ものすごく苦しい。
どうせ叶わない恋ならば、相手の幸せを願うべきよ。
じゃあやっぱり、
「離婚出来たら一番良いのに」
突如、カシャン!と、食器がぶつかる音が響いた。
驚いて目の前を見ると、シグルドがフォークを手から滑り落としてしまったようだった。
「シ、シグルド様!? お怪我はありませんか!?」
マリアンヌが立ち上がり、向かいのシグルドの様子を確認しようとすると、それを遮るかのように口を開いた。
「離婚……? ………………誰と、誰が」
シグルドは混乱しているようだった。
マリアンヌはそこで初めて、先ほど考えていたことが口から出てしまったのだと気付く。
「……! も、申し訳ございません……! く、口に出すつもりはなかったのですが」
「"口に出すつもりはなかった"……? でも、考えてはいたということだろう……?」
「そっ、それは…………」
マリアンヌは言葉に詰まる。
考えていたのは事実で、否定することが出来ないからだ。
「……もちろん、離婚はいたしませんわ。家同士の決めごとですもの。私の気持ち一つでそれを崩そうなどと考えてはおりませんので、ご安心くださいませ」
マリアンヌは、静かに腰掛けながらそう言った。シグルドの目は、上手く見られない。
「違う! 私はそんなことが聞きたいのではなくて……」
そこまで言うと、シグルドは俯いてしまった。
その顔が、段々と悲痛さを増して歪んでゆく。
(あぁ、ごめんなさい……。シグルド様がせっかく、夫としての義務を果たしてくれていたのに。わざわざ、愛してもいない妻に優しくしてくれていたのに。それを無駄にするようなことを言ったのだわ)
「……君が、…………。君が望むなら、」
シグルドは言葉に詰まりながら言う。
「……離婚、しよう」
マリアンヌは目を見開く。
「そ、そんな! ダメですわ……! この結婚による領地統合でシグルド様の手腕も段々認められてきたのに! それに、こんな短期間で離婚なんて、シグルド様の名声に関わりますわ!」
マリアンヌが勢いよく立ち上がってそう捲し立てると、今度はシグルドの方が目を見開いた。
「……驚いた。君はそんなに私のことを見てくれていたのか。……でも、私のことなどどうでも良い。それよりも、君の負担になりたくない」
シグルドは肘をつくと、片手をおでこに置いて顔を覆った。
「シグルド様のことの方が大事に決まっております! 貴方に愛されていないことなんて私が我慢すれば良い話! だから……、だからどうか、そんな悲しいお顔をなさらないで……」
マリアンヌは、願うようにそう言った。
シグルドの顔が悲しみを増していく度に、心が刻まれるような思いがした。
「愛されていないことを我慢……?」
不思議そうにそう言うシグルドの言葉を聞いて、マリアンヌはハッとして真っ青になる。
(わ、私ったら、不満のように聞こえることを……!)
「も、申し訳ありません!! シグルド様は夫としての務めを完璧に果たしてくれておりますわ……! ただ、私が、多くを望みすぎてしまっただけなんですの……。お気になさらないでくださいませ!!」
「君は私に愛されたいのか……?」
マリアンヌが慌てて謝ると、シグルドがまだぽかんとした様子でそう問うた。
「ま、まさか……! とんでもありませんわ! これ以上を望むなど」
「私は君を愛しても良いのか……?」
「……へ?」
マリアンヌが頭をフル回転させて弁明に努めていると、やや食い気味にシグルドがかぶせてくる。
まるで、マリアンヌの言っていることも、自分が口にしていることも信じられないといった様子だ。
どういうことかと問う前に、シグルドが泣きそうなほど情感に溢れる顔で見つめてくるから、マリアンヌは口を開けなくなってしまった。
そして、シグルドは小さく息を吸うと、こう言った。
「好きなんだ、マリアンヌ」
その瞬間、世界から音がなくなった。
時間が止まって、目の前のシグルドしか見えなくなる。
心臓が、ドキドキと高鳴って、頬が紅潮する。
(……本当に?)
信じられなかった。
だけど、シグルドの顔が、表情が、全身が。自分を好きだと必死に訴えていて、信じざるを得なかった。
必死に伝えてくれている目の前の男性が、心底愛おしかった。
「政略結婚だから、君は私の"妻という役目"を果たしにここにいる。だから、好きになってはいけないと思っていた」
シグルドは、自分の拳をぎゅっと握り込んで、視線を落とす。
「好意を寄せたら、気持ち悪いだろうと思っていた。だから、必死に隠していた」
「!? 気持ち悪いわけがありませんわ!!? で、でも! シグルド様は他に愛している女性がおりますでしょう……!?」
さっきは雰囲気に流されて信じたが、マリアンヌはシグルドに愛人がいることを思い出した。
「……? 誰のことだ?」
本当にわからない、といった様子で、シグルドがそう言う。
「い、今更とぼけなくても良いのですよ! 私、知っておりますの! 街で密会している女性がいるって……!」
取り乱しつつそう言うマリアンヌを他所に、シグルドはうーん……、と首を捻る。
そんなに心当たりがないのだろうか……。それとも、まだ上手な演技をしているのだろうか。
そして数秒後、やっと思い当たったらしい。
「あぁ……! あれは、姉だ」
「……へ?」
(お、お姉様……!?)
マリアンヌはあんぐりと開いてしまった口を、慌てて隠す。
「すまない。誤解をさせてしまっていたようだ」
シグルドは眉を下げて、眉間にシワを寄せてそう言った。
「あ、謝らないでくださいませ……! 元はと言えば私がたまたま見かけて、勝手に勘違いしただけですもの……」
(でも見たことない表情を……、するのは家族だからよね……。私だって両親には見せて、シグルド様には見せない顔の一つや二つ、あるわ)
マリアンヌは、ふぅ、と脱力し、両手で顔を覆う。
「なんだ……、私……てっきり……。……良かった……」
その様子を見たシグルドが、遠慮がちに、でも期待が隠せない様子で訊いた。
「……マリアンヌは、私を少しでも好ましいと感じてくれているのだろうか……?」
その問いに、マリアンヌは大きく頷く。
「ごめんなさい、大好きですわ」
マリアンヌはシグルドが座る椅子の隣まで歩くと、しっかりとシグルドの瞳を見つめた。
「一見、冷たい人に見えがちなシグルド様だけど、口下手で不器用なだけで、本当は優しくて誠実な貴方が大好き」
それを聞いたシグルドが、驚いて小さく息を吸った。そして、次の瞬間には目を細め、バッと口元を覆う。
「……すまない、口元がだらしなく緩んでしまいそうだ」
マリアンヌは目に少しだけ涙を滲ませ、ふふ、と笑う。
幸せそうなシグルドの表情が嬉しかった。
自分の愛を、まっすぐ伝えられて嬉しかった。
「……花が綺麗だと言って柔らかく微笑む君が、食事が美味しいと言ってにこやかに笑う君が、綺麗なドレスよりも美しい君が、かわいらしくて愛おしくて、全部独り占めしたいほど、私のものにしたくて。そんな自分が恐ろしいと思った。こんな欲情を君にぶつけてはいけない、と」
シグルドは少し、目を逸らす。
「そんな風に思うほど、君をとても愛しているんだ」
そして立ち上がって、マリアンヌの瞳を見つめ返した。
「そんな私でも良いだろうか」
「もちろんですわ。……とっても嬉しい」
天にも昇りそうなほど嬉しかった。
この不器用で、優しい人が、心から愛おしくて大好きだ。
あぁ、なんて幸せなんだろうか。
「それに、私はもうシグルド様の妻なのですよ。……だから、今日こそは、身も心も完全に、シグルド様のものにしてくださいませんか?」
「……喜んで」
恥ずかしそうに、はにかみながらそう言ったマリアンヌを、シグルドは優しく抱きしめる。
熱を帯びた視線を絡ませ合う二人は、そのまま、熱く、唇を重ね合わせた。
Fin.
お読みいただき、ありがとうございました!!
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