みんな誰でも世の中に3人くらい殴りたいと思っている奴がいる!
作品に登場する 『いじやける』という言葉は、茨城県の方言であって、本当は神ではありません。
「みんな仲良く、仲間を大切に」
なんて、今ではもう顔も思い出せないくらいに古ぼけた記憶の中で、先生が言う。
そのくせ、その記憶はやたらと輝いていて、俺の中の冷え込んだ心をわずかにあたためた。
会社への通り道にある教会の集会案内ポスターに掲げられた言葉に目がとまる。
「汝、汝の敵を愛せよ」
できるか、そんなもん。
内心舌打ちしたい気分になって、自嘲する。
実はそれができないと気付いたのは、つい最近のことだった。
「はあ?自分の敵を愛すだぁ?」
年越しそばならぬ、年越しラーメンを食いながら、友人の木村が素っ頓狂な声をあげる。
「何それ、お前それってかめ○め波出すより不可能だっつうの!」
俺は前歯でメンマをこりこりやりながら、少し考える。微妙に繊維が歯の隙間に挟まる感触を密かに楽しみつつ…。
「任○堂だってさ、結構頑張ってるんだし、そのうちか○はめ波だって出せるようになるかもよ?」
「…いや、○めはめ波は別にこの際どうでもいいよ。
敵つったっていろいろいるよ?
ちょっとムカつくくらいならまだしも、それこそ命がけで憎むものかもしんね~しよ。
俺は憎しみも別に悪いもんじゃねーと思う。
自分を守る本能ってやつなんじゃねーの?
それにみんな誰しも世の中に3人くらいは殴りたいと思っている奴がいる!と俺は思う」
「そういうもんかねえ」
紅白はいつのまにか終わり、今は「行く年来る年」をやっている。
厳かな除夜の鐘の音を聞きながら、その言い伝えのとおり自身の煩悩を除去してくれるのなら、どんなに人生楽になるだろうか。
なんて柄にもないことを、考えてみる俺だった。
「俺もう寝るわ、明日出勤だし」
そういって欠伸をかみ殺す俺を気遣い、同じマンション内に住まう木村はそそくさと自室へと帰っていった。
「願わくば、今年も一年良い年でありますように」
そんな思いを胸に俺は幸せな眠りについた。
別に新年そうそうの出勤が嫌なわけじゃなかった。
仕事は好きだし、今自分が抱えているプロジェクトにもやり甲斐は感じている。
家を出て駅に向かう道すがらにある、古びた神社の前で俺はふと足を止める。
せっかくの新年だというのに、誰も参るものがいないのは、なんだか裏寂しい気がした。
俺はズボンのポケットに手を突っ込み、100円玉を取り出すと、その神社の賽銭箱に投げ入れた。
「釣り銭出てくりゃいいのにな」なんて長渕鋼みたいなことを考えていたら…。
「げ~へ~へ~」
何?
俺の背中に嫌な汗が伝う。
「誰だ?」
「わしか?わしは茨城県産の神『いじやける』じゃ。さっそく今年初の参拝者であるお主に取り憑くぞぇ~」
「いやあああああああ!」
人気のない神社に俺の絶叫が響き渡る。
「あ…ああ、ぶち切れるほでではないが、人を微妙に不快にさせるこの気分…」
「そうじゃろ、そうじゃろ、それが茨城県産の『いじやける』の正体じゃあ。それとのう、お主にお年玉じゃ。この『ムカツク奴を殴るハンマー』をやろう」
そういって『いじやける』と名乗る神は俺にピコピコハンマーもどきを手渡した。
「3名限定じゃからのう。厳選して使えよ?」
「だ~か~ら、こんなハンマーあったって別に意味ないじゃん。素手で殴ったほうすっきりするよ」
なんせピコピコハンマー。まあ、あんまり害はなさそうだけどね。
「一見ピコピコハンマーに見えるがの。これはお主の憎しみの度合いによって姿を変えるのじゃ。憎しみが増せば核兵器にもなるぞえ」
「やだよ、俺殺人犯や国家反逆罪とかで捕りたくないもん」
「それがこのハンマーの良いところなのじゃ。殴られても痛みは感じるが、全く害はないし、誰に殴られたかも忘れてしまうのじゃ。だから復讐にはもってこい。日ごろの恨みを思う存分はらせるというわけじゃ」
会社に着くと即効でパソコンを立ち上げる。
コーヒーメーカーで自分の為にコーヒーを沸かす。
部屋に広がるブルマンの香りをしばし堪能しつつ、窓の外に目をやる。
雲ひとつない青空。
実に気持ちいい。
イライラっていうのは、些細なことの積み重ねだと思うのだが、それの解消法もひょっとしたら、些細なことによるのかもしれない。な~んて思っていたら、
パソコンに新着メールの表示とアラームが鳴る。
今自分がまかされているプロジェクトの案を年末に徹夜で仕上げ、上司に送っていたのだが、どうやらそれの返事だった。
それは見事な一蹴で、俺はしばし呆然とその場で固まった。
期限も刻々と迫っている。
どこをどう直せばよいのかなど、具体的なことは何一つ書かれていない。
焦った俺は上司に電話をかけた。
「山根部長!俺です更科です。今会社にいるのですが、例のプロェクトの件で…」
そう言いかけた時、
「ああ、更科君。僕は今は休暇中なんだ」
口調に滲む微妙な悪意に案外傷つくこともある。
「プロジェクトの件?ああ、君が無能なせいで未だ了承が降りてなかったんだよね」
電話の向こうでせせら笑うあなたがムカつく。
『いじやける』素敵な言葉だ。
今の自分の感情をこれほどまでに如実に表す言葉があろうか…。
「まあ、せいぜいがんばって?」
そういって一方的に途切れた通話。
――――あ~ムカツク、真剣にムカツク――――
「おい、決めた!山根部長を殴る」
「ほいきた♪マハリク、マハリタ、三段腹や~ん♪」
茨城県産の神が語呂の悪い微妙な呪文を唱えると、いきなり俺の体が宙に浮いた。そしてその周りの景色が変わると、いつの間にか山根部長のマンションの中に佇んでいた。
鼻歌を歌いインスタントラーメンができるのを待っている、山根部長の背後に回ると残忍な笑みを浮かべ、俺はピコピコハンマーを握り締めると刹那それは金属バットへと姿を変える。
「逆転さよなら3ランホームラン!」
俺は思いっきり山根部長の後頭部を殴った。
な・なんだこの気持ちは…。
すっきり爽快クロ○ッツって、ガムのCMかい!
晴れ渡るこの青空のように、ものすごく気分が爽快だった。
いつの間にか、俺は再び会社に戻っており、自分のパソコンと睨めっこをしていた。
さあ、ちゃっちゃと仕事終わらせてしまおうと俺は大仰に腕まくりをしてみる。
が、次の瞬間その場に掃除のおばちゃんが通りかかる。
俺を見るなり、不機嫌そうに愚痴りだす。
「ああ、本当にもう。なんで新年そうそう仕事しなきゃなんないんですかね。
ちゃっちゃと、年内に仕事終わらせりゃあいいもんの。あなたみたいな人がいるから私もわざわざ出勤させられて、ほんといい迷惑だったらありゃしない」
これみよがしに嫌そうにその辺を片付け始める。
年末に社内でやった忘年会に自分が呼ばれなかったことを、根に持っているようだった。
俺は聞かぬ振りをして仕事に集中するよう努めた。
刹那。
「あいた」
おばちゃんが見事にすっ転ぶ。
PC関係の蛸足配線に器用に足を絡ませて。
俺のパソコンの画面が黒い。
俺の頭は白いがな…。
俺の頭の中を走馬灯のように、これまでの苦悩の日々が蘇る。
このデータを作るために何日費やしたと思っている?
期限迫ってるから、こうして俺も休日返上で出勤してるんだよ。
プログラムおジャンにしてくれて、いったいどう落とし前つけてくれるんだつうの!
「はあ、私が倒れてるっていうのに、知らん顔かい?
最近の若い者は」
尚もババアはブツブツ言いやがる。
ひとのデータおジャンにしておきながら、ごめんなさいの一言もねーのかよ!
腸が煮えくりかえっていたとしても、人間というものは不自由な生き物だ。
悲しいかな理性というものが、それを包み隠してしまう。
「あの、えっと佐々木さん。大丈夫ですか?」
――――おい、じじいハンマーを出せ!このババアを一発殴らにゃ気がすまん――――
俺は心の中で茨城県産の神に語りかけた。
「ほいきた♪マハリク、マハリタ、(以下略)」
ハンマーは鉄パイプに姿を変えた。
俺はそれを握り締め、ババアの脳天に勢い良く振り下ろした。
が、すっきりはしない。
ババアを殴っても自分の仕事が片付くわけでもなく、むしゃくしゃが自分の中で増大していくのがわかった。
腹が立つ。
何もかもが上手くいかない。
見るもの全てが癇に障った。
不意に幸せそうに道を歩くカップルを思い切り殴ってやりたい衝動に駆られる。
御しがたい負の感情が心を支配していく。
――――世界中ガ壊レテシマエ――――
そんな思いでハンマーを握ると、それは核兵器に姿を変えた。
刹那ドアをノックする音がする。
「来ちゃった。えへへ」
そこに現れたのは庶務課の松本さん。
「山根部長から連絡があって、今日更科さんが出勤してるから、手伝ってやってって。ほら差し入れにミスド買ってきましたので、お茶にしましょ♪」
俺の手の中のハンマーがピンクの小さいハートに姿を変える。
「あら、私はなにをしていたのかしらねえ」
おばちゃんがその場で目を覚ます。
「パソコンの配線に足を絡ませて、こけてしまったんですよ」
殴った俺としちゃあ、少し罪悪感を覚えないでもない。
おばちゃんは顔色を変える。
「そうかい、でパソコンは大丈夫なのかい?大切なデータが入っているんだろ?」
俺はとりあえずパソコンを立ち上げてみる。
そう深刻な状態でもないようだった。
それでも、今日一日休みは返上で作業しなきゃならないようだけど…。
「まあ、なんとかなりそうです」
「そうかい、そりゃ良かった。私実は今日出勤する人達の為におせち作ってきたんだわ。
せっかくだから、みんなで食べようよ」
――――奪い合えば足らぬ。分かち合えば余る――――
不意に脳裏に相田みつおの言葉が浮かんだ。
「山根部長も呼んでさあ」
そういってしまったのは不覚にも俺だった。
不意に俺の意識下にいる茨城県産の神が脱皮をはじめる。
――――な、なに?――――
びろんとした不気味な皮を脱ぎ捨てると、プリンとした美少女に変貌を遂げる。
――――私は、十字架天使です――――
――――ビッ○リマン???――――
いえいえ、そうではなくて、あなたの心が私を天使にかえたのです。
景気低迷で今日本中のみんなが茨城県産の『いじやける』の状態なのです。
ですが、たとえどんな状況であっても誰かの心の中に幸せの種を植えることは可能なのですよ。本当の幸せとは、誰かを殴ることじゃなくて、誰かの心に幸せの種を植えることなのですよ。
――――えらく説教くさい内容ですね――――
――――すいません。作者の力量不足です――――