契約
「契約?」
首を傾げるリリーにガンタイは一枚の紙を差し出す。
そこには数行の文が並び、最後には名前と母印を押す欄がある。契約書だ。
契約書はリリーも何度か目にしたことがある。
それは自分の魔法学校での入学手続きの際や行事、後はお父さんの仕事の書類の中でだ。
手渡された契約書を持つリリーの手は暗い森の中で浮き上がる。白く滑らかな手にガンタイはいつか遠い地で食べたトウフを思い出した。
あぁ、懐かしいな
思わず浮かべた笑みの歪みにガンタイ自身もリリーも気づかない。
ガンタイは静かに席を立ち、手の中の契約書を見つめるリリーに跪いてみせる。
ついた膝は青い草の汁が、水分をたっぷりと蓄えていた土が
汚す。
「よければ私と師弟契約を結んでいただけませんか?」
まるでプロポーズでもするような告げられた言葉にリリーはガンタイを見下ろしたまま、目を閉じ静かに呼吸をした。
そして再び目を開けた時、ガンタイは思わず息を呑んだ。
その瞳はまるで月明かりに反射する剣のようなだったからだ。
リリーはリリーである前に良家アイラ家の一人娘である。
時に自分の判断が家を、家が納める領地を危険に晒すことをリリーは知っている。
リリーは思う。
ガンタイの魔法の腕前はリリーが知る魔法使いの中でもトップレベルである。
そんな人を師匠に迎えられるのであれば目的である一人前の魔法使いになる近道になるだろう。
だけど落ちこぼれのリリーを弟子に取るメリットがガンタイにはあるのか。
あるとするのならそれはリリーにではない。
良家と言われるアイラ家の娘リリー・アイラにだろう。
「何が目的ですか?」
拒絶さえ感じる凛とした声はただの落ちこぼれの娘ではない。アイラ家の一人娘としてガンタイを見下ろす目はまるで鏡だ。
ガンタイの胸を不安がよぎる。
全てを見透かされているのではと背中を一筋の汗が伝う。
だけどその目から目を逸らすわけにはいかない。
今も自分を捉えて離さない青銅の瞳を睨むように力を込めて見つめ返す。
「リリーお嬢様が魔法使いとして名をあげ、その名を上げた魔法使いの師匠になることが私の目的です。」
この言葉には嘘ひとつない。
「なぜ名を上げた魔法使いの師匠になりたいのですか。そしてなぜ私なのですか。」
「理由はお話しできませんが、名を上げた魔法使いの師匠になる必要があるのです。」
これも本当のことである。
「そしてリリーお嬢様を弟子にしたいと考えた訳はまずリリーお嬢様はアイラ家のご令嬢であります。魔法を扱う素質は十分にあるはずです。それなのに魔法学校では落ちこぼれであったというのは理解ができません」
アイラ家のご令嬢なのに落ちこぼれなのはおかしい。
捉え方によっては侮辱とも取れる。
実際リリーは反論こそしないが悔しげに口を結び、その瞳には悔しさや怒りが見える。
だがそれがガンタイの狙いである。
ガンタイはニヤリと口角を上げ、雄弁に語る。
「私ならリリーお嬢様を誰よりも素晴らしい魔法使いにすることができます。」
「1年あればお嬢様が魔法を使えば誰もが足を止めるでしょるでしょう。」
「2年あればその杖を出しただけで周りに人が溢れるでしょう。」
「3年あれば貴方が歩けば人を道を開けるでしょう。」
「お嬢様の努力次第でその全てがもっと早く可能となるでしょう。私にはお嬢様をそのような魔法使いにする自信がございます。」
この言葉はほとんどが嘘である。
リリーも眼帯もお互いから目を逸らすことはない。
揺るがない瞳がひたすらに交わった。