1.88 エルフは薄味がお好き
エルフは味が薄くて出汁が効いている料理が好きです。あとナッツとキノコが好きです。
え? 「せっかくファンタジーなんだからもっとファンタジーらしいものを出せ」ですって?
そりゃ『ファルシのルシのコクーン風』とか名前だけならいくらでも出せますけどね、そんなの出したって味の想像ができないじゃないですか。これの作者って表現力ないですし仮に未知の食材を出したとしても知った味に置き換えて説明することになるわけです。「このミノタウロスってやつは牛肉みたいだ」とか。まあ前世ですら「ワニってどんな味?」「鶏肉に似てる」なんて言われてたわけですし知らない味を表現するのは難しいのでしょう(ダンジョン飯の作者ってスゴイですよね)。
結局牛肉や豚肉で例えることになるなら最初から牛肉や豚肉を使った方がいいと思うのです。「うーん、このベヒーモスってやつの味はゾウの肉とそっくりだ!」とか言われても困りますよね?
そうですね、試しにちょっと変わった料理を作ってみましょうか。
というわけで前世で近所の料亭の板前に教えてもらった料理を軽くアレンジしてみました。
まずは栗を茹でて潰して裏ごしします。ボウルに卵黄(銀貨一枚!)を溶いて、そこに少しずつ油を入れてひたすら混ぜます。卵は室温に戻してください。油は栗の風味を邪魔しないよう臭いの少ないものを使ってください。今回は比較的上等なヒマワリ油と、隠し味に溶かしたバター少々を使いました。油がしっかり乳化したら栗を加えて空気を含ませるように混ぜて栗のムースを作ります。
次に薄切りの栗を炊きます。昆布もカツオもないのでお店で使っているブイヨンで。キノコも一緒に炊いてやりました。
それから鱒の切り身に栗ムースを乗せてオーブンで軽く焼きます。このとき火が通り過ぎないように注意してください。いったん取り出して薄切りの栗を飾って、またオーブンで焼きます。
焼けたらお皿に乗せて上にフェンネルを飾り、隣にキノコを添えてできあがり。
「どうぞ、『トラウトの丹波焼イーデーズ風~森のキノコを添えて~』です。栗の風味で季節を感じ取るがよいです」
エルフならこれきっと好きな味ですけど、人間たちにはどうでしょうか……?
「?」
「?」
「味がない……」
ほーらよくわかんないって顔してます。絶対こうなると思いました。
こいつらにウケが悪いだけでなくて読者の方だって味が想像できないことでしょう。誰でも知ってる食材しか使ってませんのに。こんな古典的な料理は今時作る板前もいないでしょうし、食べたことのある読者ってほとんどいないのではないでしょうか。
未知の料理を出すよりイオンネットスーパーでお取り寄せした市販のタレを使った方がよほど潔いですし共感も得やすいというものです。
というわけで今後とも味の想像がしやすい料理を作っていきたいと思います。
「おはようございまーす!」
私は今日もこの新しいお店『森の妖精亭』のドアをくぐった。開店準備で毎日忙しい! でもワクワクとハラハラが一緒にやってきててなんだか落ち着かなくて、体を動かしてる方が気が紛れていいのだった。
「おはよう」
お店にはもうデリラおばちゃんとマリーがいて、厨房で鍋と火のセットをしていた。今日もメニューを決めるための試食会だ。リンスの姿は見えなかった。まあ落ち着きがないし、どこかにフラフラ行っちゃったんだろう。
そう思ったから何の気なしに「今日はリンスまだ来てないんだ」というと、おばちゃんとマリーは困り顔になった。
「どうしたの?」
「うーん……来てるけど。来てるんだけど……」
「それが試食のしすぎで丸くなっちゃってねぇ」
「へぇー、エルフでも太るんだ」
「いや丸くなったんだよ」
そう言っておばちゃんが指さした先に変な物体があった。いや、いた? 前にリンスが作った「肉まん」とかいうおっぱいみたいな形の食べ物とよく似た物体が。
抱えられないほど大きい! その大きなむにっとしてつるんとした肉まんには長い髪と長い耳が生えて、顔(?)の真ん中の大きな目と口が、あったかいお湯に浸かったときのような……なんというかすごくゆっくりとした表情でくつろいでいた。
「丸い! 白くて、丸い!」
「いまどき中村九郎ねたがわかるどくしゃなんていませんよー」
気の抜けた声が肉まんの真ん中から聞こえた。しゃ、しゃべった!
「いやこうはならんでしょ」
「なってるじゃないか」
そりゃなってるけど。私はそのリンスという名前の名状しがたきものをつついた。わっ、やわらかっ。押したら押しただけ指がむにーっと埋まる。逆につかんで引っ張るとうにょーっと伸びてぷつんと取れた。
「わー! ちぎれちゃった!」
「つけたらもどりますよー」
なんて名称リンスがいうので慌てて押しつけたらポタージュにポタージュを垂らしたときみたいにゆっくりと溶け込んで跡形もなく元に戻った。
「ねえ、本当にどうなってるの? これ」
「こっちが聞きたいよ」
「ぶんれつするときはあらかじめたんじゅんないしとういつをしておくのです。もとどおりひとつにもどるとか。まああいことばですね」
「へー」
私はそのもちもちリンスを抱え上げた。いや持ち上げようとしたんだけど、柔らかすぎて抱えた腕の隙間を通って流れ落ちた。リンスはゆっくり顔のままべしゃっと床に落ちて、ゴロンと前転して、勢いのまま転げ続けて開けたままだったドアから出て行ってしまった。
「こーろこーろしますぅぅぅ」
で、向こうの建物の壁にバーンと当たってバラバラに分裂した。うわ、それぞれに顔と髪がついてる! 小さくなって勢いがついたリンスたちはあちこちに転げて散らばった。あー、角に当たってまた割れてるし!
「……あああ、待ってー!」
呆然と見ていた私とマリーは慌てて箒を手にしてリンスを追いかけた。
…………。
「やれやれです。ようやく元に戻りました」
何とかかき集めて押し付けたらリンスはひとつにくっついて、元のエルフに戻っていた。あまりに小さくなってしまった部分は回収できなかったんだけど……。
「1800に散らばった肉片のうち1500と少しが回収されました。今お前と話しているボクはさっきの体全体の80%ほどなのです。まあ300は余分な増えた部分ですね。『彼ら』は細かくなりすぎてもう連絡がとれません」
「へーそうなんだ」
どうなってるのこの不思議生物。
まあそれはともかく、こういうわけでイーデーズのすみっこには今でもリンスのかけらが挟まっているのです。