1.79 試飲
そのジジイのドワーフはアイテムボックスから樽を出しました。使い古した樽です。お腹に蛇口がついています。ジジイは蛇口をひねって小さな金属のカップにほんの少しのお酒を注ぎました。ケチな奴です。
「そこまで言うならほれ、確かめてみろ。きついぞ? おぼこいエルフに飲めるかの?」
「エルフが見た目通りの年だとは思わないことですね」
まあボクは見た目通りの年ですけど。
カップに鼻を近づけて、ふわっと立ち上る香りに正直驚きました。薬草とか言ってましたけどあのドワーフたちはアホですね。この香りのどこが薬なのでしょう。良薬は口に苦く、この甘い香りは絶対に体に毒と決まってます。
そのお酒は強い蒸留酒でした。口に含むなり舌の上に焼けつくような甘さが広がり、幾層にも入り組んだ香りが鼻腔を突き抜けます……。こんなに複雑で快い香りは森の外に出てから初めてです。思わずビックリしたらジジイがニヤついてました。ムカつきます。
「この香りの正体がわかるか? ん?」
耄碌ジジイは小癪な態度を取りました。いちいち挑戦的なドワーフですね!
「フン、エルフの味覚嗅覚をバカにしないでほしいですね。いいでしょう、まず立ち上るのは焦がしたオーク樽に由来するバニラ香。またかすかなアーモンドの香り。ごくごくかすかな……クローブ? この香りには覚えが……。……ああ、そうですか! これはワインが入っていた樽を使ったのですね」
「うぉっ」
ジジイが声を漏らしました。フフン、驚いてます。
「そして八年、いえ十二年以上の歳月がもたらす熟成香……。それらの香りを下から支える香りの元は……干し草……枯草……。……」
覚えのある匂いなのですよ……。あの牧場の、草でもなく馬糞でもなく……。
……そう、枯草より馬糞の方が近い……。いえ、これはむしろ土の下で発酵した青草の香り……。
────!
その時ふいに頭の中で香りの記憶が結びついてチカッと火花を散らしました。
「……まさか、泥炭ですか? 蒸留に使った泥炭の香りが移った……?」
「……わかっとるじゃないか」
ジジイがよろめきました。
「わかっとるじゃないか。いや、本当に驚いた。この香りの正体を見抜かれたのは初めてだ」
いやそれってほとんどウィスキーじゃないですか。知ってたからわかりましたけど知らなかったら絶対にわかりませんよ。前世では未成年で香りをちょっと嗅いだだけで飲ませてもらえなかったのにまさか異世界で飲めるとは。これ多分前世でも売れる味です。
「もう四十余年も前になるか。鍛冶屋を引退したワシは余生を酒造りに捧げようと思い立ち、修業を重ねながら王国中を巡り歩いた。そしてここでとうとう理想の燃料と樫の樽に出合ったのだ」
「──なるほど、確かにこいつはこの国で一番です! お前、独りで酒の歴史を三百年は進めましたね」
「ふふん、そうだろう、そうだろう」
得意げな顔をしています。ちょっと癪なので仕返ししてやることにしました。
「では代わりにこれをあげましょう。エルフの酒、とくと味わうがいいです」
森から持ち出したワインを一瓶、アイテムボックスから取り出します。普通ならオーマの産物を外界の連中に与えるような真似はしないのですけど今回は特別です。瓶と対になったグラスをひとつ差し出し、ワインを注いでやります。
ジジイ──確かオルド、はまずクンクンと香りをかいで驚きの表情を浮かべ、そして一口含んで目をむきました。
「な、なんじゃこれは!」
口の中でクチュクチュと空気を含ませて香りの正体を確かめようとしています。
「葡萄酒は葡萄酒だがこんなワインはかつて味わったことがない。まずグラスから立ち上るこの香りよ。痩せ切った最良の葡萄畑から取れる最良の果実……それも若い果実ではない。年増女の落ち着きがある。一体何十年の古木なのか……。また口にすれば奥から鼻腔へと抜けてゆくこのニュアンス……桃でもない、プラムでもない……熟したベリーがもっとも近い……ブドウの香りがこんなことになるものなのか? そしてこの舌触りの滑らかさはなんだ……若い娘の肌とてここまでではない。一体何年寝かせればここまでの……。度数が低いのが唯一のネックか? ……いやしかしこれ以上高くしたらバランスが崩れる……むむむ」
考え込んでしまいました。
「酒とはなんと難しい……そして素晴らしい! この世にこんな美味い酒があるとは、長生きはしてみるもんだ!」
「ふふん、どうです? エルフの酒は」
「いや……言葉もない。ワシの酒と方向性は違うが、これはこれで一つの頂点だな」
「では交換という事で」
「いいだろう」
もらった樽をアイテムボックスにしまいます。一樽(五十リットルくらい?)と一瓶(エルフの規格で三リットルちょい)を交換です。ちょっと得しちゃいました。
「いや、悪かったな。ここ数年な、酒の味もわからん癖にやれ売ってくれだのタダで飲ませろだのとたかりにくるダラズばかりで辟易としとったのよ。お前のように味のわかる奴なら大歓迎だ」
「それは災難でしたね。利益になると思えばいっちょ噛みしてやろうというアホタレはボクのところにも来ましたよ。全員自分の立場をわからせてやりましたけど」
ボクたちはどちらからということもなく握手しました。ぶ厚い乾いた手が力強く握りしめてきます。エルフではあり得ない異種族の、しかし確かな職人の手でした。
「それではまた。今日は思いがけず楽しいひと時を過ごしました」
「おう、また来い。しかし何だ、この瓶は美しいな……」
オルドは瓶を撫でさすりながらつぶやきました。
「まさかダイヤモンドか?」
ボクたちの使う酒瓶は前世のそれとは形が全然違います。真球の表面を複雑にカットした瓶です。注ぎ口はついてますけどね。カッティングのおかげで瓶の表面はそれこそダイヤモンドのようにキラキラ輝いています。オルドは小さなハンマーを取り出し瓶を軽く叩きました。「キーン」と「チーン」の間の高く澄んだ音が長く尾を引いて部屋の隅まで響きます。
「うむ、この響き、ダイヤモンドではないな。ガラスに金属を加えてある。鉛か? ……いやこの軽さ、鉛ではないな。チタンか? アルミニウムか? いや、それでガラスがこんな風になるもんか……むう……」
「目が高いですね。そいつはミスリルガラスです」
「……は?」
「ガラスにミスリルを添加したものですよ」
「ミスリルを? 酒瓶に?」
「ミスリルを加えると美しくて割れなくて温度を伝えないガラスになるのです。酒瓶にはもってこいでしょう?」
「そりゃそうかもしれんが……いや、でもなあ!」
「酒瓶が嫌なら普通に使うといいです。ドワーフならミスリルの分離はお手の物でしょう。体積分率で18%は含まれてるはずですから、靴の裏にでもするといいです」
「おい、いくらなんでもこんなものもらえんぞ!」
「やったもの返せとは言いませんよ。用が済んだので今日はバイバイです」
リンスはあの顔でそこらの冒険者よりよっぽど下品なことを言い出すからビビる。あれじゃドワーフかラーナだよ。
でもドワーフたちは気が合わないみたいで、リンス抜きなら美味しいお酒を出す店を教えてくれるというのでホイホイついていくことにした。
おばちゃんと、あとナナに声をかけた。ドワーフと飲むと死にそうになるから。こいつ飲まないし回復魔法を使えるし、潰れても助けてくれるでしょ。多分。
ラーナ? あれを呼んでもドワーフが一人増えるだけじゃない。ノンナ? 同じ。
ドワーフが紹介してくれた酒場のビールはさすがのものだった。昨日のレストランのより安いのにおいしい!
「やー、このビールはおいしいねえ! 串焼きはうちのだけど」
なんておばちゃんが言った。はい、私が焼きました。他の料理も近所の屋台のです。
まあビールはおいしかったので気分よく飲んでたらドワーフの一人が「エルフという連中はナチュラルに人種差別主義者だぞ。あまりまともに付き合わんことだ」なんて忠告してくれた。そうかな……? そうかも……。
「リンスっていえばさぁ、朝のあれって何だったの?」
ずーっと気になってたので聞いてみた。でもドワーフたちは何のことかわからなかったみたいで、一斉に首を傾けちゃった。
「あれとはなんじゃい」
「ほら、リンスとなんかジェスチャーでやりとりしてたじゃない」
っていうとドワーフたちは渋い顔でジョッキを置いた。
「あやつ冒険者をやめて商売人なんかになりおっただろ? だから俺は言ってやったのよ、『お前はエルフの癖にカネのことばかりだな』とな。すると奴は『お前が身に着けているのはカネで買った金ではないのか?』と返しおった」
「そこで今度は俺が言ったのだ、『金ばかりではない、ドワーフには十の重要な鉱物がある。すなわち金、銀、銅、錫、鉄、チタン、コランダム、エメラルド、そしてオリハルコンとミスリルだ。それらはカネで買えるから尊いのではない』、とな。すると奴は右目を指して左目を瞑り、『お前たちが大切にするのは目に見えるものばかりだな。エルフは見えないものをこそ尊重する』と来た」
「そこで最後に儂は地を指して『そんなことはない、それらは大地の下にあって目には見えずとも確かに存在し、カネに頼らずとも自分たちで掘り出すのじゃ』と示した。すると奴めは『見えないものを見出すのは叡智の働きである』と答えおった。完敗じゃ」
「はえー、すっごい」
あのジェスチャーがそんな攻防になってたなんて!
って私は感心してたのにナナったら、
「リンスさんそこまで考えてないと思いますよ」
だって。真顔でなんてこと言うのこいつ。




