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1.72 元個室付き浴場

「ではさっそくToDoリストを作りましょう。やるべきことは何ですか? 必要なものはありますか? 頼りにしてますよ」

 ボクってまともに働いたことがありませんからね。何をしたらいいのやらさっぱりわかりません。おばちゃんは屋台を継ぐまではレストランの厨房で働いていたということですので、経験者に全面的にお任せします。


「そうだねぇ、まずはお店の方向性を決めることだね」

「ボクが決めるのですか? おばちゃんのお店なのですからおばちゃんが決めてくださいよ」

「買ってもらったお店の方針を決める度胸はないよ。リンスちゃんが決めてよ。まず酒場にするのか、レストランにするのか。今のこの内装はちょっといかがわしいから変えなきゃだけど、酒場かレストランかで全然違うからね。ああ、部屋があるから宿屋もやらなきゃだね」


 そう言えば部屋があったのでした。ここっていつもの酒場の私娼と違ってグレード高めの売春宿でしたので、割とちゃんとした個室がついています。少なくともボクがねぐらにしている木賃宿よりは上等です。


「うーん……」

 しばしシンキングタイムです……。


「……それではまずホテルですが、女性専用にしましょう」

 それというのも部屋に排水設備があるのです。つまり体が洗えます。


 実は普通の宿屋にはお風呂がありません。水道のお話になりますけど、この町ではずっと上流の水源地から水を引いています。引いてきた水は町の西側の浄水施設で処理されて、町の下に張り巡らされた地下水路を通して生活用水として送水されます。浄水とは言っても沸かさないと飲めませんけれども。地下水路は町中を通ってはいますが、ここから各ご家庭への配水は水道料金がかかります。ですので敷地内に井戸があるのはホテルとか公衆浴場とか個人ではお金持ちの家だけです。庶民は街角ごとに設置された共用井戸の水を汲んで家まで持ち帰るのです。この水は無料ですが井戸の清掃は町内会の負担になります。

 さて使った水は捨てなければなりませんが、これは各家庭にちゃんと下水道があります。町の地下いっぱいに上水道と下水道が並んで走っているそうです。それって衛生的にどうなのでしょうか? と思ったのですけど、何でもどちらも本管は魔法で作られた大理石の一枚板でできているそうで、下水道から染み出した汚水が上水道を汚染する心配はないようです。


 ところでこれは笑い話なのですけど、この一連の上下水道システムは実は百年ほど昔にアイレーニアが教えたものだそうなのです。ボクは人間の言葉ではトイレのことをplanoと呼ぶと教わっていたのに、人間たちにそういうとしばらく考え込んで、「ああ、lenieのことね。古い言い方でわからなかったよ」などと言われました。

 つまりこの新しい下水道方式はその提唱者の名前にちなんで人間たちの言葉でIlenian plano、日本語風に直すとアイレーニア式トイレと呼ばれているのです。アイレーニアを略してレーニエ、ということのようですね。人間世界ではどうやらアイレーニアの名前がトイレの代名詞になったようです。古い努力が実ったようですよ。よかったですね。

 というわけでその旨をインスタにアップしたところあとでアイレーニアのお怒りコメントとリーンの爆笑コメントが同時に届いたのでした。


 まあそれはそうと民家に下水管を何本も配置するのはコストや技術の面で難しいため、大抵の家ではキッチンとトイレにしか排水口がありません。またこの町の建築物は基本的に木造で床も天井も木の板です。なので水を扱うことができません。民家のキッチンは大抵土間です。お風呂がある家と言うのは相当なお金持ちに限られ、庶民は町中にいくつもある公共浴場を利用しています。最上階にお風呂があるいつもの高級ホテルはこの世界の基準では本当に高級なのです。

 ところがこの建物には部屋ごとに排水設備がついています。床も一部がタイル張りになっていて水を扱うことができるようになっています。女の子が体を洗ってくれて、そのお湯をそのまま捨てられるようになっているわけです。これまでの普通の宿屋では基本的に客室の中へは飲用以上の水は持ち込めませんでした。お風呂なんて夢のまた夢、トイレも便壺か共同トイレですね。ボクが宿屋に泊まるときは個室にしてますけど、たいていの冒険者たちは節約のために大部屋で寝泊まりしてます。こういうところは便壷式のおまるなので、一緒に寝泊まりしている冒険者たちは文字通りの臭い仲なのです。

 ここは浴槽と洗い場を合わせて畳2畳弱しかありませんし、給湯設備まではありませんのでお湯は自分で持ち込まなければなりませんけど、ないよりはかなりマシです。


「女性しか泊まっていないとなれば男のいらない女性客は安心して泊まれますよ」

「そうかもしれないね」

「それにここって元売春宿じゃないですか。思い切って男子禁制にした方が健全な宿に生まれ変わったのだとアピールできます」

「そういうこともあるかもね」

「公衆浴場まで行かなくても部屋で体が洗えるというのは大きな売りになると思いますよ」

「それはどうかねえ。あれはあれで好きな人もいるんだよ」


 この世界では職業の適性は生まれや育ちや性別よりも神様に与えられた加護の影響の方が強いので、女性の旅人、女性の行商人というのも大勢います。ですので需要が多くて男性専用の宿・女性専用の宿というのもそこそこあります。でも社会の発展の未熟さのためにそれらが顧客の要求を十分に満たしているとはとても言えません。女性が身ぎれいにしていたいというのは当然の欲求ですので、今までなかったお風呂付の部屋というのは彼女たちに対して強烈なアピールとなるはずです。


 ──というのは口実で、実のところ体を洗えるボクの部屋が欲しかったのです。だって前にも言ったようにボクって公衆浴場を使いにくいのです。お風呂に入りたければ例のホテルに泊まらなければなりません。いえ、今なら毎日泊まれなくもないのですけど、それだと今度は女たちにおごれなくなっちゃいますしね。衛生面は魔法で何とかなるとはいえ気分の問題で体を洗いたいのです。このままうまくいけば角部屋を借り切ってボク専用にするつもりです。

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