1.41 森のジビエ・天然鹿肉の魔法のロースト
十時までゆっくりしてからチェックアウトしてのんびりとギルドに向かいました。と言っても昨日仕事しましたので今日は働くつもりありませんけど。
ギルドは閑散としていました。クランの連中は昨日聞いた通り、何とか足が立つようになった二人の案内でゴブリンの回収と検証のために例の洞窟に向かったみたいです。
ボクはギルドを出ていつものおっちゃんたちと軽くあいさつを交わしながら屋台を眺めてぶらぶら歩きました。
ところで今朝はホテルでモーニングを取りましたけど、普段のボクは相変わらず屋台でごはんを食べています。この世界のお金を手に入れたにもかかわらずです。
この町の外食事情を説明すると、かなりの住民が昼は屋台、夜は酒場で食べています。安めの賃貸住宅だとか商店だとか工房だとキッチンがないところも珍しくないそうなのです。
屋台は酔っ払い相手でないだけあって中にはマシなものも混じっています。でもこの町の屋台って朝昼だけで夜はやってないのですよ……。何故なら夜はみんな(もちろん屋台の店主たちまで!)酒場に行っちゃうので。なんでも町の法律で屋台での酒類の販売が禁止されているのだそうです。もう半世紀も昔、そんな法律がなかった頃は道路がめちゃめちゃ汚かったとのことで、当時新しくやって来た領主がそれを嫌がって路上での酒類の販売および飲酒を禁止する法を制定したのだとか。屋台を営業したままではお酒が飲めない店主のおっちゃんおばちゃんたちは店を閉めて酒場に行っちゃうわけです。
で、この酒場が最悪です。どうせ酔っ払って味なんかわからないだろうとでも考えているのでしょう。クランに入って最初に連れて行かれた冒険者御用達の安酒場が代表的ですけど、何を食べてもひどいです。酒もまたひどいビールかひどい蒸留酒しか選択肢がありません。
この世界における農業はコビットが始めたと言われていて、初めて大麦を栽培したのも彼らならビールもまた彼らが最初に発明しました。コビットと古くから親交があったドワーフたちはビールの造り方を学び、そこから蒸留酒に発展させました。一方でボクたちエルフは森の木々を品種改良して木の実や果実を食べるというまったく異なる農業形態を発展させました。ですからお酒も果実酒で、ことにブドウのワインを愛しています。この世界で芸術と呼べる域に達した酒はこの三種だけです。人間たちが見よう見まねで作った粗悪な劣化コピーは味は二の次、とにかく酔っ払うことだけを目的としているようです。このところ女冒険者たちと利用していた酒場は相当気の利いている方なのですよ、どうやら。
昼は屋台でつまむとして、今夜はどうしましょうか……。実のところお金をほとんど使い果たしてしまったのでもういつもの酒場で気勢を上げることはできないのです。かといって歓迎会で使った酒場なんか行く気にもなりませんし。あのホテルの朝食を食べた後にあんなの口にしたくありませんよ。食事というか栄養補給のためのエサのような感じで、食べると胃が膨れる代わりに心が冷えてゆきます。くっ、カルスの言うことを馬鹿にしてました。
……たまには自炊でもしてみましょうかねぇ。ボクは料理らしいことあまりできないのですけど、まあエルフは度胸、何でも試してみましょう。
アイテムボックスの中に研修の時の鹿肉が手つかずのまま眠っています(後でもらってました)。まずはこいつを処分したいですね。
おバカたちをぶん殴って手に入れた賭け金は女たちにおごって使い果たしてしまいましたけど、川ドラゴンを売ったお金が少し残っていますので、あれこれ買って来ましょう。
というわけで町の中の市場を冷やかしてきましたのでLet's cook! ギルドの横手の何もないところを勝手に借ります。
料理の前にまずは一服。大麦を見つけたので麦茶を作ることにします。
金物屋で見つけたフライパンを魔法で加熱して大麦を投入、色が変わるまで乾煎りします。魔法で無理矢理冷まして魔法で水から煮出して魔法で漉してまた魔法で無理矢理冷まして完成です!
あーこれこれ、これですよ! うーん、懐かしの味。前世のボクの家では麦茶選手はシーズンオフなしでのフル出場だったものです。焙煎から自分でやってる分前世よりおいしい気さえします。
さて、それでは鹿肉の味を確認してみましょう。
うろ覚えですけど、確か赤身の肉の旨味が一番活性化するのは55~58℃だったはずです。生肉って実はたいしておいしくないのですよね。期待感でおいしい気がしてるだけで。それにジビエって衛生的に信用できませんからねぇ。この鹿も捌いてる最中に未知の嚢虫を発見してしまいましたし。食べる気にならなくて半分くらい捨てましたよ。ましてここは衛生観念のカケラもない異世界です。念には念を入れて念入りに加熱します。
衛生を管理するための目安がいわゆる「中心部63℃30分」や「75℃1分」です。これに相当するのは55℃なら……えーっと、五時間くらいですかね。はい、とてもじゃないですけどそんなのやってられません。でもって確か65℃以上で肉の味が変化してしまうはずですので、今回は63℃30分で行きたいと思います。
それでは【実験室】に鹿肉を投入します。一応【殺菌】【ウイルス除去】の魔法をかけてからさらに【加熱】の魔法で肉全体を63℃に保ち、見た者を塩に変える神の光の魔法【神塩】をうっすら当てつつ時間の流れを三十倍に加速……現実時間一分でできあがり! これが本当の時短料理ってやつです。
ではアイテムボックスから取り出して、薄切りにして味見してみます。
……うーん、グラスフェッドじみた赤身です。思ったより悪くはないですけど良くもありません。まず筋張って硬いです。それに脂っけが全然足りませんね。そのまま焼くより煮たり揚げたりした方がおいしそうです。あとやはりどうしても臭みがあります。臭み消しが必要ですがこの辺りってスパイスを売ってないのですよね。ハーブは豊富なのですけど。探してみたのですけど市場には置いていませんでした。それに焼いてない分メイラード反応の香ばしさやカリカリ感はないわけで、どうしても物足りません。
さてどう料理したものか……。