1.40 リンスのお泊りスタイル
ギルドの前庭に人だかりができています。冒険者や職員だけでなく屋台の店主たちや通行人もいます。ボクがゴブリンキングを出したからです。
「これがゴブリンキングなの?」
「でけえな……」
「初めて見た」
「ごっつい」
「普通のゴブリンと全然違うじゃねーか」
見物人たちはガヤガヤと論評したりつま先で蹴ってみたりしています。
「すげえな、傷だらけだ」
「まさかお前がやったのか?」
ギルドの受付のおっさんたちに聞かれたのでボクは「こいつらですよ」と影狼から下りてへたり込んでいる二人を指さしました。ボクがやってたらもっと綺麗に仕留めてますよ失礼な。
「お前ら、やったな!」
「大金星だ」
「いや、俺たちは……」
冒険者たちから口々に祝福された二人でしたけれど、そう力なく口にして、ふるふると首を振りました。
「……あんなのと喧嘩したマルクは本当にバカだ」
ゴブリンキングの死体と金棒はギルドに進呈しました。正直いりませんし。そして二人の報告で偵察は一応成功したということで、報酬として一人金貨1枚ずつをもらいました。
初仕事大成功です! お祝いでお高めのホテルに泊まってみることにしました。この国のお金がなくて泊まれなかった例のホテルです。あの時は森から着て来た服のままで訪れましたけど、人間の世界にも馴染んできたことですしここはひとつ新調した服で……。
えーっと、この国のドレスコードがわかりません。森だとみんな好き勝手な服を着ててそもそもフォーマルなんてものがありませんでしたしね。
まあ前世っぽい服装でいいでしょう。レースをあしらった黒いシルクのロングドレスにカーディガンを羽織って、足元は同色のパンプス。髪はシニヨン風にまとめて手には小さなハンドバッグ──どうです? シンプルないでたちでもボクが着てたらアッパークラスのお嬢様に見えるでしょう?
「いらっしゃいませ」
「宿泊したいのですけど、予約なしでもよろしいですか?」
残念ながら夕食は当日の予約では用意ができないということでしたので部屋だけ取って、夜はいつもの酒場でいつもの女冒険者たちに奢ることにしました。報酬出ましたからね。
「なんかすごいカッコしてる」
女たちがボクをまぶしそうに見ています。
「また見たことない服だ」
「こんなのどこで仕立てたの?」
「高そう」
「自作ですからタダみたいなものです」
布も自家製ですのでコストは魔力だけですね。
「え、毎日違う服着てるけど、もしかして全部自分で縫ってたの?」
「そうですよ」
「でも布は買ってるんでしょ? こんないい生地、高かったでしょうに」
「布も自分で織りました」
「うわスゴ」
「じゃあこれが噂の絹ってやつ? 森のエルフしか作れないんでしょ、絹って」
「あ、そういう感じなのですね」
ボクは魔法で合成できますけどね。他の森のエルフたちは蚕を飼ってるのでしょうか。
「しかし何でもできるなこのエルフ」
「うちの実家も布織ってたけど、羊毛だったナー」
「私子供の頃から裁縫やらされてたけど結局身につかなかったよ……」
女たちはドレスを撫でたり袖をつまんだりワイワイ論評していますけど……一人だけ服に興味のないのがいました。
「へっへっへ、今日もゴチになります」
ラーナが揉み手しながら愛想笑いを浮かべています。もうね、いくらボクでも呆れますよ。
「お前はダメですよ」
「……へっ? 何で!?」
なにしろこいつときたら金さえあれば飲んだくれています。その飲み方も枡で量ってじょうごで飲んでそれでも足りぬと樽で飲むというありさまで、次の日は確実にダウンしてますからね。明日はクラン総出で洞窟内の調査に出かけるという事でクランリーダーから「ラーナに酒を飲ませるな」と名指しで釘を刺されていたのでした。
「──というわけです。メシなら食べていいですから今日はおとなしく……うわ、何ですか」
突然ラーナはガシッ! と腰にしがみついてきました。イヤイヤ期の子供のように首を振って大声でわめいています。何ですか二十歳にもなって。
「そんなのひどい! 見るだけで飲めないなんて人権蹂躙だー! リンスの鬼! 悪魔! エルフ!」
「何でそのふたつとエルフを並べたのか聞かせてもらおうじゃないですか」
「禁酒やーやーなの! お酒飲むうううう!」
「うるさいですね!」
あくまで酒を飲むと駄々をこねるラーナを縛り上げて馬小屋に放り込んでおいてボクはホテルに帰りました。他の連中は飲んでましたけどアレを見た後ではそうハメも外さないでしょう。そう信じます。
ホテルに戻ると最上階のスイートルームに通されました。最上階と言っても十階ですけど。しょせん田舎の小さな町、ドワーフの技術ならもっと高い建物も建てられるでしょうけど、経済力と需要はこの辺りが限界でしょう。
「あ、外が見えます」
とはいえ感心するところがないわけでもありません。なんと窓にガラスが嵌っています。この町に来てから一枚板のガラス窓なんてシロモノを見たのは初めてです。
ガラスの向こうに町の灯が見えています。軒先に灯火を提げた建物は酒場でしょう。普通の民家には火が灯っているなんてことはなくて、夜景はちょっとショボいですけど。
あれですね、前世のことを思えばなんとも静かな町です。え、エルフの森ですか? うちの森は静かなときは静かなのですけど騒ぐときはどんちゃん騒ぎですからね。そしてしょっちゅう騒いでいるという……。
内装はちょっとゴテゴテしています。重いカーテンがぶら下がっていたり、部屋の真ん中に天蓋付きのベッドが据え付けてあったり。見た瞬間笑っちゃいましたね。今時天蓋付きのベッドって。人間のコンセプトはエルフのそれとは全然違ってて面白いですね。お布団が羽毛でフカフカなのは評価ポイントです。
壁の明かりは魔法の光です。文机はマホガニー、ウェルカムドリンクはワイン、そして何より部屋にお風呂がついています。これはナイスです! 久しぶりに足を伸ばしてお風呂に浸かることができました。貴重なエルフの入浴シーンですのに文章でしかお送りできないのが残念です。ええ、本当に。衛生面は魔法でどうにでもなるとはいえやはりゆっくりとお風呂に浸かると気持ちがいいですからね。この町にはいくつか共同浴場があるのですけどさすがに人間と一緒に入る気にはなりません。人間に素肌を見せる気にはなりませんし、男湯に入っても女湯に入っても騒ぎになりそうですし。
朝食は食堂の特等席を用意されました。白い壁はいつもの安酒場と違って漆喰で仕上げられて、魔法の明かりで照らされて柔らかな光を返しています。テーブルクロスも真っ白で食器もピカピカです。残念ながらBGMはありませんでしたので、魔法でバッハ作曲帝国ホテルの朝食ビュッフェのテーマみたいな曲を勝手に流してやりました。他の宿泊客にも好評なようで良かったです。困惑しているようにも見えましたけど、気のせいでしょう。肝心の食事も外に出て来てからは一番上等でしたね。
いやー、一泊朝食付で金貨九枚だけの価値はありました。銅貨五枚のギルドの馬小屋も悪くないですけど、たまにはこういうところもいいですね。