1.4 どんどん行こう
「何だ今の音は!」
ガシャガシャと身に着けた金具を鳴らして男たちが駆けつけてきました。簡素な鎧に身を固めて抜き身の剣をひっ提げた男と、作業着を着て農作業用のフォークを担いだ農夫らしき男の二人です。
「ノーラ、大丈夫か?」
ノーラというのがこの牛娘の名前のようです。父親らしい農夫が声を掛けるとノーラは腰を抜かしたまま這いずってその太ももにしがみつきました。
「どうした、何があったんだ?」
「あうあぁぁぁ……」
「おい、落ち着け」
言葉になっていませんね。ノーラはガクガク震えるばかりで、農夫も困惑しています。
武装した方の男はボクを見ると剣を収めてほっと息をつきました。
「なんだ、エルフか。珍しいな。どこから来たんだ?」
あれ、森の外にもコモンエルフだかタウンエルフだかいう連中がいるはずですけど。会ったことないのでしょうか?
「この森からです」とボクは森の奥を指差しました。
「ここがアリノスですか?」
「アリノス……? いや、知らないな。ここはイーデーズのはずれのバリードという土地だ」
「バリード? 知らない名前ですね……」
お互い首をかしげていると、後ろから農夫が「はあ、ずっとあっちの山奥にそういう村があると聞いたことはありますな」と西の方に向けて指を差しました。
「泊りがけの距離だそうで、行ったことはないですけどな」
やっぱり道を間違えてました……。
まあいいです、どうせ目的地はそのイーデーズでした。アリノスはスルーして直行することにしましょう。
「そんなことより今の爆発は何だ!? ドラゴンか?」
「ドラゴンの仕業というかドラゴンが爆発したのですよ。ボクの魔法でキノコ雲に転生させてやりました」
と、まだ上空にくすぶり続けている爆煙を指さします。外の世界へのあいさつ代わりの祝砲です。
「ですからもうドラゴンはいませんよ。安心するがいいです」
「ドラゴンを魔法で? 信じがたいな」
あ、胡散臭そうな顔してます。うーん、跡形もないので証明しようがないですね……。尻尾くらい落としとけばよかったです。
「まあいいです、その牛チチ娘に聞いてください。それよりそのイーデーズとやらに行きたいのですけど、どっちに行ったらいいですか?」
「それなら、あっちに向かって真っ直ぐ行くと街道に出る」
と男は指を南の方に向けました。
「街道に出たら右の方にずっと行けばイーデーズだ」
「そうですか。それじゃ行ってみます」
三人に手を振るとノーラは怯えて農夫の後ろに隠れてしまいました。どうやらフラグ構築を失敗したようです。残念。
森の端から始まった牧草地帯は広々とどこまでも続いています。前世で旅行した北海道の牧場みたいです。観光気分でふらふらぷらぷら、十分も歩いてようやく街道らしき広い道に出ました。
道は一応石畳です。いえ敷設された当初は石畳だったと言うべきでしょうか。葺石は摩耗し切って隙間に土が詰まっています。詰まってるというか石と土の面積がほぼ同じで、小さな青草があちこちに芽を出しています。作られてからいったい何百年経っているのでしょうね?
まあボロい道ですけどこれまでと違って前にも後ろにも人の姿が見えます。生意気にも車道と歩道が分かれていて、間に切られた排水のための溝が歩車道の分離帯を兼ねているようです。歩道は幅1mほど、車道は幅4mほどで、どうやら右側通行の二車線のようです。近所の農民や荷物を担いだ行商人らしき旅行者や冒険者らしき武装した男たちが歩いていたり、車道には野菜を積んだ荷車や客を乗せた馬車がすれ違っています。
確かに町に近づいている感じがしますね。
街道はだだっ広い野原の真ん中を突っ切っています。つまり道の外はだだっ広い草原です。馬の群れが走っていたり、羊飼いの男に導かれた羊の群れが街道を横切って行ったり……なんとものどかです。
ところでこれメチャ広いのですけど、もしかして全部牧場なのでしょうか?
……三時間くらい歩いたでしょうか。まあそのうち一時間くらいは羊と道草食ってたのですけど。ボクは今小高い丘の上にいます。目の下のずっと先に大きな湖が見えます。森の中から流れ出る川が集まってできているみたいです。湖の真ん中より東寄りのあたりから南に向かって一本の河が流れ出していて、今歩いている街道は幅の広い石橋でその河を横切っています。河の向こうにはずらっと長い白壁が並んでいて、街道はその先の町並へと続いています。
どうやらあれがイーデーズみたいですね。てこてこと坂を下って町へ向かいます。
音を立てて流れる河を渡ると壁までは200mほどで、その間の街道の両脇には屋台が立ち並んでいます。ここで売っているのはほとんど食べ物のようです。のきとのきとがくっつくほどにぎゅうぎゅう詰めの屋台の前と後ろには旅の客と町の住人と屋台の売り子とが押し合いへし合いワイワイガヤガヤお金と食べ物とのやり取りをしています。ごった返す人の波を構成するのはほぼ人間と獣人でエルフはいません。ドワーフはそこそこいますけどコビットは少ないですね。
客車はここで終点みたいでぞろぞろと降りて来た旅客たちは人並みの中に吸い込まれてゆきます。荷馬車はまっすぐ通れず屋台の裏側を迂回して町の方へと向かってます。
ボクはせっかくですから屋台街の真ん中を突っ切ってみることにしました。
左右の屋台から肉の焼ける匂いが漂ってきます。そういえば故郷を出てから何も食べていませんでしたね……。ボクたちは食べなくても死ぬことはないのですけどなんとなくお腹が空いたような気もします。と言うか匂いが食欲をそそります。ふらふらと手近な屋台に引き寄せられると、太りじしのおばちゃんが何かの肉を串に刺して焼いていました。炭火に落ちた脂がじゅっと沸き立って……なんとも香ばしいですねぇ。
「これ、何の肉ですか?」
「いらっしゃい! これは……」
声を掛けると顔を上げた屋台のおばちゃんは返事を途中で止め、しげしげとボクの顔を眺めました。
「あらまあ……なんて綺麗なエルフのお嬢ちゃん! うちで買って行ってくれるのかい?」
いやボクは男なのですけどね。あえて訂正はしませんけど。
「肉によります。ゴブリンやオークならごめんこうむりますね。これは何の肉ですか?」
「そんなもの食べるわけないじゃないか。これは仔羊だよ」
と言いつつおばちゃんは軒先の手描きの看板を指さしました。何かモコモコした動物の絵が描いてあると思ったら、これ羊のつもりだったのですね。
「へえ、この辺りでは仔羊を食べるのですか?」
「これからがシーズンさ」
「ではひとついただきましょうか」
「まいどあり」
さて、懐を探って気づいたのですけど、そういえばお金を持っていませんでした。オーマの森では貨幣経済が浸透していないのです。
「ちょっと待ってくださいよ……何か持ってましたっけ……」
虚空に視線を飛ばしながらアイテムボックスの中を検索します。顔のパーツで福笑いした卵……目が目になってるサイコロ……全自動卵割り機……うーん、ろくなものがありませんね……。
「あ」
たいして役にも立たない道具の群れの中に一袋の金貨があるのを発見しました。あれ、こんなの持ってましたっけ?
首をひねって記憶を探って、そういえばずいぶん前にカルスから古い金貨をもらっていたなと思い出しました。
カルスは食材探しと称してしばしば森の外に出ていますので世界の事情に詳しいのです。そのときはたまたま人間たちの経済活動について会話していたのでした。
「この森しか知らないと理解できないだろうけどな、外の世界じゃ『貨幣』って単位が交換を仲介してるんだよ。物品から情報までなんでもな」
まあボクは前世の記憶があるのでわかりますけどね。
「ちょっと待てよ……これだこれだ」
と、カルスはアイテムボックスから金色の硬貨を取り出しました。見た目通りなら金貨ですね。
「やるよ。昔の旅の記念に取っておいたんだけどな、記念品なら一個でいいや」
カルスは袋から取り出した金貨を一枚親指で弾きました。キラキラと光を放ちながら回るコインをキャッチしてアイテムボックスに返して、残りは袋ごとボクにくれたのでした。
「いくらです?」
「一串十アントだよ」
単位がさっぱりわかりません。
「これしか持ってないのですけど」と金貨を出すとおばちゃんはいぶかしげな顔を見せました。
「なんだい、これ。うちの国のお金じゃないね。まあいいや、好きなだけ食べていきなよ」
「好きなだけって言ってもボクはあまり大食いじゃないのですけど。これ一枚でどれくらい食べられるのですか?」
「そうだね、金貨なら……、うちの串焼きだと二百本分くらいかねぇ」
「そんなに食べられませんよ」
言いながら金貨を渡すと「はい、どうぞ」とおばちゃんが焼けた肉をくれました。焼き鳥みたいなのを想像していたのですけどひと串がその倍もありました。あー、前世のババアの家の近所では焼き鳥と言って豚串が出てきたのです(熊襲の末裔には日本語は難しかったみたいです)。あれを思い出します。
「ではいただきます」
かぶりつくと口の中いっぱいに岩塩のかかった肉の味が広がりました。うーん、仔羊です。圧倒的仔羊。ローズマリーその他の香草を強めに利かせて臭みを消してあって意外といけます。洗練されたエルフの料理とは比べようもありませんけれども旅先でちょっとつまむものとしてはなかなか気が利いてる部類じゃないですか。
自覚はなかったのですけどおなかが空いてたみたいですね。あっという間に食べてしまいました。これならもうちょっと食べられそうです。
「もう一本ください」
「あいよ!」
食べながらおばちゃんと世間話ついでにこの世界の情報収集をしました。たとえば金銀銅貨の交換レートについてとかですね。金貨はなかなか大きな単位のお金のようで、庶民が使うことは普通はないそうです。
「こんな大きなお金、釣りが出せないよ」
「いりませんよ。お釣りは取っとくといいです」
「ああ、ちょっと……。またおいでよ!」
おばちゃんの声を背中に受けて町に向かいます。と言っても人がごった返していてまっすぐ進めないのですけど。町中の人が集まっているのでしょうか? こんなにごちゃごちゃした市場は台湾の何とか市場以来です。
それに左右の屋台が気になります。軒先に掲げられた看板はイラストが多いです。こっちは肉まん? であっちは串焼き? あるいは実物の肉を吊るしてたりするのは字が読めない人が多いのでしょうか。バッタの看板は何なのでしょうかと覗いてみたら本当にバッタ(イナゴ?)の炒ったのを売ってました。うへぇ。
こういう猥雑な雰囲気、嫌いじゃないのですよねぇ。牧場ものんびりできましたけど、これはこれで違った雰囲気で楽しいです。いやー旅に出て良かったです。
鉄板でひたすら焼いた肉団子の餡かけとか炭火でじりじり炙られてるケバブっぽいものとか豆の入ったトマトっぽいスープとか気になりますけど、お腹いっぱいです。次の機会に食べてみましょう。
あ、イナゴはノーサンキューで。
しかしこれだけ人がごみごみしててもボクの姿は目立つようであちこちから「エルフ」「エルフ」とささやき交わす声が聞こえてきます。小声のつもりでしょうけどエルフは耳がいいのです。まあ呼び止められたりまではしませんでしたけど。
……屋台を見ながら二百メートルを三十分、ようやく町の入り口までたどり着きました。町を隔てる壁は高さ三メートル程度です。防衛の役に立たないというわけでもないでしょうけどどちらかといえば装飾に重きを置いているようで、全面漆喰塗りです。
壁の真ん中に門が大きく開いていて、道行く人々は自由に出入りしています。門の端っこにおざなりな武装をした門番らしき男が二人いますけど、町娘とダベっていて、みんな素通しです。どうやらここは検問とかなくて普通に入ってもいいみたいですね。
というわけで町に入ろうとしたのですが……
「おい、ちょっと待て」
あれ、ボクだけ呼び止められました。
「何ですか?」
門番の男たちはボクを挟み込むように位置取りました。仕事してたのですねこいつら。押し通るのは簡単ですが一応話を聞いてみましょう。
「この街に来るのは初めてだな? 身分証明書は持っているか?」
ああなるほど、知らない顔が来た時だけ検問する感じですか。しかし森の奥に引きこもった小さな村で生まれ育ったエルフのボクが人間の身分証明書なんて持ってるわけないです。
「ありませんね。ないとダメですか?」
「駄目に決まってるだろ。身分証明書が欲しければそこの建物に行け。犯罪者でなければ発行してもらえるはずだ」
と、門番は町の入り口から少し離れた石造りの建物を指さしました。スルーしてましたけど屋台の向こうに見えていた建物です。
「エルフなら闘えるだろ?」
その建物の入り口には盾の前にクロスした剣というデザインの看板が掲げられていて、人間の標準語の汎用文字で『冒険者ギルド』と書いてありました。まあ正確に翻訳すると戦闘員派遣組合のような意味合いになるのですけど、それでは雰囲気が出ませんよね?