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1.34 ゴブリン学概論

 エサを食べさせていたらなんとなく情がわいたので鹿は逃がしてやりました。

 それではゴブリンの追跡を開始しましょう。魔法の目で追いかけると、ゴブリンは途中何度も振り返って後ろを確認しながら逃げてゆきます。


「まっすぐ行きましょう」

 ゴブリンの動きを見るかぎり巣に向かうにはどうもぐるっと大きくカーブを描いて戻る形になるようです。ボクは巣の位置にあたりをつけて直線で追いかけることにしました。

「いや見失うだろ」

「マーカーをつけましたから地球の裏にいてもわかりますよ」

 さっき魔法で触れたときに目印をつけておいたのです。ボクたちは斜面を登って道なき道を突き進みました。


「本当に、こっちで、合ってるのか?」

 ゼーゼー言いながら冒険者が疑問の声を上げました。

「ゴブリンの移動線はこっちに向いてますね。多分この向こうに洞窟でもあるのでしょう」

 ゴブリンは基本的に洞窟を棲み処にしてますからね。

「ちょっと待てよ……マジだ、この先の崖の下に洞窟があって、そっちにまっすぐ向かってるな」

 立ち止まった冒険者は人差し指を額に当てて目を閉じ、一瞬じっと考え込んで驚きの表情を浮かべました。

「何でそんなことがわかるのですか?」

「俺は地理の神アルクの祝福をもらってるんだよ。地形を読む魔法が専門さ。ようやく役に立てたぜ」

「ちなみに俺の魔法は気配を隠すやつだ。今日はまだ全然役に立ってないけど」

「さっき使えばよかったじゃないですか」

「いや急にゴブリンが来たので……。巣に近づくときには全員の姿を隠すから勘弁して」

「俺たちの祝福って戦闘向きじゃないから、戦うことがあったら頼むぜ」

「期待してるからな!」

 やっぱりボク一人で良かったのではないでしょうか。


「しかしゴブリンが洞窟に住んでるなんてよく知ってたな」

「え? そりゃ知ってますよ。エルフはゴブリンのことはちょっと詳しいのです」

 なにしろボクたちは長年ずーっと飼ってますからね。ゴブリンの研究はエルフの学問でも最も進んだ分野なのです。しかしこいつらときたら鼻で笑いましたよ。

「ハッ、エルフのお嬢ちゃんがゴブリンの何を知ってるって言うんだ?」

「この町の冒険者は代々ずっとゴブリンと闘ってるんだ。『ゴブリンのことならイーデーズの冒険者に聞け』って、それ一番言われてるから!」

「お前たちが知ってるのはどうせ表面的な習性だけでしょうに。では少しだけ教えてあげましょう。ゴブリン──ヒト亜族ゴブリン属ゴブリンは現生人類の祖先と比べて顎が頑丈な初期人類グループの子孫です」

「はい?」

「DNA解析により少なくとも300万年以上前、恐らくは335万年前プラスマイナス3万年の間に人類との共通祖先と分岐したと考えられています。祖先が同じとはいってもゴブリン属の染色体は48本でヒト属と安定して子孫を残すことはできません。発生の起源は中央大陸です。エルフの祖先がただ一度の移動でこの東大陸に到達したのと違い時期も経路も複数回に渡ってやってきました。ゴブリン属の現生種としてはゴブリン、オーク、トロル、オーガ、ギガスの五系統が残っています。ギガスは絶滅危惧種ですけどね。特にゴブリンとオークはそのグループの中でも100万年ほど前に分岐したばかりの近縁種で、見た目は違うようでも実は共通する形質を多数持っています。例えばゴブリンは身長4~4.4リード、オークはオスが5.5~6リードとかなり違います。しかしよく見ると顎ががっしりしている、鼻が低いというかほとんど平ら、耳が縦に長い、体毛が非常に薄い、脚が短くがに股──といった特徴は完全に一致しているわけです。特に手指の形はほとんど同じですね。噛む力が強い、つまり顎の骨が大きく張っていて筋肉も強いです。鼻がない、あるいは鼻が低く見えるのは口が出っ張っているためです。まあこれは本当は順序が逆で、ヒト属は顎が弱くなって引っ込んだために鼻が高く残ったのですが。ゴブリンは人間と比べると猿に似た特徴を残していると言えるかもしれません。こいつらは顎の筋肉の強さに圧迫されて脳が人間ほど大きくなることができませんでした。頭蓋腔容積は現生人類と比較して著しく小さく人類の半分ほどしかありません。また同じく筋肉量のせいで上気道が人間より狭く、複雑な発声が少しだけ難しいです。この二つの合わせ技によって言語野の発達が遅れ、言語を獲得することができませんでした。ですのでゴブリンもオークも言葉を発することはできませんし、人間の言葉も理解できません。あいつらは単純な吠え声と表情の区別で意思疎通を図っています。表情筋は人間より劣るとはいえそれなりに発達してますからね。人間の言葉を理解しているように見えるときは、実際には言葉を理解しているのではなく表情を伺っているのです。ただし、複雑な言語は用いませんが、特定の相手に特定の音響特性を割り当てて呼び分けています。つまり『名前』は持っています。腕力も身長が低い割には人間の大人と同程度にあります。まあ多少力が強いからって頭が悪いせいで魔法も弱いので全体としてはザコなのですけど。脳が小さいですが人間で言えば9~10歳くらいの知能は持っています。色覚は三原色、視力はあまり強くない一方で嗅覚は人類より優れています。現生ゴブリンたちは森の中に住む種のみですので、視力よりも聴力や嗅覚の方が重要だったのでしょうね。と言ってもこいつらも霊長類の内ですから鋤鼻器は退化しています。なので鼻がいいと言っても人間の何万倍も優れているというわけではありませんし、フェロモン様物質を感じ取ることもまたできません。ということは発情のサインは臭いではなく視覚に偏るということです。ゴブリンはオスもメスも明確な繁殖期がなく年中発情しています。繁殖期が季節に左右されないということは祖先が季節のない地域で進化したことを示唆しています。体毛がないのもそうですね。先祖が住んでいたところは暑い所だったのでしょう。要するに中央大陸中央部付近で進化したのです。遺伝子型から東大陸への進出は十数回にわたって行われたと考えられています。特定のペアを定めない乱婚形式で親子兄妹の区別なく繁殖します。この性質のために人間やエルフの文化では『近親相姦する奴はゴブリン並』という形で忌避感が働くことはよく知られていますよね。ちなみに相手を選ばずやるせいでたいていのゴブリンは性病を患っています。メスは1歳~1歳半、オスは1歳半~2歳半で性成熟します。妊娠期間は平均183日、双子以上の多胎児が普通です。未熟児の状態で生まれてきますのでメスは育児に掛かり切りとなります。オスは集団で狩りを行い、誰の子供かを問わず群れ全体で育児を行います。寿命は飼育下で10年程度ですが自然界では頻繁に死にます。しかし総数は世界中で1000万以上と推定されておりヒト族の中ではコビットと人間に次いで繁栄している種と言えます。繁殖力だけ強くてもカロリーが確保できなければ餓死するので結局のところ増殖は抑えられてしまいます。人類種は農業を発明することでカロリーの確保をクリアしましたが、ゴブリンはカロリーを抑制するやり方で繁栄しました。トロルやオーガの数と比べればその成功は明らかです。ここまでがワンセンテンスですよろしいですか? 住居はほとんどの場合洞窟を選びます。ごく稀に廃屋に住み着いていることもありますが、人間の住居跡はオークの方が好みます。洞窟が見つからなければ自分たちで穴を掘ることもあります。めったにありませんけど。道具や火を使います。農業を知らない完全な狩猟採集社会です。罠猟の他、親の留守を見計らって鳥や獣の巣を襲う『子盗み』と呼ばれる狩りを得意とします。雑食性で肉でも果実でも食べますが煮炊きして食べます。人間より顎が強いので茹でたどんぐりを皮をむかずにそのまま食べることができます。鳥や魚は骨ごと食べますし、獣の骨も噛み砕いて骨髄をすすります。土器を作ることはできますが釉薬を知りません。人間から鍋を奪うことができれば穴が開くまで使います。繊維はロープしか作れなくて布を持ちません。狩猟で手に入れた毛皮を身にまとっていることが多いですが、人間から服を奪うことができればそちらを好んで着ます。毛皮は針葉樹の葉を焚いて燻すことでなめしの代わりにしていますので独特のにおいがします。ある程度群れが成熟すると金属器を作り始めます。と言ってもゴブリンの知識や技術では鉄を還元することができませんので鉄器を作り出すことはできません。あいつらが作る主な金属器は銅か青銅です。でも銅鉱石の露頭は既に採取し尽くされていますし、またあいつらには鉱床を見つけることができませんので自分で鉱山を開発することもできません。そのためしばしば人間やドワーフの鉱山を襲撃して奪おうとします。鉱山はあいつらにとっては住居ともなりますからね。自分たちで鉄器を作り出すことはできませんが人間から奪った武器を使うことはできます。犬を飼っていることがあります。通説では狼を最初に家畜化して犬にしたのはゴブリンということになっていますが、恐らく正しいでしょう。化石資料などから見てゴブリンやオークの中にもかつては人間たちと競合しながら平原に暮らしていた種類があったようです。しかしあいつらは人間と比べて足が遅く持久力も劣るため平原で狩りをするのは苦手だったと考えられています。では何を狩っていたのかというと、おそらく人間です。人間の集落を襲って人間を食べていたのでしょう。ヒト属とゴブリン属とははるか大昔からの仇敵なのです。結局は生存競争で人類に負けて追いやられたようで、現存しているのは森の中に住む種類だけですけど。でも森の中から出て来て家畜を襲うことはしますので、農家には嫌われてますね。野菜も盗みますし。あいつらの知能ではそれが人間が育てているものだということが理解できないのです。ゴブリンたちにしてみればどうやら『自分たちのために勝手にポップする動植物を人間たちが不当な手段で独占している』というくらいの認識のようです。言葉も通じない相手ですし、まあ共存は不可能です。ですので人間にとってはただの駆除対象のようですが、生物的に現生人類と似通ったところが多いので、エルフの間では実験動物として活用されています。ボクも小さい頃はよく魔法の的にして遊んだものです。──なんて言ってるうちに見つけたようですよ」

 何やら騒がしい声が聞こえてきます。それとクサいです。凄まじい悪臭が足元の崖の下から漂ってきます。

「言ってることは何一つわからんがゴブリンの巣穴は俺も見つけたぞ」

 何とかついてきていた冒険者たちが臭いに顔をしかめながら呼吸を整えようと四苦八苦しています。


 ゴブリンは住処の外に穴を掘って生ゴミや汚物を捨てる習性があります。この溜めふんがメチャクチャ臭いのでゴブリンがいるところはすぐにわかるのです。

 歩いているうちにどうやら巣穴の上に出てしまったようです。崖下に洞窟があって、そこを棲み処としてるのでしょう。

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