1.3 エルフなんだって
森を出るとすっかり明るくなっていました。森の外にはすぐに木の柵が長く連なっていて、その向こうに広々と草地が広がっています。そしてその草原のはるかかなたにぽつんと小さく木の壁の建物が見えます。
どうやら牧場みたいですね。にしては動物の姿が見えませんけど。
柵を乗り越えて牧場に入ります。草の上をサクサク歩くと、一足ごとに立ち上る草のにおい……土のにおい、朝露のにおい、草食動物のふんの奥から漂う枯草のにおい……。足元から飛び跳ねて逃げてゆく小さな黒い虫、草の頭をなでてゆく柔らかな風、森の奥からあるいは草の中から聞こえる何種類もの鳥の声……。春の柔らかな光の中を音もなく蝶が横切って行きました。
何故でしょうね、ボクは今ようやく「生きてる!」って実感してます。
エルフの森はあまりにも強力かつ進んだ魔法の力で植生から菌叢まで完璧にコントロールされていて、どこに行ってもいい匂いがして、何を見ても綺麗で、汚いものや危険なものは何一つなくて、何もかもが便利で、超未来都市の真ん中に作られた森林浴のアトラクションにいるみたいでした。夢の中のように現実感がありませんでした。それが昨日から暗い森の中を歩いて、星空を眺めて、今こうして朝の牧場の中にいたら、あー生まれ変わったんだ、もう一回人生を生きるんだって感覚がふつふつと湧き上がってきたのです。
あ、行く手に馬を一頭見つけました。寝そべりながらもしゃもしゃ草を食べています。怠惰なやつですね。
「グッドモーニングブンブン丸。これ食べますか?」
手近なタンポポを摘んで鼻先に突き出すと、馬は顔だけ動かしてパクつきました。
「あ、いた!」
そのとき向こうから声がして一人の少女が走り寄ってきました。
うわー、生まれ変わってから初めて見る人間の姿ですよ! さっきからテンション上がりっぱなしです。
この娘は目とか髪とか茶色で肌もこんがり日焼けしています。顔立ちは前世のコーカソイドのようでもありモンゴロイドのようでもあり……いえどちらでもないようですね。この世界特有の人種なのでしょう。萌黄色のスカーフを首に巻いて、擦り切れたウールの作業着を着て、その作業着の胸を牛みたいな乳で盛り上げています。農家の娘とかでしょうか。
ともかくエルフ以外の人種とのファーストコンタクトです。ネットワークで予習した人間の言葉を試すときがきました。
「あちきはエルフでごわすごんすごわす?」
ん!? まちがったでしょうか……。
「もう、この子ったらまた! 早く逃げるよ!」
田舎娘は馬の手綱を取りました。
…………。
聞いてないのか言葉が違うのか……この大陸の連中がしゃべっている言葉はいわゆる膠着語に分類される言語です。ボクたちエルフの言語とは文法から単語に至るまでかなり違うもので、果たしてうまくしゃべれてるかわからないところがあります。
「えーと、ボクの言葉わかります? ちゃんと話せてます?」
「そんなことより危ないよ! 早く逃げよ!」
良かった良かった、どうやら言葉は通じてるみたいです。話は通じてませんけど。
田舎娘はうんうんうなりながら手綱を引っ張っていますが馬はてこでも動きません。
「おとといから、近くに、ドラゴンがいるんだよ! ……もう、起きて! 昨日は隣の家の牛が食べられちゃって、今日は放牧をやめてたんだけど、この子が勝手に外に出ちゃって!」
「ドラゴン……あれですか?」
上を指さすと影がボクたちの間を横切って行きました。
田舎娘は空を見上げ……
「キャアアアアアッ!」
金色の羽毛に日の光を波打たせ悠々と空を泳ぐドラゴンを見て、見事な絶望顔で絶叫しました。
あんな雑魚ドラゴン、そんなに恐れるようなものじゃないのですけどね……。
というのもこの世界のドラゴンはその巨体を支えるため骨格にリン酸カルシウムではなくチタン合金を使用するように進化した生物ですので、チタンその他の金属資源が豊富なところでないと成長できないのです。この辺りではあの彼方に見えるバーデン山脈が条件に合っていてドラゴンの主な棲息地になっています。
ドラゴンもいろいろですが人間は多分弱小ドラゴンにも勝てませんので、ドラゴンがいるようなところには住みません。長い歴史の中で自然に棲み分けができているわけです。にもかかわらずこんなところにいるということは、あれはおそらく縄張り争いに敗れて逃げて来た個体でしょう。体長はしっぽを除いて5mといったところでしょうか?あの種類だと幼体を脱したという大きさです。巣分けでいいところを取るのに失敗したのかもしれません。
確かに家畜を襲った方がタンパク質の補充には有利かもしれませんがタンパク質だけではドラゴンは巨大になれません。人間の居住域に飛んでくるようなドラゴンは敗北者なのです。
なんて言ってる間にドラゴンの方もこちらに気づいたようです。急角度で向きを変えるとボクたち目掛けてまっすぐ突っ込んできました!
狙いは馬か田舎娘か、それともボクか。食欲か敵意かわかりませんが攻撃の意思を隠そうともせずに、自由落下の速度を超えて加速してきます。負け犬のレッサードラゴン風情が生意気な……いや待ってください、さてはこれは『異世界で初めて出会った少女を助けて好感度アップのイベント』ですね!?
いいでしょう、ブッ殺してやります!
ところでドラゴンは翼を持っていますが、さすがに重すぎて流体力学的には飛ぶことはできません。クマバチ? あれはレイノルズ数を考慮に入れるのを忘れたアホが足りない頭で作った都市伝説です。ドラゴンは単純に重すぎるのです。ではどうやって空を飛んでいるのかと言うと、翼の生む揚力に鳥の神エアの【飛行】の魔法を上乗せすることで実現しているわけです。
そこで──
「ロザンしょーりゅーは!」
【飛行加速】の魔法をさらに重ね掛けしてやります!
掛け声と共にこぶしを突き上げると暴風が巻き起こり、田舎娘が「きゃあっ」と声を上げてひっくり返りました。ボクが起こした風ではなくドラゴンの飛行魔法が暴走したのですけど。きっと思った以上の速度が出て慌てたのでしょう、急に機首を上げたドラゴンはコントロールを失って「ギェ────!」みたいな汚い声を上げながら斜め上空にすっ飛んで行きました。ちなみにこの世界の魔法は詠唱がいりませんので掛け声は適当ですしパンチもただのポーズです。
ほんの数秒で地上1500mオーバーまで舞い上がったドラゴンは錐もみしながら体勢を立て直そうと悪戦苦闘しています。
間近で魔法を使うと田舎娘を巻き込んでしまいそうですけどこの距離ならいいでしょう。
食らうです太陽神エールの魔法【光の剣】を!
瞬間的に太陽光が凝縮し【光の剣】が両手の間に顕現しました。その長さ3メートルほどの槍状の光の束を高く掲げ──
「ていっ」
ドラゴンめがけて投げつけてやりました!
超高速で一直線に飛翔した光の剣は吸い込まれるようにドラゴンを直撃しました。
空の彼方でドラゴンが一瞬白熱しました。突き立った光の剣──剣の形に擬された太陽神の分霊を通して、およそ100億ジュールの熱量が供給されたのです。あのくらいの大きさの生物なら一瞬で4000度まで加熱されたことでしょう。これはチタンは当然のこと炭素すら気化する温度です。ドラゴンの肉体が──血液が、筋肉が、皮膚が脳が目玉が内臓が羽毛が翼が爪が牙が骨格が、瞬間的に蒸発しました。
閃光の後ドラゴンは爆発しました。
白い雲のような塊が直径数十メートルの大きさまで瞬時に膨れ、白く粟立つ衝撃波が通り過ぎて地上の木々を揺らし遠くの家々を軋ませ、ついでに田舎娘がまた悲鳴を上げながらひっくり返って転びました。
少し遅れて雷鳴を圧縮したような轟音が通り過ぎ、ごうごうと唸るような大気のどよめきが長く尾を引いて鳴り響きました。
そして爆発の中心点から白い煙がグングン高く立ち上り、はるか上空で膨れ上がりました。
「ふっ、きたねー花火です」
晴れた空に立ち上るキノコ雲……春ですけど夏空の風情ですね。
「あぅぅぅ……」
田舎娘が腰を抜かしてへたり込んでいます。歯の根が合わないほど震えてボクを見上げています。おやおや、パンツの股がぐっしょり濡れているじゃないですか。
「どうです?ボクの魔法は。人間とはひと味違うでしょう」
「ひっ」
感想を尋ねると怯えてビクッと身をすくめました。そこまで怖がらなくてもいいですのに。
…………。
「ぎゃおー、食べちゃいますよー」
「ひぃぃぃぃ……」
ルリドラゴンのポーズでちょっとからかってやったら田舎娘は腰を抜かしたままわたわた後ずさりしました。
うわすっごいです、おっぱいがゆさゆさ揺れてます。エルフではまずお目にかかれない光景ですね。
馬はまだ寝転んだまま草をはんでいました。