1.27 こんなに弱いんだ人間って……
「リンスはいるか!」
バン! 扉が勢いよく開きました。酒場中の視線が一斉に集まります。そこにいた、炎のような赤いタトゥーが首筋から目の周りまで覆っているさっきのアレと同じくらいごつい冒険者風の男は、酒場をぐるりと見回してボクを見定めるとズカズカと一直線にやってきて、目をひん剥いてこちらを睨みつけてきました。
「新人のくせに調子に乗ってるなぁお前」
ボクはアイテムボックスから小さな台を取り出してその上に立ちました。片足立ちで両手を広げてバランスを取ります。
「よいしょっと」
「……何やってんだ?」
「これはエルフの道具で『調子』って名前です」
ただの踏み台ですけどね。
「ふざけるなてめえ!」
「リクエストにこたえただけですけど?」
「……まったく大したもんだ。全身の打撲と骨折で全治二か月、当分治療院のベッドで寝た切りだとよ」
「お前がですか?」
「マルクだよ!」
「で? 何の用です? 敗北者の代理人として敗戦の弁でも述べに来ましたか?」
「んなわけねーだろ、勝負だ! 今度は俺が相手してやる!」
「あーなるほどなるほど。いいですよ。もしお前が勝ったら一晩──」
「いらん! 体が目的じゃない! イーデーズの冒険者として、お前みたいな新人に舐められたままでいるわけにはいかねぇんだよ!」
「そうですか。ではこちらもお金はいりません。その代わりガンダムみたいなヒゲをつけてお前が敗北者であることをビジュアルに表現してやります」
「上等だ、できるもんならやってみな!」
刺青男は店を出る際に振り返って「俺はマルクみたいなわけにはいかないぜ」と言い残して立ち去りました。
うーん、順調に死亡フラグを積み重ねてますね……。
いいでしょう、どうせ煮られるために生まれてきたおでんです。せいぜいおいしく料理してやります。
さて翌日も快晴、ボクはまた昼下がりの闘技場に立っています。
昨日よりちょっと観客が増えていますね。ざわざわとざわめく声も大きいです。まあ声の理由にはボクの衣装もありそうですけど。
今日のボクはドレスを着ています。夕べ徹夜で作ったのです。なにしろボクは繊維の神マールの強い加護を受けていますからね、縫製も機織りもお手の物です。
今回は繊維の神の魔法で作り出した人造(神造?)絹糸を使って魔法の立体成型織りで作りました。布じゃなくて糸から作りましたのでたいへんな労力でしたけどマールが一晩でやってくれました。
オーダーメイドですから当然サイズはぴったりの縫い目なしの一体型、ボディはタイトに腰の細さを強調して、スカートを白いパニエで膨らませてボリュームを出したゴスロリ調の黒いドレスです。足には黒い刺繍がバシバシの黒いロングブーツ、両腕の袖からは幾重にも重なった真っ白なレースが覗いています。何でしたっけ……アンシャンテ? アングマール? まあいいです。とにかく細部までちょっと凝ってみました。
前世なら女性の服装ですけど、どうせ女だと思われてるみたいですし男物より似合いますし……まあそれはともかくこの世界の連中はまだ見たことも聞いたこともない意匠でしょう。思いっきり目を引いています。観客も、冒険者たちも、昨日の酒場の男もボクの姿に釘付けです。
……そういえば挑戦者の名前を聞いてませんでした。まあいいでしょう、どうせあと十分くらいのつきあいです。
「……何だお前、その服は」
刺青男がうろんな目でボクを見ています。ボクは胸に手を当てドレスを強調してその胸を張りました。我ながら自慢の逸品です。
「フフン、いいでしょう? ハンドメイドですよ。ただでさえ完璧なボクの美貌がさらに隙のないものとなりました。言うなれば鬼に金棒獅子に鰭、悪魔王子に幻魔拳です」
「そうじゃない。何だその値の張りそうな服は。おまけに動きにくそうだし。そんなので戦うとか、舐めてるのか?」
「何だ、そういう意味ですか……。これはハンデですよ。普通にやったら勝負になりませんからね」
「なにっ」
「昨日の決闘を見たでしょう? 正直ボクはがっかりしました……。エルフしかいない閉鎖的な森に生まれ育ったボクは外の世界に夢を見ていたのですよ。『人間ってのはどれだけ強いのでしょう?』『きっと手ごわいのでしょうね』『ボクたちが思いもよらないことをやってくるに違いありません』そんなふうに考えていたのに……。何ですか昨日のアレは。ざぁこざこ前髪すかすか敗北者じゃないですか。旅に出た日のワクワクとトキメキを返してほしいです」
「あれはマルクが油断してただけだ! 俺も同じだと思うなよ!」
「ですかねぇ? 大差ないと思いますけど。お前たちがいる場所はボクたちが十万年前に通り過ぎた場所ですよ。というわけでですね、普通にやったら勝負にならないので思いっきり手加減してあげることにしました。やさしく撫でてあげますから、安心してかかってくるがいいです」
「オイコラ……舐めるのもいい加減にしろよ」
「舐めてるわけじゃなくて事実を言ってるだけです。……そうです! ボクはこの左手だけで戦ってあげましょう。すこしぐらいは楽しめるかもしれませんよ」
「ほざけ――っ!」
叫びながら刺青男が躍りかかってきました。
「勝者、リンス!」
まあ当然ボコボコにしましたけどね、左手だけで。
「お前勝敗は常に顔で決まるのですよ」
ボクは白目をむいた男にそっとヒゲをつけてやりました。
とはいえ昨日戦った男よりは多少見どころがあったようで背中には一切の傷がありませんでした。まあ一週間も寝てたら治るんじゃないですかね。人間の評価を1mmだけ上方修正しておきます。
仲間の冒険者たちが刺青男を介抱するのをしり目に、ボクはきゃいきゃい言う女たちを引き連れて今日もまた酒場へと向かいました。