1.26 サラガドゥラ・メチカブラ・酒が飲めるぞー
大きな肉の塊が木皿の真ん中にデンと寝転んでいます。クタクタになるまで煮込まれて、煮詰めた汁を掛けられています。
女たちに案内されてやってきたのは同じ酒場でもこいつらが普段行かないようなグレード高めっぽい酒場です。昨日の店とは構えから清潔感からずいぶんと違います。おごりと聞くと躊躇なくここを選びましたよこいつら。まあお金はあるわけですし、メシも多少はまともと期待しましょう。
ところで食器ですがこの世界ではまだフォークというものは発明されてなくて、肉でも野菜でもナイフで切り分けて使い捨ての木の串で刺して食べるのが一般的みたいです。屋台で串焼きが多かったのはそういう作法のせいかもしれません。
ラーナが自前のナイフで(それ消毒してるのでしょうね?)皿に乗せたまま肉を一口サイズに切り分けました。左手に持った串でお肉を押さえて、なかなか器用にやるものですね。丸テーブルの八方から一斉に手が伸びて、それぞれ大きそうな塊を争って串に刺していきます。ボクはお肉はそこまでなので小さなお肉で結構です。
「えーそれでは、リンスの勝利を祝して!」
「「「「「カンパーイ!」」」」」
薄っぺらくて水っぽいビールで乾杯! どこに行ってもこんな酒しかありませんねこの町。まあコップが洗ってあるだけマシです。
それではお肉を食べてみましょう。
「……」
屋台で聞いた感じ、この町で一番食べられている肉は豚肉です。こいつも当然豚肉です。例によってニンニクと一緒に煮込まれています。味付けも屋台と同じくマスタードソースです。うーん、昨日の酒場で出て来たのよりはかなりマシですけど、やっぱり臭いです。噛みしめるごとに全身の毛穴がクワッと開きそうな不快な臭いが……。これなら屋台の仔羊の方がずっと上等です……。屋根の下で座って食べられるということを除けば屋台の方が断然上ですよね。この町では酒さえ飲まなければ屋台で十分なようです。向こうは夜はやってないのがネックですけど。
「おいしーい!」
「いつものマトンと全然ちがうー!」
でもこいつらは喜んでますね。雰囲気込みでの評価なのでしょうか。
「マトンですか。どうやって食べてるのです?」
ちょっと興味があります。あの古びた雑巾みたいな臭いをこの辺りではどう処理しているのでしょうか。
「臭いの我慢して食べてる」
「鼻つまんで食べてるの」
「お金がないときはねー……」
全然参考になりませんでした。
もうちょっと聞いてみると、この辺りではマトンはどうしようもないほどの貧乏人の食べ物で、たくさん生産しているのですがほとんどは輸出に回しているそうです。他の町だと需要があるのだとか。
「すいませーん、割ってないお酒くださーい!」
一人が声を上げると他の女たちも次々に手を挙げました。
「それが臭くってさぁ!」
「ギャハハハ!」
……乾杯の音頭から三十分、テーブルを囲んだ女たちはがなり立てるような大声で大騒ぎしています。すでにベロベロです。テーブルの反対側でラーナたちが真っ赤な顔で大笑いしながら手を叩いています。シンバル叩く猿のおもちゃですか。向こうではアホが猿みたいに跳ねてたり猿みたいに天井の梁からぶら下がってたり……猿みたいな咆哮を上げながら脱いでるアホもいます。まだ他の客がいないから許されてるのでしょうけど、そろそろ追い出されそうな気がしてきました。もうめちゃくちゃですよ。まだ日が暮れる前だというのに……。
こういうノリ嫌いなのですけどね。ボクは一人シラフで、この霊長目ヒト科ゴリラ・ゴリラ・冒険者たちを誘ったことを後悔し始めていました。
相変わらず酒はイマイチなのでボクはほとんど飲んでません。というかこの味……人間の酒ってどうやら消毒用として水に添加するのがメインみたいで、まだ嗜好品の域に達していないのですよ。にもかかわらずこいつらは割らずに一気飲みしてましたからね、この消毒薬を。酔えれば靴クリームでも飲みそうな勢いです。
ふいに、右側に座った"宴会屋のミラ"と呼ばれている茶色い頭の女が髪を触ってきました。
「こんなに長いのに先までさらさら……」
「触るなです」
後ろからラーナが迫ってきました。
「首ほっそ……」
「撫でるなです」
左側の"犬耳のノンナ"というゴツゴツした手の獣人が座った目でボクの手を撫で続けています。
「すべすべ……すべすべ……」
「だからやめろと言ってますのに」
触るなと言ってるのにこの酔っ払いどもは……。まあ女ですからかろうじて許しますけど男が同じことしたら即ブッころです。あの冒険者のように。
他の酔っ払いたちも寄って来て口々に尋ねてきます。
「ねえ、このアイラインってぇ、どんなメイクしてるのぉ?」
「してないですけど」
「この、バシバシまつ毛もぉ?」
「だからすっぴんですって」
「なんでこんなにお肌白いのー」
「生まれつきです」
「やっぱエルフって人間とは違うのね……」
ノンナが溜息をつきました。
「私もこんな顔だったらもっと楽に生きられたのにぃー」
ミラが座ったまま足をジタバタさせました。
「あたし山奥の農家の生まれでさぁ、クソ兄貴が跡取りなんだよねぇ。あのまま残ってたら婿も取れずに、一生ぺこぺこ頭下げながらバカ兄貴の下でこき使われて終わるとこだったの! ぜーったい嫌だったから、家出してやった! ザマーミロ!」
「あたしもー! 農家は絶対ヤダ!」
「お金持ちじゃなくてもいいから、町の中に家を持ってる人と結婚したい!」
「でも相手いないー!」
「男欲しいぃぃぃ!」
「蜘蛛の巣張っちゃう! カビ生えちゃう!」
酒と腹が満たされれば女冒険者の関心事は男のようです。でも冒険者というのはモテない職業のようで、こいつらも男日照りを嘆いています。
「冒険者同士でくっつけばいいのではないですか? あのマ……あいつはアレですけど、少しはマシそうなのもいたじゃないですか」
何の気なしに口にすると一斉に『えー!』とブーイングが上がりました。
「イヤだ!」「絶対ヤダ!」「臭いし汚いし」「金ないし家ないし信用ないし」「冒険者だと部屋も貸してもらえないもんね! 人のこと言えないけど!」「言えてる! ギャッハッハ!」「いつ死ぬかわかんない男は嫌!」「玉の輿! 玉と腰!」「アッチは『お姉ちゃん』たち買えるから困ってないしねー」「ムカツク! アタシなんかさぁ、スズナーン行ったときさぁ、小遣い稼ぎでお姉ちゃんの真似事しようとしたのにさぁ、誰も相手してくれなくてウェイトレス代だけもらって帰ってきたの……」「何それ悲しー」
女冒険者の下半身事情なんて微塵も興味ないのですけど……。
しかしあれですね、例えばメンバー全員女子高生というガールズバンドのアニメがあったとして、視聴者のほとんどは男オタクなわけです。ところがこれが登場人物を全部男女逆にしたボーイズバンドのアニメだとしたら、ストーリーラインがまったく同じでも視聴者のほとんどは女オタクになるわけです。
結局どちらも異性へのある種の欲求をもって見るアニメを決めているわけで、飢えてるならオタク同士でくっついたらいいのではと思うのですが、そうはならないわけです。彼ら彼女らの理想の異性は画面の中にいるのであって自分と鏡写しの異性は恋愛対象にならないのです。
こいつらもそれと同じです。こいつらってどちらかと言えば陽キャ寄りの人種だと思いますけど、非モテをこじらせて哀しき夢追い人になるのは陰キャも陽キャも変わらないようですね。
ともかくこいつらはもうボクと関係なしに勝手に盛り上がってます。ようやくメスゴリラ共から解放されてボクはほっと一息つきました。
しかしまあ、今日闘った冒険者ですが。
弱いです。
弱すぎます。
『外の世界なんかつまらんからやめとけ』
『大して面白くないわよ。手ごたえのある相手もいないし』
森の面々が口をそろえて言っていたことの意味がよくわかりました。
ボクは森の外に出るまでエルフ以外と出会ったことがなかったので知る由もなかったのですけれども、あいつが強者の部類だと言うならどうやら人間の評価を大幅に下方修正しなければならないようですね……。