1.24 ヒトの男っていつもそうですね……! エルフのことなんだと思ってるんですか!?
研修が終わると同時にボクたちはチューターに誘われて大手の(唯一の)クランに所属することとなりました。どうも前々から計画されていたらしく、夜にはさっそく歓迎会です。
クランリーダーによろしくお願いしますと挨拶したりギルドマスターに紹介されたりギルドの職員たちに挨拶回りしたりしてたらとっぷりと日が暮れてしまいました。ボクたち三人を引率していたチューターはその流れで小汚い見た目の酒場に案内しました。裏通りをかなり奥に入ったところにある、初日におごってくれたのとは別のお店です。うーん、なんとなく怪しい感じが……。まあ、見た目がアレでも味は良いとかそういう感じかもしれませんし……。
中には既にクランの仲間らしき冒険者たちが何人か待っていて、さらに後から後から男女の冒険者たちが押しかけてきます。ボクは促されるままに席に腰かけて酒場の中をグルグル見回しました。
照明の少ない酒場です。壁に掛けられた油皿から直接伸びた灯心にともる火だけが光源で、むき出しの梁の向こうに煤けた天井がぼんやり見えます。薄暗いのは照明代の節約のためでしょうか、それとも掃除していないのをごまかすためでしょうか? ボクは暗いところでも見えるのでテーブルの真ん中の塊になって貼りついた汚れとか床に捨てられて踏まれて元がわからなくなったゴミとかその周りをブンブン飛んでるハエとか全部見えてるのですけど……。
ありていに言って衛生観念の欠如した安酒場です。
「おまちどー!」
ウェイトレスがなみなみと注いだビールのジョッキをまとめて持ってきました。桶のやり方で作った木のジョッキです。ジョッキが手から手へと渡されて全員に行き渡ります。
「うわ……」
口をつけようとして躊躇しました。
ここ数日でなんとなく気づいていたのですけど、どうも人間の世界ではまだガラスや磁器というものが一般的ではないようで、庶民の食器は素焼きの陶器か木が一般的です。こんな安い食堂でグラスのジョッキを出すなどという贅沢はあり得ないでしょうし、割れやすい焼き物も使わないみたいですので、出てくるのは必然的にニスも塗っていない木の食器になります。でもって木の食器というのは臭いや汚れが染みついて取れねーのです。このコップも水ですすいだだけなのか、それともそれすらしていないのか、全体に薄汚れています。
いったんテーブルに置いたジョッキをくいっくいっと回して少しでもマシな飲み口を探します……。
【浄化】の魔法をかけて、おそるおそる指先でジョッキをつかんで、口に近づけて……。
思わず「うっ」と声が漏れました。案の定ジョッキに饐えたような酒の匂いが染みついています……。
息を止めてほんの少しだけ口に含んでみます……。
うーん、まずい! まずいです!
酒とお酢と泥水の中間体ですね、これは。☆1ですが可能なら☆0にしたい品質です。とてもじゃないですけど飲めたものじゃありません。
ボクはジョッキをそっとテーブルに戻しました。
ボクはお酒の味が好きで飲んでいるのであって酔うのは目的じゃないのですよ。酔っ払うために飲むってただのアル中じゃないですか。つまりはこいつらのような。
「お、飲まねーのか?なら俺が飲んでやるぜ!」
「どーぞどーぞ」
冒険者の一人が物欲しそうな顔をしてたのでくれてやりました。
酒は全然期待できないので料理に手を付けることにしました。
テーブルにずらりと……いえずらりまではないですね。三つ置かれた皿の中に細切れにした肉のようなものが乗っています。食事と言うか酒の肴なのでしょうか。皿の大きさと比べてなんだかしょんぼりした盛り付けです。その肉のようなものに人数分の串が刺さっていますので一つ手に取って食べてみます。
……パッサパサ! 肉の繊維の一本に至るまでパッサパサです!
明らかに煮すぎた豚か何かの肉です。塩だけは景気よく振ってありますけど旨味もへったくれもありません。これは多分技術的な問題よりも衛生上の問題のために通し過ぎるほどに火を通しているのではないかと思います。思いっきりニンニクで臭いをごまかしてますし。周りの冒険者たちは大喜びで飲んで騒いで食べてますけど……。味がきついのは酔っ払って味がわからなくなったときのために塩を強めに効かせてあるのではないですかね。
ここは多分冒険者御用達の安酒場なのでしょう。安いのと大騒ぎしても怒られないのだけが取り柄の。
うーん、屋台の方がかなりマシなのですけど、あっちって夜はやってないのですよね……。
あ、付け合わせの茹でたジャガイモは普通でしたので、こっちをメインに食べることにします。
…………開宴三十分、早くも宴はたけなわです。酒場中に漂う安酒の臭い、天井が見えなくなるほどのタバコの煙、そして冒険者たちの大声ときたら!
冒険者の男女比はだいたい7:3くらいだそうです。女は冒険者なんかにならなくても他に生活の手立てがあるということなのでしょう。
ともかくその少数派の女冒険者たちはほぼ全員金髪に群がって甲高い声をキンキン響かせています。ボクは人間の顔の美醜がよくわからないのですけど、よほど女受けのいい顔なのですかね。あ、ラーナは目を盗んで片っ端からジョッキを空けています。
でもって男冒険者たちのうち若手の連中は栗毛を取り囲んで、というか口々に口説いていて、ボクは残った汚いおっさんたちを一手に引き受けるハメに陥っているというわけです。
「何て顔だ、冒険者には見えないぜ」
髪の毛に触ろうとした男の手を払いのけます。
「今夜どうだ? おい。かわいがってやるぜ」
手を握ろうとしたのを交わして振り払います。
「エルフってのは乳ねえなぁ。揉んだろか? 大きくなるかもしれねぇぜ」
胸を触ろうとした手をつねってやります。
美しさが衣を通して光輝いたという衣通姫のためしの通り、ボクの美しさは冒険者の姿に身をやつしていても隠れもなく露れてしまったというわけです。それにしても完全にボクのこと女だと思ってますねこいつら……。
何としてもボクに触りたいのでしょう。次から次へと手が伸びて来ます。夏の日に放置されたゴミ捨て場から立ち上るハエを追い払ってる気分です。そりゃ今までゴリラしか見たことがなかったのにいきなりエルフと出会ったら文明開化以上の衝撃でしょうけど、ちょっとがっつきすぎじゃないですか? こうしてただ座っているだけで身体性がただ性的なものとして消費されていきます。本当にエルフにとって地獄ですこの国。
「よーぅ新人、飲んでるか?」
酔っ払った筋肉の塊みたいな大男がドカリと隣に座り込んで肩に腕を回してきました。とっさに手を間に入れて密着は防ぎましたけど体をにじり寄せてきます。肘でぐりぐりと押し返してやりますけどめげません。うっぜーです、ぶっ殺してやりましょうか……。
顔をそむけたボクのその顔を覗き込むようにして男が話しかけてきます。
「王都でもスズナーンでもエルフは見たが、お前ほどの美人は初めてだぜ」
「酒臭い息を吐きかけるなです。殺しますよ?」
「おーおー、つれねぇなあ。先輩に向かってその態度はないんじゃないか?」
ふぅぅぅぅぅ……。ボクの心は瀬戸内海のように広いのですがそろそろ臨界点を迎えそうです。波が溢れて広島市街が水浸しになる三秒前ですよ。
「冒険者としての心得とな、後輩が先輩に対して取る態度ってやつを教えてやるからさ、その代わり──」
と、男は耳元で気色悪い声をささやかせました。
「抱かせろ」
よし、殺しましょう。
ボクは立ち上がりながらくるりと回って男の腕を外しました。
『黄河は水たまりを叱りはしない』ということわざがありますがボクの考えは違います。
この行儀を知らない冒険者たちに上位者の前ではどのようにふるまうべきかを教えてやることにします。こいつを教材にして、エルフという生き物がいかなるものかをレクチャーしてやるのです。
ボクはアイテムボックスからちょうど良さげな白手袋を取り出して男の顔に叩きつけました。
「決闘を申し込みます」
「ハッ」
手袋を取って捨て、男は鼻で笑いました。
「お前なんかが俺の相手になると思ってるのか?」
本気にしてないようですけど逃がしませんよ。欲で釣ってやります。
「ボクと決闘して勝ったら……そうですね、この体を一晩好きにしていいですよ」
「なにっ」
目の前の冒険者はもちろんのことクランの全員が、いえ酒場中がざわめき立ちました。
「ヒュー!」「マジかよ」「チクショー、俺が絡めばよかったぜ!」
男は前のめりになっています。目をひん剥いて、テーブルをつかんだ手にものすごい力が入っているのがわかります。
「……本気か? 本気で言ってるのか? オイ」
「ええ、本気ですよ。お前……名前は?」
「マルクだ」
「よろしいマルクとやら、お前が勝ったらボクの体を一晩預けましょう。それでお前は賭けの対象として釣りあうようなものを出せるのですか?」
「いいぜ、金貨十枚賭けてやるよ。俺が現金で持ってる全財産だ。……へっへっ、どうせタダ取りだしな」
「いいでしょう。それでは勝負は明日、決闘場で。首を洗っておくがいいです」
「お前は股を洗って待っとけよ」
マルクとかいう冒険者は下卑た笑い声を上げながら仲間と酒場を出て行きました。
「ちょっと、あんた!」
「何やってるの!?」
女冒険者たちが慌てて寄ってきました。彼女たちは心配そうな顔をしてボクを止めようとしてくるのです。
「やめときなよ、あいつ人間は最低だけど腕は確かだよ」
「ですかねぇ? ボクはそうは思いませんけど」
見るからにでくの坊ですしデク(実験台)にするにはちょうどいいでしょう。人間の冒険者とやらの実力がどの程度か、どこまでやっていいのかを計るための叩き台に。
どうせ燃やされるために用意された藁人形です。せいぜい派手に火葬してやります。