3.19 帰ってきた男
その日ボクは人ごみの中に変わったやつを見ました。
ホームグラウンドの北門前の屋台街はいつも無秩序に行き交う人の流れでごった返しているのですが、その中にエルフの姿が見えました。町エルフの男です。
ただ、町のエルフの男たちというのは普通みんなオシャレな服をパリッと着こなしているのですが、そいつの服はほこりに汚れて、ただ顔だけが輝く生気に満ち溢れていました。
旅装ですがボクはただの旅人ではなく冒険者と見ました。武器はありません。ただし手ぶらなのはアイテムボックスに荷物を入れているからでしょう。実際には隠し持っているはずです。身のこなしも足の運びも全体に隙がありません。何というか、シュビッとしてます。顔つきもエルフにしては精悍です。遊び人のユーリなんかとは比較になりません。
そして何よりその目です。瑠璃色の光を放つ魔法の目……なんと、妖精眼です! 町エルフでは初めて見ました。
魔眼の恐ろしさは魔眼持ちでないとわかりません。目が妖精眼じゃなかったらボクもいちいち気にしたりしなかったでしょう。そしてそいつもボクの妖精眼に気づいていました。こちらを警戒した様子でうかがっています。
お互いの間に緊張が走ります……ところがリアクションはボクたちではなく思いがけないところから起こりました。
バサバサバサッ
その男エルフを見た瞬間、ユリアが運んでいた商品を全部落としたのでした。ああー……。
「クレイ……?」
「……ユリア? もしかしてユリアか?」
ユリアは名前を呼んだきり呆然と立ち尽くし、ボクから視線を外した男もまたユリアを見て呆然と足を止めました。
二人はそのまま固まってます。話が進まないので横から声を掛けました。
「お知り合いですか?」
「……はい。幼馴染です。同い年の」
あー、そういえばそんなのがいるって言ってましたね。
そのクレイという男エルフはユリアへと歩み寄りました。
「君は変わらないね」
「あなたはたくましくなったわ」
「それにしても何年振りかな?」
「あなたが出て行ったのは十七歳の時よ」
「ということは三十二年ぶりか!」
のんきな会話をしてます。エリーは歳を数えて「え、ユリアって私より三十歳も年上だったの?」と変なところで驚いてました。
せっかくなのでちょっと休憩にしましょう。屋台の後ろに引っ込んでティータイムです。ボクはテーブルとイスを出して四人で囲みました。
「リンスさん、エリーさん、こちらはクレイ。幼馴染なんです。クレイ、こちらはリンスさん。森のエルフで、そちらのエリーさんと一緒に今の私の雇い主なの」
ユリアが紹介してくれました。
「リンスです。よろしくです」
「エリーよ。よろしくね」
「クレイです。ユリアがお世話になっています」
「もう、やめてよ。私も子供じゃないんだから」
「俺にとってはいつになっても昔のユリアだ」
何となくユリアは三十年間まるで成長していないような気がします。
「どうしたの? 三十年も経って、ようやく帰ってくるなんて……」
「うん、それがね──」
そしてそのクレイという冒険者エルフは自分の冒険譚を語り始めました。
「──世界を旅してきたんだ。まずはブラントで一年修業を積んで、国境をまたいでカレン帝国へ移った。
やはり大きな国だね。帝都の壮麗さと言ったらなかったよ。町の全てが石造りで、城も運河も何もかもが巨大で……。まあ、活気はあまりなかったけどね。
国中を転々として、七、八年はカレンで活動したかな? ある日俺はルールという港町にたどり着いたんだが、そこから中央大陸に渡る船が出ているというので飛び乗ったんだ。
海を渡った先はブギーという港町だった。──素晴らしい熱気だった! 気温が高いってだけじゃなくて、人々の活力が。そこにいたのは人間だけじゃなくて獣人もいたし、ドワーフもコビットも多かったよ。エルフはあまりいなかったけどね。交易がさかんで、世界中の人々が集まっているようだった。
ただ言葉が違うのは困ったね。そう、ここと違うってだけじゃなくてね……この大陸ではどこに行っても同じ言葉で通じるけど、中央大陸では国ごとに言葉が違うんだ。
それでギルドに行って言葉がわかる冒険者を捕まえて、向こうの言葉を教えてもらったんだ。
中央大陸には結局二十年くらいいたよ。あちらは国もバラバラだし言語も習俗もバラバラ、どこに行っても珍しいものばかりでつい長居してしまった。結局三か国語はしゃべれるようになったかな? まあ、危険な目にも随分会ったけどね。おかげでとうとう魔眼を開眼した。
そして南の果てのプンという港町から南大陸に渡る船が出ているというので、またふらりと飛び乗ってしまった。
ただ、行ってはみたけどあまり良くなかったね。かつてはドワーフの巨大な王国があったと聞くけど、滅んでからもう九百年も経っているからね。
農地だけはあったよ。このスズナーンですら比較にならないほど広大だった。今もまだ住み続けているコビットたちの集落がずっと続いていてね。住み良いところは全部農地なんじゃないかと思ったね。
ドワーフにはほとんど出会わなかったよ。まあ向こうはこちらのことを嫌っているから、避けられていたのかもしれないけど。
ミスル──かつてのドワーフ王国首都の近くまでは行ってみた。いや、凄いプレッシャーだった。こちらで聞いた時には魔王がいるという話だったんだけどね、地の底から湧き出て来たという……。実際に行ってみたら話が違った。もう三百年も前に一頭のドラゴンが舞い降りて、その魔王を倒して取って代わったそうなんだ。
そして東の果てのウルム港からテールーズのアルルへ向けて大麦を送る船が出ていたから、それに便乗して帰って来たんだ」
ちょっとのつもりが長ーいお話になってしまいました。要するにこの町エルフは地球儀を回すように世界一周して帰ってきたというわけです。
くっ、何でしょう、このイライラというか、焦燥感というか……。
いえ、嫉妬じゃありません! これだけはハッキリしてます! ボクもいずれこの世界を隅々まで探索してやりますから! ですから羨ましくなんてないのです!
「ところが、その船が嵐にあってね」
冒険者エルフは話を再開しました。
「あの時はここで死ぬんだと思った。そして死ぬ前に一目君に会いたいと思ったんだ。それで帰ってきた。あれからずいぶん経ったから、君はもう結婚しているだろうけど。それでも……」
「今も独りよ。ずっとあなたを待っていたの」
熱い視線が二人の真ん中で結ばれました。ずいぶんと長い間、二人はそのまま固定されていました。
「これ、どうしましょう」
「やめなさいよ、野暮よ」
ボクとエリーは意識の外です。
「すみません、今日は上がります」
ユリアはそのクレイという男と行ってしまいました。腕なんか組んで、寄り添って。
次の日、冒険者エルフはうちの会社にやってきて就職しました。アイテムボックスはもちろんのこと、飛空術も使えるということでしたので鳥の回収業務を任せました。なかなか使えるやつです。
朝になるとその冒険者はユリアと一緒に出勤してきます。どうもさっそく同棲しているみたいです。ほがらかに手を振って飛び立つ冒険者エルフの後ろ姿が見えなくなるまで手を振り続けるのがユリアの朝のルーチンになりました。
「リンスさん♡ 聞いてください♡」
冒険者エルフを見送ったユリアがくるりとこちらを向きました。うわあ、すごい顔です。蕩けた顔をしています。全身から幸せが溢れ出しています。
「今朝のことなんですけど♡ クレイが──」
あ、知ってますこれ。栗毛ゼミでやったところです。
「あーっとそういえばエリーと約束してたのでした。ミリア、あとはよろしくです」
「えっ、ちょっと待ってくださいよ!」
「あのね♡ クレイがね──」
急用を思い出したボクはミリアにその場を押し付けて立ち去ったのでした。
ユリアの彼氏は鳥の回収は午前中で片づけてしまって午後からは冒険者をやっているようなのですが、その間に必ずユリアのところに顔を出します。
「ユリア」
「クレイ♡」
もちろんただ顔を出すだけではありません。イチャイチャしてます。
「うう……」
「ユリアちゃん、どぼじで……」
ユリア推しの人間たちが遠巻きに見ながら悔し涙を流しています。売り上げに響きそうなので人目につかないところでやってほしいです。
──などと考えながら見ていたら、冒険者エルフの指がユリアの耳の上側の縁をすーっとなぞりました。思わずギョッとしました。さらに耳の先をつまんで軽く引っ張ってます。
「もう、クレイったら!」
ユリアはまんざらでもない顔をしています……!
びっくりしました。公衆の面前でなんと大胆な!
「町のエルフはああいうの普通なのですか?」
こそっとささやくとミリアは赤い顔で「人前であんなことしませんよぉ!」とささやき返してきました。
ですよね!? やはり冒険者なんかやってるだけあって感覚が違うようです。
 




