3.18 漁師とコンサルタント
ラーメン工場のエルフたちに水の状態図を見せてあげました。
ボクは三重点、三つの曲線の集合する一点を指さし、そこから左下の曲線に沿って指を滑らせました。そして図の左下の部分で曲線を挟んでトントンと左右を叩きます。
「ご覧ください、水は低温低圧下では個体から昇華して気体になるのです」
「……あ!」
「本当だ!」
「わ、わかんない……」
町エルフたちから驚きの声があがります。エリーはちんぷんかんぷんみたいでしたけど。
「この原理を利用した技術がフリーズドライです。魔法でこのスープを凍らせて、魔法で周囲の気体を下げてやると……ほら、成分だけ残して水分が飛んでいっちゃうのです」
「「「「「なるほどー」」」」」
お鍋の中の鳥ガラスープを魔法を使ってマイナス三十℃まで下げて凍らせて、周囲の気圧を真空付近まで下げてやると水分だけが蒸発して成分が残りました。いわゆる鶏がらスープの素とかチキンブイヨンの素です。
「これはお湯に溶かすだけでスープになるのです」
白っぽい顆粒をお椀に入れてお湯を注いで試食してもらいました。
「──わ、すごい! 本当にスープになった!」
「ちょっと味わいが足りないけど、ちゃんと鳥の味がする!」
「スープにするだけじゃなくて調味料としても使えます。こういう料理もできますよ」
茹でた鳥の胸肉百グラムに対してニンジン二分の一本、ピーマン三個を用意します。ニンジンとピーマンを細切りにして、茹でた鳥の胸肉を細く裂いたものと一緒に耐熱容器に入れて、電子レンジで六百ワットで二分半チンします。まあこの世界に電子レンジはないのですけど電子レンジより便利な魔法があります。エルフならできるでしょう。
ここに鳥ガラ顆粒を大さじ一杯、ごま油もありませんので代わりにオリーブオイルを大さじ一杯、粗びき胡椒少々を掛けて混ぜます。
「どうぞ、ニンジンしりしりと無限ピーマンの鳥肉バージョンです」
「これもおいしいー!」
「やみつき味だ!」
「これはもう魔法の粉なのでは?」
エルフたちがワイワイ騒ぐ中エリーは衝撃に打ち震えていました。
「……え、ちょっと待って。これって大発明じゃないの? いや本当に。もしかして他の味も作れるの?」
「できますよ」
「うわー……。揚げパスタもそうだけどさ、チマチマ焼き鳥売ってるのが馬鹿馬鹿しくなるくらいに儲かりそう」
「ではこれらの事業の権利はお前にあげましょう。今の『仕事』が終わったら好きにするといいです」
「……いいの?」
「ボクの目的は冒険ですからね。お前の目的は商売でしょうから、商売はお前がやるといいです」
ラーメン工場の中に鳥ガラスープの素を作る工程を増やしました。今後はフリーズドライ版のチキンラーメンも製品化していく予定です。
「リンスさんは簡単にやってたけど、これ難しい!」
担当していたエルマが突然音を上げました。
「何がです?」
「周囲の温度に関わらず鍋だけ温度を下げて、極低温を維持しつつフィールドを設定して、中の気圧を下げていくのって……一人でやるのキツイよぉ!」
「そうですか?」
「いや一回くらいならできるけど、これを一日に何度も大規模にやるのは、ちょっと……」
「なら二人でやるといいです」
ボクは暇そうにしていたユーリを連れてきました。相変わらず他人任せでちっとも働かないのです、こいつ。せめてこのくらいやるといいです。
「じゃあ温度下げるよ? せーの」
「オーケー」
エルマが鍋の温度を下げて、ユーリが気圧を下げていきます。
「キャー!」
ブシューと蒸気の直撃を受けたエルマが悲鳴を上げました。人間だったら大惨事です。
「ちょっと、こっちに向けないでよ!」
「ごめんごめん。上に抜かすよ」
ポリポリ頭をかいたユーリは白い歯を見せて笑いました。
「もう……」
そこで許しちゃうから調子に乗るのではないでしょうか。
そんな二人を見てエリーは呆れていました。
「二人ならできるってんだから凄いわ。人間じゃとても真似できない」
いや呆れるところはそこですか?
「できないのですか?」
「そりゃ探せばできる人もいるかもしれないけどね。そういう人は国とか大貴族とか、そういうところに召し抱えられてるでしょうよ。それがエルフならその辺の町娘でもできるっていうんだから……」
「魔法に関しては全生物最強ですからね、エルフは」
「でもその力を全然活用しないでのんべんだらりと暮らすのが人生の目的なんでしょ? エルフって才能の無駄遣いというか宝の持ち腐れというか、能力の使いどころがちょっとおかしいわ」
「それはまあエルフという生き物はそういうものなので……。あ、そういえば町のエルフってそういうところに就職しないのですか? 森のエルフはもちろんしませんけど」
「公務員なんてならないよー。興味ないし」
極低温を保ちながらエルマがこっちを見て答えました。慣れたみたいです。
「エルフは人間の権威に興味がないもんねえ」
「いや、一人だけいたよ」
気圧を下げながらユーリがこっちを見て言いました。慣れたみたいです。
「へー。変わったやつですね!」
「そりゃもう変わり者も変わり者さ。この国の最初の国王は女王だけど、その夫はエルフだったんだ」
「……えっ!? エルフが王配をやってたのですか!?」
衝撃です。そんな面倒くさいことをするエルフがいるなんて、信じられません!
「エルフが国を治めるなんて普通は考えられないよ。もちろんそいつだって本音では国に仕えたわけじゃないんだ。愛した女がたまたま女王だっただけさ」
「それなら納得です」
エルフは愛の種族ですからね。
「そのエルフは今はどうしてるのですか?」
ユーリは肩をすくめました。
「実はジジイだったみたいで女王と同じ頃に死んじゃったよ」
夕方までにステンレスの箱いっぱいのスープの素が取れました。二人でこのペースならもう少しペアを増やせば商業ベースに乗せられそうです。
「どうやって売る? 個包装なら素焼きの壺かな? ……採算取れるかな」
「量り売りでしょうね」
ボクがエリーとどうやってこれを商売にするか相談してるかたわらで、エルマは何だか確信を得たようで両手のこぶしをグッと握りしめてました。
「うん、コツがつかめた! 明日からは朝イチで片づけちゃおうね!」
「それもいいけどさ。ねえ、せっかくこうして知り合えたんだから、もっと親交を深めようよ。今から美味しいものでも食べに行こう。もちろんキミのおごりで!」
「ま、いいけどー?」
誘われたエルマは別に何てことありませんよーみたいなそぶりをしてますけど、指は髪の先をいじってて、頬がちょっと赤くなっちゃってます。お前、本当にそれでいいのですか?
「エルフは稼いだ日銭全部使っちゃうけどさあ、少しは貯金したら?」
エリーがまた呆れた顔で(言外に「本当にそいつでいいの?」という意味を含めて)忠告するとエルマはきょとんと返しました。
「何で? 使うために働いてるのに、何で楽しみを我慢しないといけないの?」
「欲しいものとかないの?」
「んー、特にないかな? たいていの物は自分で作っちゃうし。今は毎日歌って踊って美味しいものを食べて、みんなとおしゃべりして暮らせるし。こんなに素敵なことないでしょ?」
するとエリーはまじめな顔でエルマに言いました。
「スズナーン・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として言わせてもらうけど、エルフはもっと働くべきよ」
「何でよ」
「だってお金になるじゃない。もっと働いて、このスープの素をもっといっぱい作って、いっぱい売るの。全国展開だって夢じゃないわ。これ腐りそうにないし」
「湿気たら普通に腐りますけどね」
「じゃあ湿気対策も考えないとね。とにかくそれで大金持ちになったあなたは引退するの」
「はあ。引退してどうするの?」
するとエリーはニンマリ笑いました。
「素晴らしいことになるわ。残りの人生は毎日歌って踊って、美味しいものを食べて、みんなとおしゃべりして暮らすの。どう、素敵でしょ?」