3.4 異常豚愛者
すっかり暗くなりましたし、もう一泊してから町を出ることにしました。また昨日の酒場に戻ってきたボクたちはまた昨日と同じように同じ部屋に入りました。
今日のお礼にもう一度ワインをごちそうしました。
「これ本当においしいわ。昔飲んでたのよりずっと……」
「昔は何をしてたのです?」
「うーん……自分で言うのもなんだけど、そこそこいいとこのお嬢様」
酔った勢いでしょうか。エリーは自分の身の上話を始めました。裕福な商家の一人娘として生まれ育ったこと。商売をしくじった父親の首吊り死体を見つけた朝のこと。借金を負わされて、返済のために体を売っていること……。
借金は利息分しか返せていないそうです。まあいい感じでお金も体も食い物にされているようですね。
「こんな町燃えてなくなっちゃえばいいって、毎晩考えてるの……」
朝が来ました。お店の前で軽く手を振ってお別れして、王都を目指して出発です。
さてボクは最初の日、北側の街道からここに来て旧市街地の北側の城門に行き当たりました。東西南北から至る街道は旧市街地を十文字に貫いているのです。王都は西の方にありますので、王都に向かうには西側の城門から出ればいいわけです。
この町は西側を流れる大きな河に面していますので、西側の城門の外はすぐ橋が架かっていました。橋を渡るともう農村です。右を見ても左を見ても麦畑で、その中に適当にばら撒いたように農家が点在しています。
そのような農家の中にちょっと様子の違うものがありました。他の農家は四方がすべて畑ですのに、その家は裏手に大きく囲いがしてあって、中で豚を飼っているのです。
その豚の中にトンでもなく大きいのがひとつ紛れていました。
少し興味を惹かれました。ボクは麦の穂の上を歩いてその農家へと向かいました。ボクの体重はリンゴ三個分しかありませんのでこのような芸当もできるのです。
「わー」
遠目にも大きかった豚は近くで見ると本当に巨大でした。毛色は茶色ベースにこげ茶のぶち模様のカワイイやつで、足だけソックスを履いたように真っ白で、しっぽがクルリと巻いています。そしてその大きさと来たら高さはボクの肩に迫るほど、体長は三メートルもありそうです。こんなに大きな豚を見たのは初めてです。
豚は柵の中をのんきな顔でノソノソ歩いていました。アイテムボックスからジャガイモを取り出して柵の隙間から差し入れるとそいつはまっしぐらにやってきて、ボクの手から直接ガツガツ食べました。フフ、こいつはトンだ卑しい豚野郎です。
「コラ、勝手に餌をやるな!」
突然後ろから大声を出されました。振り返るとこの農家の主人でしょうか、日焼けした男がつばを飛ばして大変な剣幕です。近づいたのは気づいてましたけど、何をそんなに怒っているのでしょうか?
「キール様のために特別に育てられた豚だぞ! お前、何かあったら買い取れるのか?」
男は偉そうに顔をしかめて言いました。他人の権威をかさに着た実に嫌味な顔です。あー、嫌な気分になりました。一日過ごしただけですがボクはすでにこの町のことが嫌いです。
ボクは豚に手を振って立ち去りました。
麦畑の中の面白みのない道を王都へ向かって進みます。てってこてってこその日の夕暮れにはダーズという小さな宿場町に到着しました。
小さな旅館に宿を取ったボクは古いベッドの薄いマットの上でゴロゴロ転がっていました。
なかなか眠れません。朝見た豚がとっても気になるのです。あんなに大きな豚は見たことがありません。それになかなか愛嬌のある顔でした。
そういえば男が言ってましたね……。
『お前、買い取れるのか?』
──そうです、あいつを買ってやりましょう! 豚と一緒の未来予想図がボクの脳裏に浮かびます。
豚に乗って走るボク……。
お花畑でキャッキャウフフと豚と追いかけっこするボク……。
夜は星の下、豚の体温に包まれて眠るのです……。
あっ、いいですよこれ! ウキウキします!
翌朝一番で引き返しました。足取りも軽く、スキップしながら豚の着ぐるみに【換装】します。タイトルもおさんぽスタイル改めぶたブタ豚ボアーでリスタート、豚と行く異世界旅行の始まりです!
──あ、いい名前も浮かびましたよ!
豚よ、お前の名前は弱き者です!
「ごめんくださーい! 豚を買いにきましたー!」
日が暮れる前には農家まで戻りました。入り口に立って中に声を掛けると面倒くさそうな顔をした男がノソノソと出てきました。昨日の農夫です。
「誰だよ、こんな時間に……」
「ボクです。やあやあ、昨日ぶりですね!」
「……ああ、昨日のエルフか。何の用だ?」
「ですから豚を買いに来ました。お前、売るって言ってましたでしょう? おいくらですか? 譲ってください」
「豚? 何のことだよ」
「ですから、昨日の豚ですよ! いましたでしょう? こーんな大きな豚が!」
大きくジェスチャーで示すと男はようやく思い当たったようで、ポンと手を叩きました。
「……ああ、あいつか。それならもう殺しちまったよ」
「……は?」
思考が止まりました。
「キール様がご所望でな。今朝肉にしちまったよ。今頃はパーティーのために料理されてるんじゃないか?」
さらに男はバカにした調子で言いました。
「死んでなくてもお前なんかに売るわけないだろ」
再び王都へと向かう道をボクはトボトボ歩いていました。
ガッカリです……。気分が落ち込みました……。
そりゃ食べますよね……。しょせん食い物にされるために生まれてきた豚です……。
ぼんやり畑を眺めると、飛んできたスズメが麦の茎にしがみついてユサユサ揺れました。スズメはまだ青い穂に嘴を突っ込んでその実をついばみました。
頭の中にとりとめなく関連するワードが浮かびます。食い物にされた豚……食い物にされている女……麦を食い物にするスズメ……食い物に……。
おお……。
ああああ…………!
その瞬間連想のリレーがパチパチッと火花を立てて一度につながりました。ある計画が一瞬のうちに脳裏に立ち上がったのです。
ボクは再び町に戻りました。豚のところではなく旧市街の向こう側へと。
時刻は夕暮れ時、酒場はまだ開店準備中でウェイトレスたちもようやく出勤してきたところでした。ボクはその中の一人を路上で捕まえました。
「エリー!」
「あら、リンス。どうしたの、変な格好して。それに町を出たんじゃなかったの?」
などと言うのは無視して確認します。
「お前、ここの市民権は持ってますよね?」
「それはまあ、あるけど」
「商業者ギルドの登録はありますか?」
「してるよ。今は特殊風俗業従事者登録だけど」
「もっと他のも取れますね?」
「お金があればね。ないからこんなことやってるの」
「ならば手伝うがいいです。体を売ってる場合ではありません、商売を始めますよ!」