3.1 エリー
──見送る隊長たちの姿もすっかり見えなくなりました。気分一新、久しぶりの遠出ですからおめかししましょう。【換装】の魔法を発動、ボクはささっと着替えました。
フェミニン感たっぷりのホワイトワンピースは当然のようにマキシ丈。その上に真新しいデニム地のシャツを羽織ります。袖は長めに取ってありますので端を折り返して裏を見せます。足には真っ白なスニーカーを履いて、頭には茶色い帽子をかぶって、今日のおさんぽスタイル完成です!
時刻はもう日暮れ前、道を下ろうとしているのはボクだけです。イーデーズへの旅路を急ぐ荷馬車の群れと足取り軽くすれ違います。
つづら折りの長ーい長ーい下り坂が木立の間を縫って続いています。
「とうっ!」
まあボクは下の道へ下の道へとジャンプしてショートカットしましたけどね。馬鹿正直に道を下るのは途中で面倒くさくなりました。以前隊長がふもとのローザンという町まで二日と言ってましたけど、こんな坂道を折り返しつつのんびり進んでたらそりゃ二日もかかるわけです。
日が暮れた頃には下り道の途中の宿場町を通り越しました。一般の隊商は今夜はここに泊るみたいですね。馬車が何台も停まってます。
そこからさらにジャンプジャンプ! 掟破りの地元走り、リノス線スペシャルラインです。とっぷり夜も更けた頃にようやくローザンにたどり着いたボクは何とか宿屋の空室を見つけてこの日はここに泊ったのでした。
ローザンからは隊商に便乗しつつのんびり進みます。途中の町メアンで一泊、サントでもう一泊。
このサントを過ぎた辺りから景色が変わりました。それまではいろんな種類の作物の入り混じった畑や野原、あるいは森の木立という風景でした。ところがこの先は見渡す限りの麦畑……どこまで行っても麦畑です。
まだ青々と若い麦の穂がどこまでも並ぶ単調な景色が続きます。面白くなかったのでてってってーっとマラソンしてその日の夜にはスズナーンに到着しました。
「おおー……」
皓々と月明かりに照らされて町が畑に横たわっています。
砂漠の中に忽然と現れるラスベガスのように、畑の中に大都市(※この世界比です)が突然現れました。二つの巨大な城壁を中心として、その周りに連なるいらかの波は数の限りを知りません。イーデーズ辺りの田舎とは全然違います。いえここだって田園の真ん中なのですけど。
家は畑のギリギリのところまで建っていて、麦畑から突然町に入りました。街灯のひとつもない町の中をテクテク三キロくらい歩いたでしょうか? 軒先に明かりを灯す家がようやくポツポツと現れました。火屋と油壷だけの原始的なランプです。ランプの数は次第に増え、同時に道行く人の数も増え始めます。
突然すべての家の前にいくつもの明かりが吊るされるようになりました。どうやら繁華街に入ったようです。ランプの灯は道と人とを明るく照らし出し、酔漢たちの喧騒が夜のしじまを打ち破っています。
ボクはやがて町の真ん中に、あるいは行き止まりに当たりました。月明かりにうっすら見えた城壁です。真ん中に大きな門があります。でも閉められていて入れません。
仕方ありませんね、周りの町で寝床を探すことにしましょう。
……困ってしまいました。宿が見つからないのです。いえホテルはあるのですけどどこも空室がありません。ずいぶんとにぎわっている町のようです。
この際ギルドで馬小屋でも借りましょうか……ギルドが見つかればですけど。
「ん? ここは……」
通りかかった目の前に酒場がありました。うん、入ってみましょう。イーデーズで知ってます、こういうところは部屋がついているものです。
「いらっしゃいませー」
扉をくぐると二十歳前後のウェイトレスがお出迎えしてくれました。ハート形のネームプレートには『エリー』と書かれています。にこやかな笑顔のウェイトレスは、しかしボクを見ていぶかしげな顔になりました。
「えー、いらっしゃい。エルフの女がこんなところに何しに来たの?」
「宿を探しているのです。どこも空いてませんでしたので、こういうところなら泊まれるかと思いまして」
「残念。ここは女を買わないと泊まれないところよ」
むむむ……。ちょっと思案します。
「空いてることは空いてるのですか?」
「一人部屋はないよ。ほら、帰った帰った」
……仕方ありませんね。背に腹は代えられません、この際妥協しましょう。
「それでは今夜はボクがお前の時間を買いましょう」
「……ええ?」
ウェイトレスは露骨に嫌そうな顔をしました。
「お前は一晩いくらですか?」
「……十メリダよ」
メリダは金貨の単位です。ちなみに銀貨はプライドル、銅貨はアントです。江戸時代の両分文みたいなものです。
それはともかくイーデーズの相場と比べて高すぎますね。明らかにボッてます。相当嫌なのでしょう。
「ではこれを」
ボクはウェイトレスに金貨二十枚を握らせてやりました。有無を言わせぬ倍プッシュです。
「ええ? こんなに?」
ちょっと葛藤がありました。でもその相場の何倍かのさらに倍の誘惑には勝てなかったようです。交渉成立しました。
一階が酒場で二階が泊まれる個室になっているそうです。ボクはそのエリーというウェイトレスに手を引かれて階段を上がりました。他のウェイトレスやお客たちの注目を浴びながら。
エリーがドアを閉じると真っ暗になりました。ボクは部屋の中を魔法の明かりで照らしました。
ベッドがあるだけの小さな部屋です。薄い壁の向こうから隣の部屋のプレイの声が聞こえてきます。人間の声って全然そそりませんね……。魔法で遮音壁を展開します。ついでにドアも魔法でロックしておきましょう。
エリーという売春婦はベッドにドサッと腰を下ろして、投げやりな調子で言いました。
「それで? 女同士で何するの?」
ボクは男ですけどね。とは言えこいつはボクの趣味ではありません。胸とか。
「特に何も? そうですね、この町のことでも教えてください。明日は観光してみようと思ってますので」
「そういうことなら……」
部屋の隅に小さなテーブルとイスが二脚ありました。向かい合って腰かけて、テーブルの上にワインとグラスを出します。栗毛の村のワインです。
「では乾杯しましょう。今日の出会いに」
「何それ、エルフの口説き文句?」
「男でも女でも、出会いは特別なものです」
「そうね。じゃあ、乾杯」
言いながらグラスをチーンと鳴らします。エリーはワインを口に含んで目を見開きました。
「お、美味しい!こんな美味しいワイン飲んだの初めて!」
「そうですか?」
「そうよ。私も昔は結構いい暮らししてたんだけど、こんな高級なワイン飲んだことない……」
「そうですか」
「こんなの、きっと上流階級でも話題になるわ」
イーデーズでは例のホテルで普通に出してましたので庶民でもがんばれば飲めましたけどね。
よほど口に合ったのかエリーはワインが止まらなくなりました。まあ酒場女にしては仕草が割と上品な女です、どこかの酒にだらしない冒険者と違ってあるだけグビグビ飲み干すような真似はしませんでしたけど。
実際エリーはこんな仕事をしているにしてはそこそこ教養のある女で、この町のことをいろいろと教えてくれました。
「この地方は昔からこの国最大の穀倉地帯なのよ。そしてここはその集積地として発展したの。東西南北を走る街道の合流点で、政治的には王家直轄地なんだけど王都からは遠くて、監視の目が届きにくいから規制が緩くて、それで経済的に大発展したってわけ。今じゃ王都、メルオートに並ぶこの国第三の大都市よ。ここは人も物も、あらゆるものが集まるわ。もしかしたら王都以上にね。お金さえあれば手に入らないものはないと言われてるわ」
──というような感じで。
それから今の流行のファッションだとかメイクだとか香水だとかについても教えてくれました。ボクも人間の流行についてはちょっと興味があったのです。おかげで盛り上がって、この夜は遅くまでおしゃべりに興じたのでした。
「うーん……」
すっかり酔ってしまったエリーをベッドに運びました。酔った人間に肩を貸すのは嫌でしたので魔法で。
まあ横たえたのはいいのですけど、ベッドはひとつしかありません。仕方ありませんね、並んで寝ることにします。
エリーはすぐに眠ってしまいました。
「んー……」
寝返りを打ったエリーが体を寄せてきました。……胸がプニョッとして気持ち悪いです。ボクはエリーを端に追いやって少し体を離しました。
「おやエリー、どうだった?」
翌朝、一緒に階段を降りると酒場を掃除していたババアがいやらしい顔でからかってきました。エリーはボクの腕に抱き着いてほほ笑みました。
「素敵だったわ。今日はこれからデートなの」
昨夜のお金が多すぎるというので町を案内してもらうことにしたのでした。それはいいのですけど胸を押し付けるのはやめてほしいです。