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2.64 古城にて

 結局もう一泊してから帰路につきました。


 明け方の空は気持ちいですね! 世界の色が薄墨から卵の殻の薄黄色に変わりゆく中、来た時よりも速度を落として空を飛びます。後ろの三人はズタボロですが何とか着いてきています。

 おっ、彼方に見えるのはイーデーズの町です。ようやく帰ってきました。上空を通り過ぎた農場に冒険者たちがワラワラしていました。あれが例の婚活農場なのでしょうか。




 ギルドに戻ると何だかガヤガヤしていました。がなり立てながら走り回る冒険者たちに呆れているとクランリーダーがボクたちを見つけて駆け寄ってきました。

「どこに行ってたんだ!」

「いや、ちょっと遠征にな……」

 あわただしく隊長に問いかけたクランリーダーでしたがボロボロの恰好を見てそこは納得したようです。


「何があったんだ?」

 逆に隊長が尋ねました。

「バリードの農場がオークの群れに襲われたんだ」

 親指でクイッと指さした先に男がいました。上半身を脱がされてパジャマの下だけの姿です。頭やら胸やら腕やらあちこちに包帯を巻かれて呆然と座り込んでいます。

「冒険者が五人も詰めてたんだがな、とんでもない大群でこいつ一人逃げるのが精いっぱいだったそうだ。今先遣隊が斥候に出てる」

「よし、手伝おう。何をしたらいい?」

 隊長はにわかにお仕事モードに変わりましたのにクランリーダーは首を横に振りました。

「違う、いや手伝って欲しいのはそうなんだがそうじゃない。お前を探してたのはだな、その五人の中にお前のとこのソフィーがいたんだよ! 知らせたいと思ったんだ」

「!」

 ボクは最後まで聞かずにギルドを飛び出しました。「おい、待て──」クランリーダーと隊長の声が後ろから聞こえました。待ってられません、きっとさっきの農場です。全力で飛びます!


 ──秒で到着しました。建物の前に飛び降りると冒険者たちが実況見分していたり、森の方を指さして険しい顔をしたりしていました。あちこちに血が落ち、何かを引きずった跡が幾筋も森の中へと続いています。

 多分襲撃の時に逃げ出したのでしょう。数頭の家畜がウロウロしています。牧場の真ん中に一頭の馬が寝転がって、芽吹き始めたばかりのタンポポを食べていました。


 農家の建物は一家族で暮らすにはちょっと大きすぎるようでした。きっと大勢が住み込みで働いていたのでしょう。その大きな建物のほとんどすべての扉と窓が叩き壊され押しのけられています。どうやら本当に大群で取り囲んで、一斉に押し入ったようです。ボクはその壊れた入り口から中に入りました。


 中は血まみれでした。人間を引きずったのでしょう、廊下に血の筋がべったりついています。壁のところどころにも生乾きの血が飛び散っています。

 ボクは部屋を見て歩きました。ベッドが6つある簡素な部屋はおそらく使用人だか手伝いの若者だかの部屋でしょう。同じような部屋がふたつ並んでいて、どちらもベッドのシーツから床の上まで血だらけでした。

 こんな田舎に似つかわしくない立派な調度品の置かれた部屋は農場主のものなのでしょう。ここも血まみれです。その向かいの家族のものらしき部屋は血こそありませんでしたが争いの跡が残されていました。


 それから離れてまたベッドが6つある部屋を見つけました。女ものの鎧と兜が床に転がっています。冒険者たちの詰め所に違いありません。

 壁に女性用の革のコートが吊るされています。傍に寄ると、そのベッドサイドのテーブルの上に残されたタグにはソフィーの名前が刻まれていました。


 外に出ると昇りきった朝日が牧場を照らし出していました。気配を感じて反対を見ると西の方から三人の人影が飛んできました。ようやく隊長たちが追い付きました。

「どうだった!?」

 ボクは黙ってソフィーのタグを見せました。


 冒険者が一人駆け寄ってきました。あの顔は雷剣のチューターです。

「グラッド、来てくれたか。リンスも」

「状況は? オークはいないようだが」

「襲撃は深夜だったようだ。とっくに巣に帰ってる」

「オークが夜中に動くのか?」

「相当組織された群れだな。かなりの大群だったようだ、人も家畜も根こそぎやられてる。この統率力はウルクどころかウルク・ハイがいるかもしれん」

「ウルク・ハイだと!?」

 隊長が驚いています。ゴブリンが集まるとホブゴブリンの中からゴブリンキングが現れるように、オークも増えるとウルクの中からオークの王、ウルク・ハイが生まれてきます。


 チューターは森の奥の方を指さしました。

「10年くらい前からオークの群れが森の奥の町の跡を根城にしているんだ。かなり奥の方でこっちには出てこなかったんで放置していたんだが……。多分そこから来たんだろう」

「森の奥の町……」

 栗毛が呟きました。

「知っているのか?」

「それ、多分私のご先祖様の町です」

 そういえばこいつはババアの作った王家の末裔でした。


「……ではソフィーたちもそこに連れていかれたのですか?」

「恐らくは」

 チューターが肯定しました。

「栗毛、場所がわかりますか?」

「だいたいのところはわかります」

「案内するがいいです」

「はい!」

 ボクたちは栗毛を先頭に飛び立ちました。


「あ、おい、待て──」

 後ろから聞こえるチューターの声を置き去りにして。




 森の中に古い町がありました。北側にそびえる古城の前に町並みが広がっています。道からはがれきや雑木が取り除かれ、崩れかけた家は補強され、広範囲で周りの森が切り開かれています。おびただしい数のオークがその道を歩き、古い井戸から水を汲み、家を出たり入ったり、まるで人間にでもなったつもりでいるかのように闊歩しています。いったい何匹いるのか……この感じだと群れの規模は数千匹に達しそうです。


 オークたちの流れの中に目立った動きを見せる一団があります。そいつらは薪を担いで古城の方へと向かっています。古城の前庭にはやはりたくさんのオークが集まって、炊事の煙を上げています。ボクたちはその真ん中に降りました。


 凄惨な光景でした。

 庭のあちこちで火が焚かれ、骨のついたままの馬や豚や、……あるいは人間の手足が直火で焼かれています。

 並んで置かれた大鍋の中いっぱいにグツグツ肉が煮えています。もう元が何の肉なのかわかりません。

 またなんというか下手くそにさばいた枝肉というか、肉がこびりついた肋骨と背骨と骨盤が隅の方に転がっています。人も豚も区別がありません。

 茶色い髪の毛がそのままついた頭の皮が何人分か、その中に混じって捨てられています。


 オークたちは笑いながら肉にかぶりついて、食べ終えた骨を惜しそうにしゃぶっています。母親オークが子供の口に肉を押し込むとガキオークは食べかすを飛び散らかしてキャッキャと笑いました。


 狩猟採集社会の養える人口は非常に少ないのです。例えば狩猟肉だけで1500匹のオークの群れのカロリーを賄おうと思ったら毎日ゾウ1頭を狩らなければなりません。これだけの数のオークがいたのでは常に飢餓状態だったことでしょう。今日は久しぶりの楽しいパーティーというわけです。


「ギャアッ! ギャアアァッ!」


 ようやくボクたちの存在に気づいたみたいです。一匹のオークが大きく警戒の声を立てました。食事に夢中だったオークたちも事態を理解した順番に身構えます。城の中からも石槍やら人間の剣やらの武器を手にしたオークたちが飛び出してきます。


「ホアッ!」

「ホアーッ!」


 指揮官らしいウルクに指図されたオークたちがボクたちを取り囲んで威嚇の声を上げています。

 オークたちはめいめいいろいろなかぶりものをしています。角のついた鹿の頭、たてがみのついた馬の毛皮、毛むくじゃらのトロルの頭、城から飛び出して来たオークの一匹は赤いかつらをかぶっていました。


【天地覆載】──


 ズシン、重い音を立ててオークたちが一斉に転びました。たき火が潰れ大鍋がひっくり返って中身が地面に吸われました。

 ボクはほとんど反射的に前庭の重力を10倍にしていました。耐えているのはうちの三人だけです。

「クゥゥ……」

 オークたちは息をするのも苦しそうで、潰れるほどではないものの全員地面に押し付けられて立てずにいます。


 城から出て来たオークのところへ行きます。

 全身の力が抜けました。

 その場にへたり込んで、転げ落ちたかつらを拾い上げます。

 オークの頭には見合わない小さなかつらです。多分出来立てほやほやなのでしょう。針葉樹の葉の煙の臭いが強く残っています。

 煙でいぶすだけの原始的ななめしのせいで髪はボサボサ、焦げてしまっているところもあります。


 でもボクが見間違えるはずもありません。


 泣き顔も笑顔もすねた顔も、ベッドの上でのぬくもりも肉の柔らかさも、抱きしめて夜の空を飛んだときに必死でしがみついてきた体の細さ軽さも……髪に触れているだけでよみがえってきます。

 泣き虫で怖がりで素直じゃなくて……思えば可哀想なやつでした。メルオートという都会で生まれ育ったと言っていたのに親を失い家出してこんな田舎まで流れて来て、しょうもない男に縋りついては捨てられて、やっとボクと出会えたと思ったら自分からさよならを告げて、まるで自分の方から幸福を遠ざけるように遠ざけるように行動していたのです。

 ボクはどうすれば良かったのでしょうか? 何と言われようと無理に引き止めておけば良かったのでしょうか? それとも「魔王を倒したら結婚してあげます」なんて適当な口約束でもしておけば良かったのでしょうか?


「グギギ……」


 ちょっとぼんやりしてました。気づいたらかつらのオークが近くまで這い寄ってきていて、重さに震えながら赤い髪に手を伸ばしています。

 それは自分のものだとでもいうように。




 ……何ですかこいつ。




 何ですかこいつ!




 ──混沌魔法【天地脚頭】!

 グラリ。地面が揺れます。地響きを立てながらあらゆるものが持ち上がってゆきます。


 ボクを中心とした直径5km内の重力が逆転しました。町がすっぽり収まる範囲です。城を構成する大理石、木材、屋根瓦、町の舗装も家並みも、はがれた土も石も庭の木も岩盤も空気も、そしてオークの群れもその悲鳴も──何もかもが空を目掛けて落下してゆきます。


「ひえええ! ひょえええええっ!!!」

 栗毛が絶叫しています。何を驚いているやら、ボクに足場があったら地球だって動かしてみせますよ。たかが古城のひとつやふたつ、宇宙の果てまで投げ飛ばしてやります!

 ──が!

 別にボクの仇は城でも町でもありません。むしろ邪魔です、除去します。


 アイテムボックスに城を収納! 収納! オークとオークに関わる道具を除く非生物を選択的に収納していきます。何か変な反応がありましたけど後回しです。

 すぐにオークたちが空にむき出しになりました。数千匹のオークが青空を背景にばら撒かれています。小さなオークから大きなオークまで、オスもメスも100匹のウルクも変わりなく混乱と恐怖の叫びを上げています。


 その数千匹の中にひときわ巨大なオークがいました。全身筋骨隆々で腹が突き出ていません。ウルク・ハイです。


「ゴアアアアッ!!!」

 ウルク・ハイはボクを見つけてひときわ大声で吠えました。どうやらボクを倒せばこの状況が解決するとでも思ったのでしょう、何やら魔法を撃ってきました。


「ホッ、ホアーッ!」

「ホアアーッ!!」

 オークたちが一斉にはやし立てます。うるさいですね、知性を進化の途上に置き去りにしてきたサル共が……。こんなチンケな親玉が生まれたせいで自分たちは選ばれた種族だとでも勘違いしちゃったのでしょう。

 クソ雑魚ウルク・ハイに教えてやります、魔法というのはこう使うのです!


 ボキボキッゴリッメリッ!


 ボクは魔法でウルク・ハイをひねりました。首から下、両手両足胴体をバラバラの方向に捻じって捻じって雑巾みたいに硬く絞って、全身の水分をひねり出してやりました。棒人間みたいになったウルク・ハイがすべての意志を失い空の彼方に落ちてゆきます。


「「「「「ギャッ、ギャアアアアアアッ!!!」」」」」


 王を失ったオークたちの絶望の絶叫が空を満たしました。


 ボクは天地脚頭の対象をオークだけに限定しました。ボクと黒山羊隊の三人と、かつらのオークと町と基礎の岩盤が空中に放り投げられ、停止し、元の位置目指して落ちていきます。

 背中に風を受けながら天を見つめます。流れる髪の示す先にオークたちが小さな点となって消えていきます。そうですとも、あいつらの肉体を構成していた物質の一分子すらこの地上に留まることを許しません。

 さっさと死ぬがいいです、いいオークは塵と化して消えたオークだけです!


『リンス、やめ──』

 突然リーシアからテレパシーが飛んできました。うるさいですね、遮断します。おおかたボクが何をしようとしているか予見の魔法に引っかかったのでしょうけど、毎日宇宙のどこかで超新星が爆発しています……それよりは軽く済みます!


「Lu Solis!」


 光魔法【ガンマレイバースト】!


 音も光も何もかもが塗り潰されました。遥か星辰の彼方で今日も元気に爆発しているこの宇宙における最強の物理現象を一部再現、直径5kmの光の柱が古都中のオークを飲み込みました。

 範囲内の大気と言わずオークと言わず、ガンマ線に照らされたすべての物質が一瞬のうちに電子を引き剝がされた原子核になりました。そしてその原子核は一瞬のうちに光速付近まで加速されて宇宙の果て目掛けて吹き飛んでいきました。




 ひっくり返された岩盤がこの世の終わりみたいな轟音を立てて地上に落ちました。揺れと崩落が続き足の踏み場もありません。ボクたちは空を飛んでいます。


 さて。最後に残したこいつですが。ボクは宙に浮かべたかつらのオークを見ました。

 このもっとも罪の重いオークは深い恐怖にさらされてすっかり縮こまって小便を漏らしています。

 その罪にふさわしい罰はひとつしかありません。


 ──闇魔法【冥獄】。


「オアァァァァ……」

 オークは細く引き伸ばされた悲鳴を残しゾッとするような闇の底に引きずり込まれてゆきました。


 この世界の存在は死ねば別の存在へと生まれ変わります。それは赦しであり祝福です。しかし冥獄は対象自身の魂をエネルギーとして存在をすり潰す魔法です。後には何も残りません。転生すら許されない完全な"無"です。魂の消滅はこの世界でもっとも重い罰なのです。


 もう町も城もオークたちも跡形もありません。残ったものはこの赤い髪だけです。

「リンス……」

 髪の感触を手に確かめていると隊長がボクを呼びました。気づかわしげな声です。振り向けばヴァンと栗毛もボクをいたわるような目で見つめています。


 やれやれです、どうやらこいつらなんかに心配させてしまったようですね。ボクは大きく息を吸って、吐いて、なんとかかんとか笑顔を繕いました。我ながらうまくできてないと思いますけど。


「……帰りましょう。全部おしまいです」

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