2.58 悪魔ローラ
ボクは朝から黒山羊隊の実戦訓練の相手に頭を悩ませていました。とりあえずギルドの依頼を漁ってみましたけど、ろくなのがないのです。トロルその他からの隊商の護衛の依頼なんてマシな方で、オオカミの定期駆除とか、最近増えて来たオークの駆除依頼とか、そんなのしかありません。このゴブリンを生け捕りにする依頼なんて栗毛が出したやつですし。最低でも昨日のドラゴンより強いのと戦わせたかったのですけど。
……仕方ありませんね。この際裏技を使うことにします。
というわけでボクたちは今栗毛のゴブリン牧場に来ています。ゴブリンを囲い込んだ柵から数百メートル離れて……まあこの位置なら向こうに被害は及ばないでしょう。
ボクはゴブリンを1匹、ロープでつないで連行しています。顔つきがぼーっとして生気がありません。栗毛の『処置』を受けているのです。
「それではお前たち、今日はちょっと『悪魔』と戦ってもらいます」
「悪魔……?」
栗毛が小首をかしげました。
「それってお話の中の存在じゃないんですか?」
「いや、いる」
隊長が険しい顔で言いました。そう、いるのです。
この世界にはいろいろな神様がいますけど、その中に悪魔の神ゼズズというのがいます。ゼズズはこの惑星上で行われた進化の系図とはまるで別種の生物の『設計図』を多数持っています。ゼズズにお願いしてその設計図を基に組み立てられたそれが一般に悪魔と呼称される存在です。
ところで、この世界では魂の輪廻転生が一般に信じられています。魂は死後転生の神によってこの世界のどこか、あるいはここではないどこか別の世界にいざなわれて生まれ変わるとされているのです。
ボクは身をもって知っていますけどこれは本当のことです。神がそうするのは魂が生命の根源であり、魔力の源泉であり、この世界の根幹にかかわるものだからです。転生をさせるだけの意味と価値があるからです。
ゼズズのところにある悪魔はただのデータであり生命ではありません。悪魔がこの世に現れて生命として存在するためには代償として生け贄が必要です。活動するための肉と魂が必要なのです。召喚された悪魔は生け贄の肉体を書き換え魂を奪い自分の物としてその場で『生まれ変わり』、ほんのひと時この世に顕現します。そしてこの神にデザインされた生命たちは元の持ち主よりもずっと上手に魂を扱えるのです。
──ということを説明すると隊長はうなずきました。
「そうだ。大体どこの国も戦略兵器として悪魔の召喚師を抱えている。悪魔はあまりにも強力だからだ。ひとたび悪魔が召喚されれば存在が無へと帰る前に戦場は蹂躙され町は焼け落ちるだろう。他国に悪魔を使われないように自国も召喚師を持っておく必要があるんだ。お前、悪魔の召喚もできたのか?」
「エルフなら誰でもできますよ」
魂は貴重です。家畜やゴブリン、そう、たとえ知性を破壊されたゴブリンのものであっても価値があります。
その魂を贅沢に使ってカモン悪魔!
「では行きますよ、ゴブリンを墓地へ送って悪魔を召喚します。──ゼズズ先生、お願いします!」
ジャーン! ジャーン!
シンバルを打ち鳴らすような音が牧場に響きました。
ゴブリンの肉体がクシャクシャッと紙のように丸め込まれて小さくなりました。
そこからぶよぶよした肉の塊がぷっくり膨れ上がり、無数の足がニョキニョキっと生えてきます……足というより触手でしょうか?
──そしてそれはこの世に姿を現しました。
受肉したのは"厭魅の悪魔ローラ"です。
ローラはクラゲみたいな姿をしています。ランプシェードみたいな丸い傘、その下に長さのまちまちな赤い肉垂が数十本も垂れ下がっています。傘の色は黒で大きさも形もふぞろいな紫色の斑点が一面に浮かんでいます。しかし呼吸なのか風の刺激か、何かのはずみでその黒が赤へ、赤が黄色へ、黄色が蛍光グリーンへと、海の中で魚の群れが急に向きを変えるようにヒラリヒラリと色を変えるのです。
ローラはふよふよと宙を漂いながらボクの言葉を待っています。
「現世へようこそローラ! さああの三人と戦うのです!」
ボクが指示するとローラは『りょ』みたいな思念波を返して飛ぶ鳥の速度で突撃しました。三人は即座に魔眼を発動、先頭で迎え撃った隊長が抜く手も見せず斬りつけます──しかしヌルリと避けられました。
「!?」
手ごたえのなさに隊長がビックリしています。
ローラが使ったのは【延地】の魔法です。これは縮地の逆で自他の相対距離を広げるのです。完全に当たるタイミングで斬りかかったのに剣が届きません。後ろからヴァンが撃った流星剣も栗毛の波動剣もローラの目前でスローモーションみたいに滞留してヒラリとかわされました。
しかしその一瞬の攻防で魔法の正体を見抜いたようです。瞬時に飛び込んだヴァンが縮地で延地を潰しつつ斬りかかりました。白刃が一閃、触手を一本斬り飛ばします。
オルドが作ったヴァンの剣には栗毛によって再生阻害とエナジードレイン、加えて痛覚鋭敏の魔法がかかっています。ローラにも効いているようです。触手の再生が始まりません。傘の色が激しく明滅しました。
返す刀でヴァンはその傘を狙い打っています。しかし傘の直前で剣の軌道がねじ曲がって斜め上に跳ね上がりました。延地の変形の【空間歪曲】の魔法です。同時に触手の先に硬い硬い魔法のとんがり三角錐をはめ込んで突き込んでいます。【重力爪】の魔法です。しかしこれは素晴らしい反応で割って入った隊長が盾で受けています。
「やりにくい相手だな!」
隊長は舌打ち、ヴァンは縮地をまじえたバックステップで間合いを取りました。
ローラは触手を全部指さすように持ち上げて、その先から様々な魔法を放ちました。ローラが使えるのは空間系の魔法だけではありません、催眠、混乱、魅了、恐怖、萎縮その他様々な精神支配系の魔法が襲い掛かります。最前線で盾となって魔法を受けた隊長がレジストしようと頑張っている隙に追加でさらに火炎や電撃や冷凍や重力爪の魔法が飛んできます。バシバシ体中に当たって戦士の防御魔法で頑張って耐えてます。
「痛いな畜生!」
「ドラゴンよりつよーい!」
隊長がかばい切れなかった魔法をかわしつつ栗毛が叫びます。魔眼×3のデバフを受けててこれですからね。まあそうでなければ練習になりません。
「ふんぬっ」
でもかえってやる気が出てきたようです。栗毛は魔王眼に力を込めてローラを圧迫しつつ恐怖や威圧や催淫やらのお株を奪う精神攻撃魔法を立て続けに叩き込みました。魔法の連打を受けたローラが震えています。
さらに飛び交う魔法の射線の下を潜り込むようにしてかいくぐったヴァンがひっくり返るような姿勢で下から斬り上げました。ローラの空間歪曲──を無理矢理押し切って──剣が食い込みます!
縮地は延地で相殺されてますけどそれでも強化されまくった肉体での浴びせ斬りは人間の動体視力を遥かに超えています。剣先に切り裂かれた空気がパンと乾いた音を立てました。縮地なしでも音速を超えてますね、あれ。
斬撃に乗せた彗星剣がローラをてっぺんまで貫きました。揺らめくローラに間髪入れず隊長が流星剣を連射、さらに栗毛の波動剣が全身を飲み込みます。そして下から飛び上がってすり抜けつつヴァンが無数に斬りつけると、ローラはとうとう存在を維持することができなくなり端の方から黒ずんだ粒子となってこぼれてゆきました。
「ご苦労様でした」
ボロボロと崩れゆくローラをねぎらうと『おやすいごよー』みたいな思念波を残して消えました。
「いきなり、なんてことを、するんだ……」
隊長はぜーぜー肩で息をしています。
「普通の軍隊なら100人がかりでも勝てんような相手だぞ……」
ドラゴンよりはちょっと手ごわかったみたいですね。時間にすれば短かったですけど濃厚な戦闘でした。いい感じです。
「よし、ではお前たち、これからしばらく悪魔と戦ってもらいますよ! 段階的に強くしていきますから存分に楽しむといいです」
「わーい」
「よし来い!」
「勘弁してくれ」
二回目はローラ2体同時、その次は3体と数を増やしつつ日が暮れるまでもう二回同じことを繰り返しました。最後には安定して勝てるようになってましたけど、それでも精も魂も尽き果てて、隊長は地面にひっくり返ってます。最前線で攻撃を受け続けてましたからね。装備はズタボロで全身傷だらけの隊長を栗毛が癒してました。