2..53 理力の剣
「剣が完成した」という知らせを受けてハテノへ赴きました。
敷地内に新しく建てられた鍛冶小屋を覗いてみましたけど誰もいません。ただ、まだ鍛冶の余熱が空気を焦がして、金気に満ちた火花の臭いを漂わせていました。
工場に向かうとオルドたちはそっちにいました。
「待たせたの」
オルドはぐったりと椅子に身をもたれさせてだるそうに手を挙げました。疲労の色が顔のしわを深く際立たせています。ヴァンの方はひたいに汗の跡こそ残しているものの少しもくたびれた様子を見せません。トンテンカンテン相槌を打ったヴァンの方が肉体的には重労働だったはずですけど、疲れるどころかむしろ精強さを増したようにすら見えます。やはり若さが違います。寝てても育つお年頃です。
「ワシも感覚を取り戻したかったのでな」
練習で打ったのでしょう。テーブルの上にはゾロゾロと剣が並べられていました。費用はボク持ちですのでお金も資材も湯水のように投入したのです。オルドはそのうちの一振りを手に取るとほれぼれと眺めました。
「さすがに魔眼持ちは違うな。ワシらが『手の眼』と呼んどる感覚をあっという間にものにしてしまったぞ。これなどどこに出しても恥ずかしくはなかろう。弟子入りしてひと月の者が相槌を務めたなどと聞いたらどこの鍛冶屋もたまげるだろうな」
「どれ、見せてくれ」
隊長はオルドからその剣を受け取りました。つなぎで買った普通の剣とは違って片刃です。鏡のように光を弾く刀身の長さは60cm弱、身幅の広い脇差のような形状ですが片手剣ですので柄は短いです。隊長は天井から落ちる光に剣を掲げて目を細めました。
「これが俺の剣か」
しかしオルドは首を横に振りました。
「違う。これすら児戯に思えるほどのものができあがってしまった」
言いながら剣を受け取って、もう一度眺めながら「ドワーフの剣が何故よく斬れるかわかるか?」と聞きました。
「そりゃ鍛冶師の腕がいいからだろ」
「そうではない。砥げるからだ。人間は鍛冶屋の腕のことばかり言うがな、作刀と砥ぎは車の両輪だぞ。いかな名剣も砥がねば切れん。砥ぎによって刃をつけてやる、つまり極限まで刃を薄く鋭くすることによって初めて切れ味が生まれる。だから鍛冶屋は刃に使う金属には神経を使うのだ。刃を薄くするからには金属が柔らかければすぐに潰れてしまうし、硬すぎれば欠けてしまう。硬さともろさはバーターだからな。鉄というのは炭素含有量を増やすほど硬くなるものだが、硬くなる代わりに靭性つまり粘りが弱くなる。仮に炭素量が2.1%を超えた鉄で作った刃を鋼と同じ薄さまで砥いだとして、それで硬いものに切りつけたら刃が削げ落ちてしまうだろう。なら硬い上に靭性も高い素材を使えばよいかと言えばそういうわけでもない。例えば鋼より竜骨つまりチタン合金の方が硬くて粘るが、靭性が高すぎてろくに砥げん。根気を入れて砥げばやがて刃はつくだろうが、使っているうちにどうしても切れ味は落ちる。そこから刃をつけ直すのはまた一苦労だ。とてもではないが現実に使える代物ではなくなってしまう。硬さ、粘り、砥ぎやすさ、そう言った各要素のバランスの頂点が鋼なのだな。つまり刃にするには高炭素鋼がもっとも優れているが、しかし炭素鋼には錆びるという致命的な欠点がある。錆びれば錆びたところから弱くなりいずれ折れる。冒険者などズボラな者も多いしな。そこで戦場で長く使える実用的な金属を求めて炭素鋼に近い性質を持つステンレス鋼というのが長年研究されてきた。今の主流はクロムとコバルトを添加した特殊鋼だ。現代的なドワーフ剣の標準モデルはこうだ。まず中心から棟にかけては靭性の高い金属つまり比較的炭素含有量の低い高炭素鋼を使う。これでかなり折れにくくなる。刃はステンレス鋼だな。それから側面には高炭素鋼を用いて強度を高める」
「爺さん、そりゃドワーフの秘伝じゃないのか。そんなことをベラベラしゃべっちまっていいのか?」
「聞いただけで真似できたら大したもんだが、そもそもワシらは技術を秘密にしたことはないぞ」
「工房ごとの秘伝とかありそうですけど」
「ないな。ドワーフは工房をあっちこっち頻繁に移動するのでな。新しい技術が開発されるとすぐに広まるのだ。ただもう学ぶことが途方もなく多いゆえに加護を多く受け歴史が長く寿命も長いドワーフの方が人間より有利というだけよ。今炭素量のことだけ言ったが非鉄金属の含有量やらマルテンサイトのような鉄組織やら、他にも言い出したらキリがない。ところがこの剣は──」
オルドは自分の剣を置いて壁の剣架に安置されていた剣を手に取りました。ヴァンにやったやつです。
「ワシらのとはまったく違うコンセプトでできておる。素材のことはさておいてもこの発想は目から鱗だった。そこでこの剣を参考にして、それからお前に教えてもらった新しい相も使って、まったくの新機軸の剣を造ろうと思い立った」
「相? 何でしたっけそれ」
「非晶質金属の話だ」
「あー、あれですか」
以前飲んだ勢いで教えてあげたのでした、金属のアモルファス相のことを。金属は普通結晶構造を持ちますがこの構造の不連続面が弱点となります。結晶と結晶がつながっていないところから壊れるのです。しかしこのアモルファス、非晶質状態の金属は結晶構造を持ちません。無秩序な原子配列からなります。構造の不連続面を持たないため通常の結晶金属よりはるかに強固になります。
「ガラスと似た状態か。発想としては原子レベルの粉末ハイス鋼のようなものか……?」
話を聞いたオルドは唸りました。
「どうやって作るんだ?」
「熱く熱してですねぇ、急冷すれば簡単にできますよぉ」
ボクはもらった金属片を魔法でカンカンに熱して原子を『揺らして』結晶の成長を阻害し、魔法でいきなり常温まで冷やしてその原子状態を固定しました。
「はい、どうぞですぅ」
渡すとオルドは目を閉じて指先の魔法的な感覚でじっと観察し、今度は目をクワッと開いて驚愕しました。
「な、なんだこれは!? 本当に結晶構造がないぞ!」
「それが非晶質金属ですぅ」
「そして凄まじく硬い!」
「硬いだけではありませんよぉ。非晶質金属は硬さと粘りを両立し、さらに耐腐食性も高いのですぅ。ボクの魔法なら一瞬でできますけど……ドワーフは、どうでしょうねぇ?」
「うむむむ……冶金の神の魔法をフル稼働すればできるかもしれんな……少しずつ少しずつ、何度も何度も結晶を壊して……これで剣を造れば……」
「同じ炭素鋼を使ってもマルテンサイトの数倍硬いの、でーす。でも耐摩耗性も高いので、砥げないかもしれませんねぇ」
「むぅ……だがこれだけ硬くて粘れば剣をより薄く作れる。軽くできる……」
──ということがあったのでした。
「まさかこの年で新しいことに挑戦することとなろうとはな……。ワシはまず鉄とオリハルコンの合金『真鉄』を作った。こいつは鉄より軽く、しかもはるかに堅牢で強靭なことが知られておったが……これはいわば『オリハルコンの海の中に鉄原子が浮かんでいる』状態なのだ。今思えばこれも非晶質金属のようなものだったのだな。この真鉄で刃を作り、その他の部分を竜骨、非晶質化したチタン合金で作った。何故このような構造にしたかと言えば、気に対して鉄はオリハルコンに、チタンはミスリルに準じた応答性を示すからだ。つまり鉄は気を放出しやすくチタンは吸収しやすい。ドラゴンは骨がチタン合金でできている故に気を通して飛行能力の一助となしているのだ。この剣は気を通せば真鉄のおかげで流星剣を撃ちやすく気刃剣を形成しやすい。またチタン合金部分が剣の振りを加速する。その上──ここがキモだが──戦士の神の加護を乗せた。そのためにこいつが必要だったのだ」
オルドは隣に立ちっぱなしのヴァンを示しました。
「こやつは戦士の神の守護を受けとるからな。剣に加護を授けることができると思ったのだ。それに真鉄とチタン合金という複合素材の融合──異なる素材を剣の形にしつつなじませるために圧着溶接ではなく原子交換法を用いる必要があった。チタン合金の非晶質化を維持しつつ原子交換法を使うとなればワシは鍛冶神の魔法にかかりきりとなるから、相槌が必要だったのだ。こいつには戦士の神に『この剣に加護の宿れかし』と祈りつつ相槌を打たせた。──そしてできたのがこの剣だ」
そしてオルドはアイテムボックスから違う剣を出して隊長に渡しました。見た目はさっきの剣とよく似ています。身幅のぶ厚い脇差みたいな感じです。そしてその表面は鏡のようというより完全に鏡です。景色が映っています。
「軽いな……」
「素材も違うし、非晶質金属の頑丈さゆえに薄く造れたからな。もっとも鍔元に近づくほど厚くしてはあるが。いずれの素材も硬く粘るから、芯地に柔らかい鉄を側面に硬い鉄をと考える必要がない」
「爺さん、それじゃ砥げないんじゃなかったのか?」
「だからそもそも刃をつけとらん。こいつは気刃剣前提だ。そのために戦士の神の加護を乗せたのだ。魔力を通せば自動的に気に変換され、真鉄が気刃剣を作る。これで鋭く硬く永遠に砥ぎ減りしない刃ができあがった。それにだ、普通片手剣では切り返しができんが、この剣はただでさえ軽い上に戦士の神の加護のおかげで気の操作が自分でせんでもできる。動きをアシストしてくれる。振りも速ければ切り返しも神速だ」
「ふーん」
隊長は実感がなさそうです。
「まあ使ってみればわかる。今のところワシ以外にメンテナンスできる者がおらんから、定期的に見せに来いよ」