2.51 医は仁術
黒山羊隊はここひと月ほど簡単な依頼をこなしつつまた基礎練習に励んでいます。というのもオルドが「剣を造るので貸してくれ」と言ってヴァンを連れて行ってしまいましたので、あまり大きな仕事は受けられないのです。隊長の剣もないですし。隊長は剣ができるまでのつなぎで普通の剣を買いました。ソフィーは実録エルフ密着24時をやってます。
栗毛はここ数か月脳の機能に興味を示していてゴブリンでいろいろ実験しています。そのためにハテノの近くの廃農園が売りに出ていたのを買い取ってゴブリン牧場にしちゃったくらいです。冒険者のボクではダメですけど地元民かつ本業が医者のこいつは市民権を持っているので不動産を購入することができます。さらに農地を買うには農業者ギルドに登録していないといけないそうなのですけど、こいつは実家が農家なのでそれも買うことができるのです。
何しろいくらでも数が必要ですからね。ギルドに依頼を出してゴブリンを生け捕りにしてもらっています。そいつらを牧場に連れて来て、上に鉄の返しのついた背の高い柵でぐるりと囲んで閉じ込めて繁殖させています。餌さえ与えておけばあとは勝手に増えますので。
本当にあれこれやっているようで、以前嬉々として「実験の結果ゴブリンの前頭前野と視床をつなぐ神経線維の束を切断すると、無気力、受動的、意欲の欠如、集中力低下、全般的な感情反応の低下などの症状が現れることを発見しました!」なんて報告されたことがあります。
「これはつまり認知機能に不可逆的な損傷を与えることで自発的な活動を抑制しているわけですね!捕獲したゴブリンを運搬、飼育するときなどに抵抗を軽減できます」
うーん、このいともたやすく行われるえげつない行為……医者の姿ですか? これが……。
今日はまた別の実験の成果を見せてくれました。
「このゴブリンは脳の側坐核付近にごく弱い電流を生む魔石を埋め込んであります」
「ギャー! ギャァァァ!」
栗毛は椅子に拘束されたゴブリンを指し示しました。ゴブリンは栗毛を見て全身で吠え、椅子をガタガタ揺るがして逃げようとしています。この無慈悲なゴブリンの女王はもう存在自体が恐怖の象徴のようです。
「ご覧の通り緊張状態にありますね。ところが、その魔石に魔力を通すと──」
栗毛がゴブリンのおでこを指さしてビビビと魔力の波動を送ると……
「チニャー……」
なんということでしょう。ゴブリンはニッコリ破顔して落ち着いたのです。体もリラックスしています。
「ほほぉー……。これは興味深いですね」
「情動を魔法だけじゃなくて器質的にも操作できないかなって思ったんです。いろいろやってたら脳のある部位を"押す"ことが快楽や幸福のスイッチになることを見つけました」
「いろいろって、何をしたのですか?」
「脳のあちこちに電極を刺し込んで刺激しました。この発展形がこれです」
隣の部屋に案内されました。
「ウッ……ウッ……」
そこにあった檻の中で、一匹のゴブリンが針を持って自分を刺してました。ひたすらひたすら刺し続けてました。顔には恍惚の表情を浮かべています。
「このゴブリンは少しですけど回復魔法が使えてですね、怪我をすると魔法を使おうとします。ところが魔法を使おうと魔力を発生させると脳に埋め込んだ魔石が快楽のスイッチを押します。これを繰り返しているうちに『苦痛=快楽』という条件付けが完了し、ひたすら自傷行為するようになりました」
栗毛は少し上を向いて夢見るように語りました。その頬がばら色に紅潮しています。
「これって多分快楽以外の感情も操作できると思うんです。怒りとか、恐怖とか……。この研究をもっと突き詰めていけば、ある行為がそのまま報酬となるように条件付けられる──つまりゴブリンを好きなようにコントロールできるようになるんじゃないかと思うんです!」
……こいつ栗毛だの白衣だのじゃなくて黎明卿新しきナナとでも名乗った方がいいのではないでしょうか。呆れながら「人間にも応用できそうですね」と言うと栗毛は笑って手を振りました。
「あはは、まさか! ゴブリンだからやってるんですよ! こんなこと人間相手にやったら鬼か悪魔かエルフじゃないですか!」
何てことを言うのでしょうねこいつは。こめかみグリグリの刑に処します。
「お前は本当に懲りませんね!」
「どうしてぇー!?」
「お前は思いついたことをそのまま口にする癖を改めるがいいです」
「え、リンスさんがそれを言うんですか?」
「そういうところですよ!」
「ギニャ──!」
栗毛はその他にも魔法で人為的に作ったくも膜下出血の手術も成功させています。江戸時代に転移してもやっていけそうですね。