2.34 エルフの贈り物
栗毛は毎日変わらず行動力の塊で駆けずり回っています。こいつはやることが多い方が調子が出るタイプだったようで、魔法の方もグングン成長しています。
ソフィーのメンタルも落ち着いたようで良かったです。いえこのボクがじきじきにケアしてあげてるわけですからね、落ち着いてもらわないと困ります。
「んー……。ソフィーさん、雰囲気が変わったと言うか、なんだか綺麗になりましたね」
しげしげと眺めながら栗毛がそんなことを言うとソフィーは戸惑い気味に「そ、そう?」と答えました。
「背が高くて耳が長かったら完全にエルフですよ。何かありました?」
「え、う、その……」
フフ、困ってますね。困るようなことではないでしょうに。ボクは後ろから両肩にそっと手を置いて言いました。
「恋をしているのですよ」
とたんに栗毛は色めき立ちました。
「えー! そうなんですか!? 誰です? どこの誰!??」
「ち、違うから! そんなのじゃないから!」
フフフ。慌ててます。ソフィーはうらめしそうにボクを見たのでした。
ボクたちは今イーデーズの町から崖を降りた湖の岸辺にいます。イーデーズの冬の風物詩、『鴨の冒険者猟』のためです。アヒルは年中出回っているイーデーズですがマガモは冬の味覚として愛されていて、なかなかいいお値段で取引されています。資源保護のため一日十羽の狩猟制限がかかっているのです。お金で買える枠が五つ、抽選枠が五つあって、飲食店とお肉屋さんの争奪戦になっています。
さて他所の地域ではカモは魔法で獲っているそうなのですがここでは水の上を走れる冒険者が岸辺近くに浮かんでいるマヌケな鴨を狙って手づかみで捕まえます。これが鴨の冒険者猟です。魔法で撃ったのと違って傷がついていないのでお肉の質が良いそうなのです。
今日はボクとダメッピも参加しています。森の妖精亭が運よく抽選枠を引き当てたからです。ラーナもおこづかい稼ぎで一時的に冒険者に復帰しています。水辺で屈伸しているのを見つけて声を掛けました。
「メイクしてない顔は久しぶりですね! 調子はどうですか?」
「いやーやっぱなまってんね。腰は鍛えてんだけどね!」
靴を脱ぎ捨て裸足になって、十人の冒険者が浜辺に横一線に並びました。上の方には暇な町の人たちやたまたま居合わせた旅人たちが見物しようと顔を突き出して、屋台の料理をつまみながらワイワイ楽しそうにしています。
ギルドの職員が旗を振りあげました。
「今日は人数がそろったから一人一羽ずつな。行くぞー。せーのっ、スタート!」
旗が振り下ろされて、ボクたちは一斉に走り出しました。
このように普段はカモやアヒルを食べている人間たちも冬至の日、年越しのお祭りの日だけはガチョウを食べます。このお祭りの夜は家族と過ごすのが普通で、家族みんなでガチョウの丸焼きを食べるのです。この日のために育てられたガチョウは一羽が金貨三枚と庶民には高値ですが、一年に一度の贅沢ということでお財布のヒモを緩めます。クリスマスとお正月が一緒になったようなものでしょうか?
しかし宵越しの銭も持てない貧乏で哀れな冒険者たちには到底手の届かない金額です。やれやれ、ここは愛の奉仕者たるこのボクが恵んであげましょうかねぇ。というわけでボクはおばちゃんの旦那が勤めているというお肉屋さんに行きました。
「ガチョウをください。五百羽でいいです」
「ご、五百!?」
おばちゃんと同じく太り気味の旦那はたまげてます。
「何ですか、お金なら心配しなくても即金で払いますよ。それとも五百羽は用意できませんか?」
「ええ、あの……半分でしたら何とか」
というわけで二百五十羽のガチョウを購入しました。何しろ例の絹の反物がアホみたいに売れるのです。都会の上流階級で話題になってるみたいで、スズナーンの方から買い付けに来た業者があるだけ買い占めていきます。しょうがないので問屋の支配人と相談して「他郷からの業者用は反物一本金貨二十五枚、地元の顧客のために仕立てるものは金貨十枚で卸す」と契約を改めました。それでもあればあるだけ売れます。おかげでアイテムボックスにお金がうなってまして、金貨七百五十枚くらいその場で出せるのです。
冒険者ギルドの裏手には決闘場がありますが、そこからさらに奥の湖のほとりには冒険者用の共同墓地があります。冒険者のほとんどは世捨て人のようなものです。親兄弟や親類との縁すら断ち切って家を飛び出し、自分の家族も持たずギルドからギルドへと渡り歩く根無し草。最期はいわゆる無縁仏となってここに葬られることになります。遺骨も戻らずネームプレートを埋めるだけになることも多いそうです。
ボクは墓地の手前に勝手に小屋を建てました。中にはかまどを十二個据え付けてます。で、入荷次第順次納入されるガチョウをそのかまどで焼かせました。二百五十羽も自分で焼くのは面倒だったので屋台の店長でガチョウを焼ける技術を持っているのを雇いました。だって一羽焼くのに五、六時間もかかるのです……。店長たちは順番に自分のお店を休んで、ひいひい言いながら働いています。まあ一羽サンプルで焼いてもらって残りは状態をコピーしてもよかったのですけど、それだとあまりおいしそうな感じがしませんし。
それにしてもすごい脂です。ガチョウから出た脂が飛んで建物中が脂まみれです。床が土じゃなかったら靴が貼りついて歩くたびにベリッと音がしそうですね。焼き上がったガチョウはアイテムボックスで時間停止状態にして保管します。
冬至の前日、ボクはガチョウの丸焼きを配って歩きました。冒険者ギルドに百二十羽、屋台街に百羽、森の妖精亭と中央屋台その他に二十五羽、隊長、ダメッピ、栗毛、オルドに一羽ずつです。本当は全員に一羽ずつあげるつもりだったのですけど、半分しか都合がつかなかったのでこういう配分になりました。
「太っ腹だな。いや、本当に太っ腹だな!」
と言いつつガチョウの入った袋を受け取った隊長が中を覗き込んでいます。
「一人で一羽もどうしたもんかな……。いつもの酒場で分けて食べるか」
ウェイトレスたちにいいおみやげができたようです。
ダメッピはオルドのところへ行くと言うのでお使いを頼みました。
栗毛? もう説明するのもめんどくさいです。
年越しの当日は屋台も含めたすべての飲食店がお休みで、人々は家族と共にゆっくりと過ごします。行き場のない冒険者や旅行者のために宿屋は開放してますけど店員なしのおかまいなしです。
ボクもこの日は早々に部屋に引っ込んでソフィーとガチョウを食べました。アイテムボックス内で時間が止まっていたガチョウは焼きたてのほやほやで湯気を立てています。
小さなテーブルにパンとチーズ、スープを並べて、ガチョウをお皿に切り分けて、二人きりの年越しをワインで祝いました。
乾杯するとソフィーは飲み干したワインのグラスをじっと見つめました。
「どうしました?」
「もらうばっかりで、私あなたに何もあげられない……」
なんて申し訳なさそうにしてるのでボクはニッコリほほ笑みました。
「もうもらいましたよ」
「え? 何かあげたっけ」
「お前の心です」
「……!」
それからソフィーは夜が明けるまでずっとしおらしくしてました。ちょろいもんです。