2.28 男の子ってこういうのが好きなんでしょ?
気温がちょっと上がってきて雪もすっかり溶けてしまいました。やはり温暖化世界です。
この一か月で栗毛はお勉強がちょっと進んで今ようやく分子生物学をやっているところです。何しろこいつらは科学というものを知らないので遺伝子について説明するために化学の基礎から教える必要があったもので時間がかかりました。
赤毛の方は特別メニューをやってます。というのも一か月前に聞いてみたのです。
「そろそろハッキリさせておきましょう。赤毛、お前が加護を受けている神は何ですか?」
何故か赤毛はずいぶんと渋りましたけど、最終的に「……アッシュ、保存食の神様の」と答えました。
なのに何故料理が下手なのでしょうね……。
まあそれでこいつは加熱の魔法なんて使ってたわけです。食品加工の神様アッシュの魔法には【加熱】【乾燥】【冷却】【滅菌】【発酵促進】【酸化防止】などがあります。つまり腐敗(発酵)のコントロールが本領です。腐敗の神アラゴと表裏一体の存在です。
「お前なかなか恵まれた加護を受けていたのですね」
「どこが!? ちまちまドライトマト作るだけの人生なんて嫌よ!」
「醸造家にでもなっていれば一生食いっぱぐれなかったでしょうに」
「じょうぞう……お酒作る人のこと? 何で?」
「? 何でって……発酵のコントロールがアッシュの奇蹟の真骨頂じゃないですか」
「はっこう……? なにそれ」
「……マジですか」
というわけで学習メニューに細菌学が増えました。
「私も教えてください!」
知りたがりの栗毛も一緒です。まあ医療には絶対に必要な分野ですので無駄にならないでしょう。
それはともかくこいつの魔法って今ひとつ威力が足りないのです。それって料理が下手なことと関係しているような気がします。つまり料理が下手なために神様も何となくそっぽを向いているのではないかと思うのです。
「おばちゃん、こいつに料理を教えてやってください」
「うち忙しいから指導してる暇はないかもしれないけど、いいかい?」
というわけでボクは赤毛を森の妖精亭で修業させることにしました。こいつのための特別メニュー、料理の特訓です。午前中は走り込みと細菌学の講義、午後からは森の妖精亭でバイトです。赤毛は毎日怒られながらエビを炒めてます。
夕食後に栗毛が「ゴブリンの洞窟でやってたのを教えてください」というのでボクの部屋で追加授業することにしました。恐怖とか憤怒とか、感覚を狂わせる魔法は知能が低くて本能に忠実なゴブリンその他の動物たちだとほぼ確実にかかりますからね。使わない理由がありません。人間にはレジストするのもいますけど。
赤毛はボクのベッドに勝手に横になって眠ってます。下手な料理でくたびれ果てているのです。
「それでどの神様に願えばあの魔法が使えるようになりますか? 私が加護をいただいてる神様で大丈夫ですか?」
「……そうですね、たとえばエーリーンの【無痛】は麻酔薬による作用ではなく奇蹟で感覚をいじっているので実は双方向性です。逆方向にも働きます」
と言いながらボクは栗毛に【痛覚鋭敏】の魔法を掛けてペチッとデコピンしました。
「いっったああああっ!」
栗毛は絶叫しました。大げさなやつです。ベッドで赤毛がビクッと跳ね起きて、再び夢の世界へと旅立ちました。栗毛は額を押さえて目に涙を浮かべながら回復魔法を掛けています。
「いたたた……」
「このようにかすり傷でも大ダメージになります。たとえば【恐慌】と【大胆不敵】、たとえば【不安】と【平静】は実は同じ魔法の働きが逆方向に現れたものなのです。感覚を抑える魔法と過敏にする魔法は表裏一体、ですからお前がすでに知っている魔法をちょっとアレンジすればすぐにできるようになります」
「へぇー、そうだったんですね……。そんなこと誰も教えてくれませんでした」
「人間の魔法の理解は遅れてますね……。ヒーラーにできる戦闘支援はお前が思っているよりもずっと多いのです」
「なるほどぉ~」
言いながらボクは魔法で栗毛の感情のスイッチをいじって【恐怖】と【平穏】の間を行ったり来たりさせました。
「ヒエッ……ふぅ~……ヒエッ……ふぅ~……」
ビビッたり落ち着いたり不安がったり安心したりと忙しいことです。
「うわ、これなんだか怖いんですけど……。人間の感覚ってこんなに簡単に操っちゃっていいものなんですか?」
「同意なく人間に使ったら法に触れるかもしれませんね。でもモンスター相手に使う分には効果は絶大だと思いませんか?」
「確かに!」
「感覚が過敏になる魔法にはこんなのもありますよ……感度が3000倍になぁれ☆ ちちんぷいぷいサタノファニ!」
指先から放射されたピンクのハートマークがふわわわわんと栗毛に命中、一瞬体全体がぽわんとピンク色に光りました。【催淫】、強烈に発情させる魔法です。栗毛は顔を真っ赤にして戸惑っています。感覚の正体がわからないようです。
「か、帰ります……」
「頑張るのですよー」
帰るまでにオオカミさんに会わないといいですねブヘヘヘヘ。
次の日集合場所に現れた栗毛はなんとなくおかしな雰囲気を漂わせていました。トボトボ歩いているというか挙動不審というかなんというか。面白かったので聞いてみました。
「昨日はちゃんと発散できましたか?」
「聞かないでください!」
栗毛はしゃがみ込んで真っ赤な顔を覆い隠してしまいました。
さてそれから一週間後のことです。突然栗毛が「リンスさんって料理できますよね?」と尋ねてきました。
「できなくはないですけど」
「いやだって、森の妖精亭のメニューってほとんどリンスさんが考えたそうじゃないですか」
「そりゃレシピを作るくらいはしましたけど、本来ボクは料理は苦手なのです」
エルフの料理というのは無から創造するような文字通りの魔法であって、ボクはそういうの苦手だから人間でもできるようなやり方でしたのです。
「お願いします! 私に料理を教えてください!」
「いやだから、ボクは料理は苦手だって言ってるじゃないですか」
人の話を聞いてねーですね、こいつ……。
栗毛はうじうじ指先をこねくり回しながら言いました。
「実は今度手料理を作ってあげるって約束しちゃって……」
「誰にですか」
「あの、カレに……」
「……は?」
衝撃です。それが誰だか知りませんけど、いきなり彼とやらができたのですか? つい先日までカマトトぶってましたのに。展開が早いですよ!
「でも私、家庭料理くらいしか作れなくて……」
「あまり凝ったものより家庭料理の方が男受けいいそうですよ」
こいつの焼き鳥って結構イケましたし。普通に作れば普通に受けそうです。
「でも、せっかく作るんだから、手の込んだもの作ってあげたいじゃないですか」
「そんな付け焼刃で料理のできる女アピールしても後が続かないと思いますけど」
「でもでも……」
うわーめんどくさいですこいつ。
「仕方ありません、奥義を教えてあげます」
「奥義……?」
ゴクリ。栗毛は唾を飲みました。
「これはボクの実体験じゃなくて聞いた話なのですが……男が本当に好きなものはカレーでも肉じゃがでもなく……鶏の唐揚げだそうです!」
「……唐揚げ!」
「ジューシーなもも肉もいいですしホックホクのむね肉だっていいですよね。カリッカリの鶏の皮なんて最高です! 味変用に各種スパイス塩とマヨネーズ、そして山盛りご飯とキンキンに冷やしたビールがあれば──男の子なんてイチコロです!」
「すみません、カレーって何ですか!? 肉じゃがって何ですか!?」
「それは置いとけです」
「それとすみません、鶏ってめったに手に入らないんですけど山から捕ってきた鳩じゃダメですか!?」
「余計贅沢になってる気がしますけど……。あまり脂が強くない鳥類ならいいのではないですかねぇ? まあ鶏肉は揚げちゃうのが一番ですよ。フライドチキンだって世界中で食べてますし。ともかく鶏の唐揚げさえ上手く作れば落ちない男はいないそうです」
「す、すごい……」
元の世界からも『これで彼氏ができました』と喜びの体験談が続々届いています。鶏の唐揚げ万能説の誕生です。……まあいうほど万能でもなくてひと頃流行った唐揚げ屋はあらかた潰れちゃったみたいですけど。やはりお店で食べる特別なものじゃなくて家庭料理ってことなのでしょうね。家庭料理である分男へのアピールも強いのだと思います。鶏の唐揚げ男受け最強説に変更しておきます。
「はい、それでは今日は山鳩の唐揚げの研究をしたいと思います」
「黒山羊隊のー、夕食バンザイ!」
さて始めたいと思いますが……例によってスパイスが全然ありません。胡椒もクミンもなくターメリックもシナモンも、クローブもナツメグもありません。こういう場合竜田揚げの方が楽なのですけど醤油もありません。塩竜田? はい、生姜だってありません。これどうにかなるのでしょうか? まあ、あるもので何とかするしかありませんね……。
肉を小さく切って、用意したのはパセリ、セージ、ローズマリーにタイム。ハーブはただ同然で売ってます。岩塩で下味をつけて、小麦粉とハーブをまんべんなくまぶします。しばらく寝かせてから低温で肉を揚げます。火が通ったら皿に移して置いておいて、付け合わせにフライドポテトも作りましょう。
ジャガイモを細切りにします。太さはマックポテトくらいです。切ったジャガイモに軽く塩を振りつつボウルの中で混ぜます。ところでジャガイモ料理はデンプンの扱いが重要です。たとえばポテトチップスのパリパリ感を出すにはデンプンが邪魔なので先に水にさらします。この料理はジャガイモ自身に含まれるデンプンをつなぎにするのでさらしません。
なんとなくまとまったジャガイモを円盤状に整えて揚げていきます。先に肉を揚げた油には鶏油(鶏じゃありませんけど)が溶け出しているので油自体がおいしいのです。これを捨てる手はありません。形を整えつつ真ん中におたまを押し付けてくぼみをつけます。
ジャガイモが揚がったら皿に盛りつけて、レタスみたいな葉物野菜を添えます。取っておいた鳩の唐揚げを再び揚げます。今度は高温で焼き色を付けてゆきます。カラリと揚がったらジャガイモのくぼみの真ん中に盛り付けてできあがり。
「『鳩の唐揚げとジャガイモのガレットの巣ごもり風』です。召し上がるがよいです」
「ではモグモグ……うわー、おいしい! 見た目もかわいい! こんな鳩料理今まで食べたことないです!」
いやこれはこれで悪くはないですけどね……ボクが思ってる唐揚げと違います。これほぼ鳥の香草焼き(揚げ?)じゃないですか。
「ジャガイモもおいしい! すごいです、これなら彼もきっと満足してくれます! ありがとうございました!」
「まあお前が満足ならいいですけど……」
ボクは不満足ですよ。
あとでパン粉香草焼きも作りました。こっちは普通にそれっぽかったです。