動物園
ある町の動物園にいた不完全な動物の物語である。
1 その動物
ある町に、動物園があった。
そこに、その動物がいた。
その動物は、とても珍しかった。
その動物は、人気が無かった。
何故なら、頭部を除いて毛が殆どなかったからである。人気がある動物、例えばパンダなど人気者は、全身が毛におおわれているものだ。また、その動物は、いつもオリの隅で膝を抱えてうずくまって暗い目をしていたので、ますます人気が無かった。
その動物は、飼育員から嫌われていた。
何故なら、とても世話がやけたからである。例えば、猫ならば、自分の体を舐めて清潔にしたり、爪を研いで長さを調節したりする。しかし、その動物はそれができなかった。仕方がないので、毎日ホースの水をかけてこびりついた排泄物を洗い流して、雑巾で拭いてやらなければならなかった。毎週、鋏で爪を切ってやらなければならなかった。毎日口の中にブラシを突っ込んで歯を磨いてやらなければならなかった。とにかく、世話がやけたのだ。
また、その動物は体が弱かった。冬になるとアカギレやシモヤケができて見苦しかった。鼻水を垂らしたり下痢をしたり嘔吐したので、その始末を飼育員がしなければならなかった。夏には肌が変色して水ぶくれを起こしたり剥けたりして汚くなった。しばしば熱中症で倒れたのも見苦しかった。
その動物に、子どもを産ませることになった。
この町の財政は、減り続ける税収と増え続ける社会保障費とで、悪化し続けていた。当然、この動物園にも対応が迫られていた。「珍しい動物の繁殖に成功すれば、実績になり納税者に存続を納得してもらえる。珍しい動物の子どもが生まれれば、子ども目当ての入場者が増え増収が期待できる。」と考えられたのだ。検査の結果、その動物は一年中繫殖期であることがわかったので、早速、他所の動物園からオスを借りて来て自然交配させて、その動物に妊娠出産させた。
2 子ども
飼育員の予想通り、その動物は、自分の力だけで出産ができなかったし、子どもを育てようとはしなかった。
飼育員の予想通り、子どもはとても世話がやけた。子どもは毛が無くて寒さに弱かったし、立つことも座ることもできず寝たきりだった。仕方がないので、飼育員が、その子どもに、人間の子ども用の紙おむつを履かせて、ミルクを人間の子ども用の保育器に入れて、人間の子ども用の哺乳瓶で2時間おきに飲ませた。搾乳するのも飼育員の仕事だった。
ある日、飼育員は園長に提案した。
「動画投稿サイトで、動物の子どもは人気があります。人間の子どもも人気があります。両方合わさるともっと人気があります。実は、私の妻が、あの動物の子どもを、私の家で私の子ども達と一緒に育てると言っています。ボランティアですので、人経費はタダです。いかがでしょうか。」
飼育員の提案は受理された。
飼育員は、子どもを連れて、1カ月ぶりに帰宅した。
その時から、子どもは、飼育員の家で、飼育員の子ども達と一緒に育てられた。飼育員の子ども達のお古を着せられ、一緒の食卓で食事をし、一緒に入浴をして、一緒の布団で寝た。飼育員の妻は、子どもを公園に連れて行って遊ばせた。買い物に行く時、上の子ども達の幼稚園や学校に行く時、一緒に連れて行った。行く先々で、子どもは「可愛い」と言われた。子どもは、絵本を読んでもらいながら、幼稚園に入園する日を楽しみにしていた。
3 元ネイリストと元美容師と元ダンサー
ある日のことである。
その動物は、オリの中から、柵の向こうに、一人の中年女性を見た。
「珍しい。」と思った。動物園の来園者の多くは子ども連れの家族だったからである。
女性は、悲しみ、絶望、怒り、戸惑い、不安、混乱、・・・様々な表情をしていた。
しばらくして、その動物は、女性がとても綺麗な爪をしているのに気が付いた。
その動物があまりにも凝視していたので、女性に気付かれてしまった。
女性は、驚いて、その動物を見つめて、そして、頷いた。
あれから、1週間たった。
その動物は、柵の向こうに、1台のテーブルと、2脚の椅子を見た。
それぞれの椅子に、あの女性と白いバスローブの人が座っていた。
あの女性は白いバスローブの人の手の手入れをした。
さらに、1週間たった。
その動物は、柵の向こうに、小さな椅子とリクライニングチェアーを見た。
それぞれの椅子に、あの女性と白いバスローブの人が座っていた。
あの女性は白いバスローブの人の足の手入れをした。
さらに、1週間たった。
その動物は、オリの中に、1台のテーブルと、2脚の椅子を見た。
あの女性が、その動物に白いバスローブを着せて椅子に座らせた。
あの女性は、白いバスローブを着たその動物の手を洗ってくれた。その動物の手は荒れて汚れていた。生命線も運命線も頭脳線も黒く汚れていた。オイルマッサージをして、爪の形を整え、ささくれや甘皮の手入れをしたら、見違えるほど綺麗になった。
あの女性は、その動物に、バスローブと、タオルと、マッサージオイルをくれた。
さらに、一週間たった。
その動物は、オリの中に、小さな椅子とリクライニングチェアーを見た。
あの女性が、その動物をリクライニングチェアーに座らせた。
あの女性は、その動物の足を洗ってくれた。荒れて汚れていた足が、オイルマッサージして、爪の形を整え、ささくれや甘皮の手入れをしたら、見違えるほど綺麗になった。
あの女性は、その動物に、バスローブとタオルを新しいものに交換してくれた。
さらに、1週間たった。
あの女性が、オリに来た。その動物に、成人用の紙おむつを履かせて、サンダルを履かせて、動物園の外に連れ出した。その動物は、美容室に連れていってもらった。あの女性は、その動物にトイレの使い方を説明した。あの女性は、シャンプー台でシャンプーしてもらってみせた。その次に、その動物がシャンプーしてもらった。その後、あの女性のアパートに行った。あの女性は風呂に入ってみせた。その動物も真似をした。それから、その動物は、真似をして服を着た。一緒に洗濯をして一緒に干した。一緒に準備して一緒に食事して一緒に片付けた。一緒に歯を磨いた。一緒に寝間着に着かえて、用意してもらった寝床で寝た。
あの女性は、元ネイリストだった。長年、都心の一流店で働いていた。常に最先端の技術を保持していたし、後輩も育ててきたし、商品開発もしてきたし、情報発信もしてきた。今日店があるのは自分のお陰だと自負していた。なのに、解雇された。あまりにもむしゃくしゃするので、可愛らしい動物の姿でも見たら気が晴れるかと思って動物園に来てみたのだ。が、全然そんなことはなかった。しかし、その時、その動物に出会った。
その動物は美容に興味があるようだった。動物園に掛け合ってカメラを設置してその動物の反応をSNSにアップした。反響があったので、その後も撮影と投稿を続けた。その動物の手や足はみるみるうちに美しくなった。その動物はとても嬉しそうだった。反響もよかった。その動物の学習能力は高く、その動物はマッサージのやり方を一度で覚えた。根気もありそうだ。オイルをあげたらそれを使ってマッサージを続けることができた。その動物に他にも色々学習してもらいたい。どこまでできるか楽しみだ。元ネイリストは動物園に相談した。言葉が通じないその動物に学習してもらうには、まず見てもらって、体験してもらうのがいいだろう。一緒に生活をして真似をしながら身に着けてもらおう。そして共同生活が始まった。その動物は、元ネイリストのアパートで一緒に生活をしながら、衣食住のやり方、言葉や文字を学んだ。時計を見ながら生活をし、毎日ノートに記録した。その過程は常に撮影され続けた。
白いバスローブを着ていたのは、元ネイリストの弟だった。弟は、元美容師だった。情熱をもって働いていたが、やがて慢性的な疲労を訴えるようになり、仕事に熱が入らなくなった。バーンアウトが疑われた。だとしたら、この次に来る症状が悲惨である。だから、退職した。それ以来、姉と同居し家事を手伝っていたりした。
元美容師は、その動物が手や足の手入れをしてもらっている間、自分は後ろでその動物の毛の手入れをしていた。埃や汚物でカチコチに固まった毛を、先の方からブラシで少しずつとかしていった。毛は少しずつ解放されて自由に動けるようになっていった。この変化を見ながら、元美容師の心も解放されていった。その動物の地肌は、乾燥と紫外線と皮脂と埃と寄生虫で酷いことになっていた。元美容師は一瞬心が凹んだが、勇気を出して、寄生虫対策用のシャンプーを使って丁寧に洗髪したらキレイになった。
元美容師はシャンプーを続けた。そのうち、その動物の地肌は健康を取り戻していった。元美容師の心も、動画を見ている人達の心も癒されていった。
その動物は、ダンススクールに通った。姉弟がかつて通っていたスクールで、元ダンサーが指導していた。その動物は、長いことオリの隅でうずくまっていたので、筋肉も体の柔軟性も身体の使い方もおかしくなっていた。毎日練習していくうちに、動きがキレイになっていった。その様子は常に撮影されていた。
4,園長
動物園の園長が交代した。
次の園長は就任時の挨拶で「私は、動物は、動物らしくあるべきだと思う。例えば、巷でよく見かける、犬に服を着せる、というのは間違いだと思う。」と言った。
ある日、飼育員の妻が幼稚園に(その動物の)子どもを迎えに行ったとき、子どもがいなかった。「今日、お子さんは、朝から登園していませんよ。」と幼稚園教諭が言った。この日、夫が子どもを連れて行ったはずなのに、である。急いで夫にメールをしたが返事が無かった。夫に会うべく、夫の職場である物園に行った。そこで子どもは素っ裸にされてオリに入れられていた。柵の向こうから「お母さん!」を連呼して泣いた。涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃだった。ポッコリお腹が丸見えだった。飼育員の妻は夫を見つけると「うちの子を出してください!早く!」と言った。物凄い剣幕に押されて、飼育員は子どもをオリから出した。妻は自分のブラウスを脱いで子どもに着せると、子どもを抱きしめた。そして、急いで家へ連れて帰った。飼育員は園長に叱られた。
その動物にも、動物園に戻るよう連絡があった。
本当は行きたくなかったのだが、警察とかが出て来て話がこじれるとかえって厄介なので、急いで動物園の園長室に行くことにした。その動物と、ネイリストと、美容師と、ダンス教師が公道を歩く姿を見かけると、道を行き交う人達は、大騒ぎをした。殆どの人達は、その動物が、規則正しい生活と、栄養を考えた食事と、然るべき肌の手入れと、髪の手入れと、ダンスと、筋トレとストレッチを、毎日続けたこと、その結果とても美しくなったことを知っていたからである。その日の、その動物の、肌は出来物や毛穴の汚れがあったことが嘘のようにピカピカだった。頭の毛はツヤツヤのサラサラだった。程よく筋肉がついた体で颯爽と歩いていてステキだった。何より、目がキラキラ輝いていた。その姿は、人々に勇気を与えていた。
ネイリストも、経営者としての貫禄がでてきた。美容師は、芸術家としてのオーラが出てきた。この二人も能力が評価されつつあった。自分の教え子たちの姿を見て、ダンス教師は満更でもない表情をしていた。
廊下の突き当りにその部屋はあった。「コンコン。」重厚な木製のドアをノックした。「はい。どうぞ。」と中から声がした。真鍮のドアノブを回してドアを開けると、歴代の園長の肖像写真がずらりと壁に掲げられているのが見えた。部屋の奥に大きな机があって、そこに大柄で血色がいい60歳くらいの男が、書類をペラペラめくりながらポンポン判子を押していた。「私は忙しいから、仕事しながらでもいいかな?」と言った。推し終わった書類を揃えながら、ネイリストと美容師を見て「さて、君達は、誰かな?」と言って、書類を箱に入れた。別の書類を取り出すと、さっきと同じように判子を押し始めた。「そうだ。君達は、少女たちに奢侈を広める迷惑な奴らだ。近頃の少女達は、金を稼ぐことを覚えるより、金を使うことを覚える。けしからん。子供を産む前に働いて貯金をして、子どもが生まれたら子育てに専念して、子どもを自立させたら働いて老後の資金を貯めて、ネイルサロンや美容室に行くのはそれからだっていい。そうしないと、子どもが、迷惑する。無理する少女は不道徳なことに手を染めて世の中の風紀を乱す。世間が迷惑する。私の母は、苦労して、女手一つで育ててくれた。私は母に感謝している。私は、女性の能力を信じているし、期待している。」再び書類を揃えて箱に入れながら男は言った。「私が言いたいことは、これだけだ。」目で「さようなら。」と言った。
「あのう、貴方が動物園の園長さんですね。お初にお目にかかります。」と、その動物が言った。このころには、簡単な日常会話くらいできるようになっていたのだ。
「そうだ。」と男が言った。「可哀そうに!顔をニセモノの色で塗りたくり、髪をイツワリの色に染め、服を着させられて人間モドキにさせられている!早く、『本当の自分』に戻りたいよね?」
「あのう、私は動物園に戻りたくありません。」その動物が言った。「元居たところに返してください。」
「元居たところは、私有地だから、勝手に入ることはできない。それに、君は動物だから、君にどこに住むか決定権はない。動物には、基本的人権も、社会権も、生存権も無い。」男は書類を箱に入れながら言った。
「では、決定権は、所有者にあるのですね。」
「然り。」
「貴方個人ではないわけですね。」
「何が言いたい?」
「ここは町営の動物園だから、町民皆の意見を聞くべきだと思います。」
「私は、正しいことを言っているのに。」
「最近、後期高齢者医療保険の保険料の上限が、再び引き上げられました。動物園のお金の使い方に対して納税者たちはより一層シビアになっていると思います。私は働いてお金を稼ぐことができます。衣食住を賄えます。町民の皆さんに訴えることができます。」
「ああ!皆、お金、お金、そればっかりだ!」
不完全なこの物語はこれでおしまいである。
この後の話はこの話を読んでくれた人に委ねたいと思う。
勿論、この話を読んだ後、放棄してくれても構わない。
(誰にも読まれることなく、どこかの砂漠で、風化し消滅するのかもしれない。)