死神のポカミスで私は死んだ
2022年8月15日。
私は死んだ。
「嘘、でしょ……?」
「いや、死んだ」
世間はお盆休みに入っているが、私が勤めている会社にそんなものは存在しない。
私、志津野詩はいつものように身支度を整え、駅に向かっていた。
その途中で、意識を失った……。
気が付けば、何もない真っ暗な空間。
目の前には、黒いフードを目深にかぶった人が立っている。私よりも背丈があり、声も低いので、おそらく男性だろう。
フードで、顔はよく見えないが。
「し、死因は何?」
「心臓麻痺」
「そんな……」
私は絶望に打ちひしがれた。
今まで健康に異常はなかった。25歳という若さという事もあってか、会社で行う健康診断はどの項目も良好の「A」か「B」判定だ。
心残りは山のようにある。
特に、大好きな中年男性アイドルグループ「激烈」のイベントに関われない事は、無念を超えて怨念になりそうなほど悔しかった。
「来月に新曲が出るのよ! コンサートだって再来月に控えていたのに~!!」
私は趣味が渋く、小さい頃から中年男性に魅力を感じていた。落ち着いているし、知性的な人が多いので、若い男性よりは好きだった。
「悪かった」
フードの男は頭を垂れる。
「私のうっかりミスで」
「……は?」
え、なに?
今、なんて言った?
「私は死神ファル。死ぬ予定の人間の魂を刈り取り、あの世に送るのが務め」
「はぁ……」
死神。
まあ、そんな感じはしていたけど。
じゃあ、フードの中身は骸骨ってところかしら。
「な、なんなの? うっかりミスって」
「そなたの名前、志津野(しづの)詩だったな?」
「そうだけど」
「今日、心臓麻痺で死ぬ人間は、同市に住む志津野(しずの)だったのだ」
「え?」
「同じ表記だったから、つい」
「つい!?」
「上からも、言われてしまった。「また、ミス~? もうここまでくると、草だわ、草www。だから、前から言っているじゃん。都合のいい人間をさらって、死神にしちゃえって。人間だった時の記憶なんて、そのうち消えちゃうんだから~。それで、君のアシスタントになってもらえばいいんだよ~。これで、君のミスも減るって。超いいアイディアじゃね?」……と」
「で?」
「すまん」
「いやいや!」
何が「草www」だ!
勝手に生やしていろ!
私は必死になって、ファルを問い詰めた。
「私、死ぬ必要なかったわけ!?」
「そうだ」
「なら、今すぐ、生き返らせてよ!」
私は激昂した。
激烈のコンサートチケットを無駄にさせるな! 私は有給使って、このコンサートに行く予定なんだぞ!!
「上からの通達には、続きがある。「ただ生き返らせるのは申し訳ない感じぃ? そうだ。誰か気になる人と相思相愛の仲にさせてあげようよ♡ 逆にラッキーじゃん、詩さん」……だそうだ」
「さっきから気になるけど、その上司の女子高校生みたいなノリは何なの?」
「上司はオスで、何千年と死神をやってきたベテランだが」
「まさかのお爺ちゃん!」
「というわけで、ただ、そなたを生き返らせるわけにはいかなくなってしまったのだ」
「いい。いらない」
正直、面倒くさい。
もう責めないから。
お願いだから、普通に生き返らせて。
「まあ、そなたには今、恋仲と呼べる人間がいないようだしな」
「……はいはい。すいませんね」
死神の今の言葉に、私はイラついた。
そんな話は耳にタコなのだ。
母親からも「いつまでおじさん達を追いかけているの! 現実にいい人はいないわけ!?」と毎日言われている。
「そこで、そなたの周囲にいる人間を、何人かピックアップした。全員、そなたに恋をしている設定してある。今からシミュレーションを展開するので、よろしく頼む」
「え?」
「今からそなたを仮想世界に生き返らせる。そこで様々な相手と恋愛をし、気に入った相手がいれば、本当の世界でもその人と結ばれるようにしよう」
「ちょっ! ちょっと待って」
「何かあれば「死神!」と呼んでくれればいい。では、シミュレーション、開始!」
「わかった」と答えたわけではないのに、シミュレーションとやらが始まってしまった。
死神ファルが右腕を掲げると、私の視界はグニャリと曲がった。
♥
「先輩」
「っ!」
気が付くと、職場にいた。
十台ほどのデスクが並んだ私のオフィス。
窓からは日光が差し込み、ほどよい温かさを運んできてくれている。
よくある光景だが、不思議な事に誰もいない。
……私と後輩の如月さん以外は。
「……」
そうか。
これが仮想現実ってやつね。
私は初めて物を見るように、見慣れている職場を見回した。
これが「仮想」?
本物そっくりだわ。
「どうしたんですか? ボーっとして」
私の隣では、如月さんがクスクス笑っている。
最近、入ってきた社員で、私より2つ下の女の子。
柔らかい笑顔がみんなの癒しになっていて、オフィスと言う名の砂漠にあるオアシスみたいな存在だ。
「いや、あの、みんな、どうしたのかなーって」
仮想とは言え、変な人扱いされるのは嫌だ。
笑って誤魔化した。
「みんな、出てしまいましたよ」
「出て……」
うちは営業部でも渉外部でもない。ゆえに、ここまで人がいなくなる事はないのだが……。
まあ、仮想現実だからあり得ない状況も起こりえるか。
って、あれ?
この仮想現実は、私の相手を探す為にあるんでしょ?
おかしくない?
いるのが、女性の如月さんだけなんて。
……いや、待てよ。
如月さんは、同期の田中君と仲がいいはずだ。
ああ、なるほど。
つまり、如月さんを通して田中君と私を恋愛させる、と。
そういう事か。
ええ~!
田中君、可愛い顔しているけど、年下じゃん!
年下はなぁ~。
「先輩」
私が一人で悶々と思いを巡らせていると、如月さんが椅子を回し、私の方に向き直った。
顔を伏せ、桜色のブラウスの裾をモジモジと弄っている。
「ん?」
「この間の返事、聞かせてもらえます?」
「この間の返事?」
私は記憶の海を探し始めた。
如月さんから何か返事を求められていたっけ?
あ。でも、無駄だ。
ここ現実じゃないんだから。
「忘れちゃったんですか!?」
可愛らしい顔が絶望に染まっている。
なんか負い目を感じるなぁ。
「ご、ごめんね」
「私、一生懸命、告白したんですよ!」
「告白!? えっ! だ、誰に!?」
「何言っているんですか!? 志津野さんにですよ!」
「……」
人間って、とんでもない現実(本物じゃないけど)が起こると、本当に頭が真っ白になるんだね。
一瞬、頭も身体も凍ったわ。
働かなかったわ。
ピクリともしなかったわ。
「わ、私に!!?」
やっと動かせるようになった時、私は叫ぶしかなかった。
なに、この展開!?
「私、志津野さんが好きです!」
「ちょっと待て! 私、今、パニックなんだけど」
「前向きに考えるって……今日、きちんと返事するって言ったじゃないですか!」
「前向きに!?」
何、言っているの!? この世界の私!
ありえないでしょう!
「志津野さん……」
色っぽい目つきで私を見つめ、如月さん立ち上がった。
待て待て待て。
何が始まるの!? ここ、職場よ!
「私の気持ちに応えてください……」
柔らかくて細い身体が、私の身体を包み込む。
ぎゃー-!
「死神!!」
私は必死の思いで彼の名前を叫んだ。
♥
「ダメか」
「……」
あ。さっきの何もない空間だ。
戻ってきたのか。
目の前にはファルがいる。
「な、なんで、如月さん?」
「……職場で一番仲が良かったはずだ」
そりゃ、席、隣だし。
可愛いし、よく話していたけど。
「根本的なところが違うと思う……」
「うむ、わかった」
何かを考えこんでから、ファルは再び右腕を掲げた。
本当にわかっているんだろうか?
そんな疑問を抱きながら、私の視界は歪んだ。
♥
「志津野さんもお茶?」
目が覚めると、そこは給湯室だった。
ここではよくお茶やコーヒーを淹れたり、お昼にカップ麺を作ったりしている。
水場のくせに、小さな換気扇しかないので、湿気臭い。そこまで、この仮想現実は実現していた。
「私も今、休憩中。お互い大変よね」
「お疲れ様です。龍宮寺部長」
同じ給湯室にいたのは、部長の龍宮寺さん。
もうすぐ定年退職を迎える60代のベテラン女性社員だ。
さっぱりとした性格で、気さくに話しかけてくれる。男女ともに人気がある上司だ。
さてさて、また始まったぞ、この展開。
私の相手探しで、女性の龍宮寺部長が登場。
う~~~ん。
この間、中途採用で入ってきた鈴木君かな?
龍宮寺部長。鈴木君の事、気に入っているのよね。「うちの息子に似ている!」とか言って。よく一緒に仕事をしている。
これは、「じゃあ、志津野さんもご一緒に仕事しましょう」と誘われるパターンかな? それで、鈴木君と私を恋愛関係にさせると……。
鈴木君は私と同い年。
でもなぁ。彼、背が低いのよねぇ。
日本人女性の平均身長である私より低い。
むむむ……。
「何を悩んでいるの?」
「いや、何でもないです」
こんな事、話しても部長は何の事だかわからないだろう。
話さない事にしよう。
「あなたが苦しんでいる姿を見るのは、辛いわ」
「……」
あれ?
龍宮寺部長、距離が近くない?
どんどん歩み寄ってきて……今は、もう目と鼻の先くらいだ。
「私が慰めてあげる」
血管の浮き出た両手が、私の顔を包み込んできた。
ちょっ……!
これじゃあ、さっきと変わらないじゃない!
「あ、あの! これはどういう……!!」
「大丈夫。私に身を任せて」
熱っぽい龍宮寺部長の声が、私の耳元に囁きかけてくる。
ぎゃー-!!
「死神ぃ!」
♥
「さっきより早いな」
何もない空間に帰ってきた。
危うくキスされそうになり、私は目にたまっている涙を手で拭った。
「恐かった! 恐かったよ~!」
「そなたが「激烈」とか言うグループが好きだと言うので、調べてみた。そしたら、中年しかいなかったので、ああいうのがタイプなのかと」
「中年が好きなの! 龍宮寺部長は60代よ! おばあちゃんじゃない!」
自分で言っておいてなんだが、龍宮寺部長に失礼な事を言った。
あとで謝りたい。
ごめん、部長。
「もっと若い方がいいのか」
「大体、なんで、相手がみんな女……」
「では、これではどうだ」
私の話を最後まで聞かず、ファルは再び右腕を振るった。
おいっ!
♥
「あ。うたちゃんだ」
気が付くと、見慣れた景色。
でも、職場じゃない。
家の前じゃん。
「うたちゃん、今、仕事から帰ってきたの?」
「愛ちゃん」
私に声をかけてくれたのは、小学校二年生の氷室愛ちゃん。
お隣に住んでいる女の子だ。
愛ちゃんの両親は離婚しちゃって、お父さんと二人暮らしなんだよね。私が学生の頃は、よく遊んであげたものだ。
…………。
嫌な予感がした。
いや、まさか、そんなはずがない。
落ち着いて、詩。
相手は小学生よ、低学年よ。
ありえないでしょう!
「あのね。うたちゃん、聞いて」
ツインテールの髪を揺らし、愛ちゃんは耳まで赤くして、激白した。
「私ね……、うたちゃんと合体したい!」
「ぶっ!」
とんでも発言に、私は思わず吹き出してしまった。
子供になんて事を言わせるのよ!
「うたちゃん!」
「ぎゃー-!!」
愛ちゃんが抱きついてきた。
本来なら抱き返してあげたいところだけど、こんな状況じゃ嫌だ!
私はたまらなくなって、叫んだ。
「し、死神!!」
♥
「早っ」
「ふざけるな!」
私はさすがに苛立ちを感じていた。
「あんな小さな子、相手にするわけないでしょう!」
「しかし、若い子がいいと……」
「若すぎるわ!」
苛立ちはやがて、怒りへと変わっていく。
私は勢いよくファルの胸ぐらをつかんだ。
「私の相手を探すはずなのに、なんで相手が女性ばっかりなのよ!! 私が「激烈」が好きだって分かっているんだから、そういう男を見つけてこい!! このすっとこどっこい!!」
怒り任せに、激しくファルの身体を揺さぶる。
「ま、ま、ま、待て……」
あまりにも激しく揺れたものだから、ファルのフードが取れてしまった。
そこに骸骨の姿は……なかった。
「えっ!?」
私は目を疑った。
そこにいたのは、やや白が混じる頭髪に端正な横顔。目元には、まだ浅いがしっかりとシワが刻まれている。それはどこか哀愁漂う、素敵な中年男性だった。
「あらぁ♡」
「すまん。人間だった時の記憶が、私にはほとんど無くてな。若い娘の恋の相手というのがどういうものなのか……よくわからないのだ」
「はぁ~……♡」
もうため息しかでない。
口元に手を置いて、考えてこんでいる姿なんて、私の心を的確にヒットさせてくる。
カ、カッコいい~。
「もう一度、チャンスをくれないだろうか? 必ず相手を見つけよう」
「いえ、もう見つけました♡」
「ん?」
♥
数か月後。
「喜んでくれ、ウタ。上に褒められたぞ」
どこの世界でもない、真っ暗な闇の中。
ここは我々死神が生息する場所である。
そこに、私の相棒ファルが嬉しそうに報告しに来た。
「「いいじゃん、ファル。最近、ミス減ったね~。チョベリグチョベリグ☆」……だそうだ」
「チョベリグ?」
「私にもわからん」
相変わらず、上司のノリは女子高校生だ。
まあ、だんだん慣れてきたけどね。
「お前のおかげだ、ありがとう。ウタ」
ファルの大きな手が、私の頭を撫でてくれる。
大好きなファルが褒められる事も、ファル自身に褒められる事も、私にとってはご褒美だった。
「良かったね……と言いたいところなんだけど。またミスがあったわよ。ファル」
私は「死亡者予定リスト」を出しながら、ファルに報告する。
ファルは頭をかいた。
「すまん、またか」
「次、魂を刈り取る人は神宮寺じゃなくて、龍宮寺よ。気を付けて」
「うむ」
私の仕事は、ファルが与えられた仕事を正確にこなせるようにアシストすることだ。
ファルはミスが多いから、私の仕事が減ることはない。でも、大好きなファルの役に立てるこの仕事に、私は満足している。
「龍宮寺……」
ふと、ファルがつぶやいた。
なんだろう? 別に、なんて事のない人間だけど。
「なに?」
「……そなた、この人に見覚えはないか?」
ファルは先ほどの「龍宮寺」という名の人間を指し示す。
さっぱりした笑顔が素敵な、普通の60代の女性だ。
「?」
全然知らない人間なので、首をかしげる。
ファルは何か言いたそうだったが……首を振った。
「いや、何でもない」
「そう。じゃあ、行こう」
「ああ」
ファルが人間の世界へと下りていく。
私もアシスタントとして、彼の後についていった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。