6.変わりゆくもの
その日、私はコンラートと一緒に大きな荷物を担いで森の外に向かっていた。毛皮がそれなりの量になったので、お金に換えるために近くの宿場町に持っていくことにしたのだ。
私はいつも獣を狩っているということもあって、普通の女性よりは腕力も、体力もあるけれど、一人で持てる荷物の量はたかが知れている。でも今日は、コンラートも荷物を持ってくれている。おかげでいつもよりたくさんの荷物を、いつもより楽に運ぶことができた。
気のせいか、足取りもいつもより軽い。コンラートとお喋りしながら、森の小道を抜けていく。
私が住むカシアスの森のすぐ外、街道沿いに、宿場町はある。いつ見てもたくさんの人がひしめいていて、とてもさわがしい。
「人の多いところは、久しぶりだな。ゾフィー、どこに向かうのだ?」
「こっち」
明らかにわくわくしているコンラートを連れて、大通りから少し離れたなじみの店に足を運ぶ。様々な獣の皮が積み上げられた店内を見て、コンラートは物珍しげにきょろきょろし始めた。楽しそうだなと思いながら、カウンターの奥に座る店主に声をかけた。
「毛皮、売りにきた」
笑いじわが特徴的な中年の店主は、返事をすることなくコンラートのほうをちらりと見た、それからこちらに向き直り、にやりと笑って声をひそめる。
「おいゾフィー、あの美形は何者だ? もしかしてお前のいい人か?」
「違う。ただの居候。行き倒れてたところを拾ったの」
「へえ、お前がそんなものを拾うとはなあ。しかも面倒を見てるって、なあ」
妙な方向に話を持っていこうとする店主の話をさえぎって、持ち込んだ毛皮をカウンターにどさりと置いた。
「無駄話はいいから、さっさと買い取って。彼が背負ってる分も」
「へいへい」
店主は調子良く答えていたが、その目は抜け目なく毛皮を検分している。やがて、感心したようにつぶやいた。
「またずいぶんと量が多いな。今年は獣が多いのか? それに、いつもより手入れが行き届いているような」
「……狩りの時間が増えただけ。あと、手入れの時間も」
「ほおん? なるほど、分かったぞ。お前、あの美形に家を守らせて、その分仕事に専念してるんだな?」
店主のにやにや笑いが大きくなる。コンラートは窓の前に立ち、興味深そうな目で外を見つめている。窓から差し込む光が、彼の整った横顔を鮮やかに彩っていた。
「別に、家を守るとか、そういうのじゃ……」
普通、家を守るのは妻や母親、あるいは娘といった、家の主と近しい関係の人間だ。店主の目には、私たちがそんな関係に見えているのだろうか。急に恥ずかしさと、くすぐったさがこみ上げてきた。
「……いいから、早くして」
「はいはいはいはい。いやあ、若いってのはいいねえ」
気のせいか、顔が熱い。そんな私を見て、店主はそれはもう愉快そうに笑っていた。
やっとのことで毛皮を買い取ってもらった後、私たちは大通りの片隅で押し問答をしていた。手のひらほどの大きさの袋をコンラートに渡そうとする私と、それを突き返そうとする彼。袋の中身は、さっきの毛皮の代金の一部だ。
「だから、これはあなたの分。あなたが家事を手伝ってくれたお礼なの」
「いや、それは受け取れない。それは君が獣を狩ることで得たものだろう。何もしていない私が受け取っていいものではない。それに私は君に恩を返している身、礼など不要だ」
「何もしていないとか、そんなことない。恩返しとか、気にしなくていい」
「いや、私は狩りにおいては役立たずだ。それは君だって、分かっているだろう」
ずっとこんな調子で、彼は頑として聞き入れなかった。
確かに、彼の言う通りではあった。彼は山刀も弓も扱えなかった。一応教えてはみたものの、彼はどうしようもなく腰が引けてしまっていた。何かを傷つけるための道具を手にしているということが、そもそも辛いらしい。
ならばと彼は獣の解体に幾度か挑戦していたが、そのたびに気分が悪くなって、すぐにその場を離れる羽目になっていた。解体して原型を留めなくなった肉なら、普通に調理できるので、たぶん血が苦手なのだと思う。
だから私は彼を狩りに参加させはしなかったし、獣の解体や毛皮の加工も一人でやっていた。人間誰しも得手不得手はあるものだと、私のほうは気にもしていなかったのだけれど、私が狩った獣を引きずって帰るたびに、彼は申し訳なさそうな顔で出迎えていた。
毛皮を売って得た金を彼が受け取りたがらないのには、そういった訳があった。けれどお構いなしに、彼の手に袋を押しつける。こうなったら、実力行使だ。腕力ならたぶん、私のほうがまだ上だ。
「いいから、受け取って。どうしても自分のものにしたくないのなら、私の代わりに貯金するつもりでいればいいから」
「そ、そうか、貯金か。そうだな、これは大切に取っておいて、いずれ君に返すとしよう」
それでようやく彼は納得したらしく、お金の入った袋を大切に懐にしまい込んだ。きっと彼はその言葉の通り、律儀に貯金をするのだろう。彼が部屋のたんすに袋をしっかりとしまい込む姿がありありと思い浮かんで、つい笑みをもらしてしまった。
「じゃあ、私は鍛冶屋に行ってくるから、また後で」
「買い物だろうか。私もついていきたいのだが、駄目だろうか」
「……今の山刀を研ぎに出して、ついでに予備の新しい山刀を探しに行くの。あなたは刃物が苦手だし、素人が店の中をうろつくと危ない。だから、その辺で時間をつぶしていて。そのお金で何か買ってもいいし」
「いや、それならおとなしくここで待つことにしよう。行き交う人々を眺めているだけでも、中々に興味深いものだからね」
すぐにそう答えると、彼は道のわきに立ってにっこりと笑ってみせた。私は無言でうなずくと、鍛冶屋の方に向かって歩き始めた。途中でふと振り返ると、彼の姿は人ごみに埋もれて見えなくなっていた。
用事は決まっているし、そう長くコンラートを待たせることもないと思っていた。けれどそんな私の思惑はあっさりと外れてしまった。運の悪いことに、今日に限って鍛冶屋には多くの客がつめかけていたのだ。あの店にあそこまで客がいるのは、初めて見た。
やっとのことで用事を済ませて、大通りに戻る。もう昼時になっていたということもあって、人通りはさらに増えていた。きっとコンラートは、それでも律義に私を待ってくれているに違いない。そう確信できるからこそ、長く待たせてしまったことが余計に申し訳なかった。
何か、埋め合わせをしよう。今日の夕食は私が作ろうか。彼の好物がいいだろうな。そんなことを考えながら人の間をぬうようにして進んでいた時、甲高くて甘ったるい声がいくつも聞こえてきた。
「ねえ、いいじゃないのコンラートさん。連れの子なんて、どこにも見えないじゃない」
「そうよそうよ。ずっと待たされてるみたいだし、今度は逆に待たせちゃってもばちは当たらないわよ」
「私たちがおごるから、一杯飲んでいってよ。それだけなら、そんなに時間もかからないわ。私たち、あなたともっとお話ししたいの」
人の波の向こうから、浮かれた女性たちの声がする。その声の主たちは、どうやらコンラートに話しかけているようだった。
考えるより先に、足が止まる。狩りの時と同じ要領で気配を殺し、手近な物陰に身をひそめた。
そこからそっと様子をうかがうと、三人の若い女性がコンラートを取り囲んでいるのが見えた。あのなりからすると、彼女たちはおそらくその辺の食堂か酒場の給仕だと思う。昼時なのにあんな風にのんびりしているということは、夜だけ開いている酒場の者だろうか。
割って入ろうとして、すぐに思いとどまった。コンラートが、今まで見たことのないようなにやけた顔をしていたのだ。化粧の濃い女性たちに囲まれながら、それはもう見事に鼻の下を伸ばしていた。
彼はあくまでも柔らかい物腰で、女性たちの誘いをやんわりと断ろうとしていたが、あの分だとそろそろ押し切られてしまいそうだ。というか、女性たちはかなりあからさまに彼を誘惑している。どう見てもあちらのほうが、何枚も上手だ。
私の都合で彼をほったらかしにしてしまったこともきれいに忘れて、私はひっそりと腹を立てていた。別に彼が女性たちと仲良くしていようと私には何の関係もない筈なのだが、どうにも腹が立って仕方がなかった。
そして同時に、そろそろ頃合いなのかもしれないと、頭の片隅で冷静に考えていた。
血も刃物も苦手で人と関わることを好む彼には、森の中の狩人の家は似つかわしくない。彼に言ったことはなかったが、私はずっとそう思っていたのだ。
いつか、彼はもっとふさわしい場所に出ていくべきなのだ。なしくずしに彼と一緒に暮らし続けてきたけれど、いつまでも私のところに彼を留めておくべきではない。
そんなことを考えていると、コンラートは歩き出した。女性たちに腕をとられて、宿場町の中央、いちばん栄えている辺りに向かって。
胸元をぎゅっと押さえる私の手は、びっくりするくらいに震えていた。彼と離れるのなら、今だ。私は口下手で、うまく説明できる自信がない。でもここに彼を置き去りにしてしまえば、私の考えていることも伝わるかもしれない。
引き止めてはいけない。引き止めたい。そんな気持ちを抱えたまま、ゆっくりと彼らに背を向ける。宿場町の出口に向かって、ぎこちなく歩き出した。彼にお金の袋を渡しておいて良かったなどと、そんなことをぼんやりと考えながら。