5.二人で森へ
実りの秋が来た。そして私たちは、かごを持って二人で森に分け入っていた。クルミにブドウ、クリといった木の実がそろそろ手に入る時期になったのだ。ほかにも、食べられる植物をたくさん集めるつもりだ。
ただしキノコについては、うっかり毒のあるものを引き当てないとも限らないので、基本的には無視だ。キノコが食べたくなったら、近くの村に住むキノコ採りの達人から買えばいい。
そうして二人、どんどん森の奥に進んでいく。普段はこんなところにコンラートを連れてきたりはしないけれど、今回ばかりは人手が多い方がいい。
道なき道を突き進みながら、時々振り返って後ろを確認する。コンラートはよろめきながらも、どうにか私についてきていた。ちょっと距離が開いてしまったので、彼が追いつくのを立ち止まって待つ。
彼の淡い金髪が、木もれ日にきらきらと輝いている。私の髪は真っ黒で、狩りの時に物陰にひそむのには都合がいいけれど、ああいった綺麗な金髪にはちょっとあこがれる。
私がこんな風に考えていることを知りようもないコンラートは、その間も一生懸命に茂みをかき分けて、少しずつこちらに近づいてきていた。こういったところを歩くのが初めてだからなのか、少し息が荒い。
「ずいぶんと、木々が密集しているのだな。茂みと下草で足元がまるで見えない」
「森の奥はあまり人が入らないから、その分色々なものが手に入る」
「そうか、それは楽しみだな。料理の腕の振るい甲斐があるというものだ」
「でも、私のそばを離れないで。蛇とか、熊とかが出るかもしれないから」
「う、うむ、気をつけよう」
浮かれ気味のコンラートを、少しばかり強めにたしなめる。私は狩りの時にこの辺りを歩くこともあるが、彼は初めてだ。警戒させておくに越したことはない。そう思ったのだ。
ところがコンラートは、身をこわばらせて辺りを見渡し始めた。少しばかり脅しが効きすぎたかもしれない。
「……そこまで緊張しなくてもいい。ほら、これあげる」
ちょっとかわいそうになって、すぐ近くになっていた野ブドウをひと房彼に差し出した。緊張して肩をすくめていた彼の顔が、ぱっと輝く。
「これは、ブドウか? それにしては小さいな。何とも可愛らしい」
「そういう種類なの」
言いながら、もうひと房をもぎとって、その一粒を口にする。強い酸っぱさとほのかな甘さが口の中に広がって、思わず顔が緩む。
それにつられたのか、彼も手の中の野ブドウを一粒口に放り込んだ。見る見るうちに、彼の顔がぎゅっとしかめられる。
「何だこれは、恐ろしく酸っぱいぞ!?」
「あ、それ外れだ。ごめん」
「外れ? 当たり外れがあるというのか?」
「うん。ほら、こっちのは当たりだから、あげる」
私が持っていた野ブドウを分けてやると、彼は驚きに目を見開いた。
「おお、これは美味だ! こうも違いがあるとは、野ブドウとは奥が深いものなのだな」
本当に、彼は妙なことにいちいち感動するものだ。そう思いながらも、私は浮かんでくる笑いを抑えることができなかった。
それから二人で手分けして、様々な果実や木の実、野草などをひたすらに集め続けた。彼は声を弾ませながら、それぞれの名前や調理方法を次から次へと尋ねてくる。頬に泥汚れをつけたまま目を輝かせている彼は、まるで無邪気な子供のようですらあった。
かつて父さんがそうしてくれたように、私は彼の疑問に答え続けた。きっと子供の頃の私も、父さんにはこんな風に見えていたのかもしれない。
「今日の君は、よく笑うな。いいことだと思う」
どうやら私は、いつの間にやら笑みを浮かべていたらしい。両手いっぱいに野草と果実を抱えたコンラートが、ひときわ嬉しそうにそう言った。
つい彼に見とれそうになりながら、どう答えたものかと無言で考え込む。コンラートはそんな私を、にこにこと笑いながら見守っていた。
なんとものどかな空気が流れたその時、少し離れた茂みが大きく揺れた。がさがさという音に、私たちは同時にそちらを向く。
「人か、獣か……どちらなのだろう」
そう言って首をかしげているコンラートに、自分の分のかごを押しつける。腰に下げた山刀を抜いて、彼をかばうように身構えた。
おそらくあれは人ではない。仕事中の狩人であればもっとしっかりと気配を消す。あんなに不用意に茂みをがさがささせることはない。それに、そもそもこの森を狩場にしているのは今のところ私だけだ。
そして木の実などを拾いに来た村人であれば、私たちのように話しながら歩くか、あるいは鈴などを下げている。そうやって人の気配をさせておけば、熊が近づきにくくなるのだ。
けれどさっき揺れた茂みからは、話し声も鈴の音もしなかった。だからきっと、あれは獣だ。しかもかなり大きい。認めたくないけれど、たぶんあれは熊だと思う。
こんなことになるのなら、猟犬たちも連れてくれば良かった。最近この辺りで熊を見ることはなかったし、私だけでも大丈夫だと思ってしまったのだ。森に慣れても油断してはいけない、と口を酸っぱくして言っていた父さんの声がよみがえる。
後悔をかみしめながら、背後のコンラートに呼びかける。
「下がっていて。たぶん熊」
「熊だと! ならば早く逃げなければ」
「もう遅い。今背中を見せたら、たぶん追いかけてくる。立ち向かって、追い払うしかない」
そうやって小声で話し合っている間にも、がさがさという音はどんどんこちらに近づいてくる。目の前の茂みをかきわけて、一頭の熊がぬうっと姿を現した。すぐ後ろで、コンラートが悲鳴を飲み込む気配がした。
「コンラート、そのまま動かないで。私がやる」
注意深く山刀を構えたまま、わずかに進み出る。熊と目を合わせて、全力でにらみ返す。
猟犬がいない時に熊と出会ってしまったら、ひたすらにらみつけて、あちらが引くのを待つ。そうやってじりじりと、少しずつ後ずさって距離をとる。もし背中を向ければ、一気に襲いかかられて終わりだ。子供の頃から父さんに幾度となく聞かされた、そんな言葉が次々と頭に浮かぶ。
背中を冷汗がつたう。それでも身じろぎ一つせずに、ただひたすらに熊の目を見つめ続ける。山刀を構える手が、かすかに震えていた。
ここで私が押し負けたら、コンラートが危ない。私は山刀を扱えるし、自分一人の身ならぎりぎり守れる。でも、彼を守りながら熊を相手にして戦うのは、さすがに難しい。だからどうしても、このにらみ合いで熊に勝たなくてはならない。
そんな覚悟が、私に力をくれたのだろう。やがて熊は私たちに興味をなくしたようにゆっくりと向きを変え、元来た方向へと戻っていった。
熊の気配が完全に消えてからも、私たちは微動だにせず立ち尽くしていた。
「私たちは……助かったのか?」
不意に、コンラートがぽつりとつぶやいた。心ここにあらずといった、弱々しい声だった。
その声に、ようやく我に返る。ほうと息を吐いて、肩の力を抜いた。山刀を鞘に納めようとしたが、ずっと力いっぱい握りしめていたせいか、右手がこわばって柄から外れない。左手で一本ずつ指を外すようにして、どうにかこうにか山刀を鞘に戻した。
そろそろと振り返り、まだ呆然としているコンラートに返事をする。
「うん。もう大丈夫……だと思う」
「そうか、熊を追い払えたのは君のおかげだな。ありがとう」
「ううん、あなたのおかげでもあるから」
そう答えると、何のことか分かっていないコンラートは首をかしげた。
「私は何もしていない、というか、できなかった。君の言う通りにじっとしているので精いっぱいだったのだ。悔しいことに」
「あなたが後ろにいたから、私は熊とのにらみ合いに勝てた。……たぶん」
「そういうものなのか? よく分からないが、役に立てたのなら嬉しいな」
「そういうものなの。さあ、作業に戻ろう」
まだ納得できていない彼の手からかごを受け取って、くるりと背を向ける。
コンラートのことを守りたいと思ったから、私は強くなれた。けれどそのことを認めるのは、少し恥ずかしかったのだ。どうしてそんな風に思うのかは、自分でも分からなかったけれど。
せっせと木の実を集めながら、ちらりとコンラートを見る。まだ少し警戒しながら辺りを眺めている彼の姿が、なぜか気になって仕方がなかった。