40.コンラートの手紙
私がそれを見つけたのは、ある午後のことだった。
コンラートは青空教室に行っている。今日はそちらの手伝いはせず、家で家事を片付けることにした。畑の世話をして、さらに家の掃除をしてから、夕食の準備にとりかかる。春から夏にかけては畑仕事が一気に増えるので、とても忙しい。
芋や野菜などをまとめてしまってある食料庫に入り、置いてある食料を見ながら、今日の夕食は何にしようかななどと考えていた、その時。
うっかり開けっ放しになっていた扉から、んみゃあ、とアデルが鳴きながらやってきて、棚の上に飛び乗ったのだ。
「アデル、ここは入っちゃ駄目……あれ」
じたばたもがくアデルをひっつかみ、棚から下ろす。その拍子に、四角い何かがひらりと落ちてきた。
「これ……手紙? どうして、こんなところに」
手紙なんてものは、この辺りではかなり珍しい。そもそもまともに読み書きができる人間がそう多くないし、文字を全く知らなくてもさほど問題なく暮らしていける。遠くの人間に伝えたいことがあるのなら、手紙を書くより、誰かに伝言を頼んだほうが早くて安上がりだ。
「コンラートから、私へ?」
封筒に書かれた文字を見て、目を丸くする。質素な紙の封筒は、きっと近くの宿場町で買ったものだろう。その表側に『最愛のゾフィーへ』、裏には『コンラート』と書かれている。間違いなく、彼の字だ。
封筒は開いていて、中には同じような紙の便せんが入っているのが見える。私あて、ということは、読んでもいいのだろうか。でもそれなら、どうして食料庫なんかに。
しばらく悩んだ後、そろそろと便せんを取り出し、開く。生まれて初めての、自分あての、手紙を。
美しく整った文字を、ゆっくりと目で追う。私が読みやすいように、彼は言葉を選んでくれているようだった。そのせいか、まるで彼が話しかけてくれているように感じられた。
『最愛の、私の宝物ゾフィーへ
思えば、君に手紙を書くのは初めてだな。柄にもなく、少し照れてしまう。
私は、どうしても礼を言いたかったのだ。かつて私の屋敷で、君が私の父上にかけたあの言葉の、礼を。
父上は私のことを、いつも軟弱だと言っていた。確かにそれは、当たっている。
私はいつもふらふらと、地に足をつけずにさまよっていた。退屈のせいだとかなんだとか、理由をつけて。
思えばかつての私には、覚悟が足りなかったのだ。自分の人生を、そしていずれは他の誰かの人生を背負って歩いていくという覚悟が。
かつての自分のふるまいを思い出してみると、よくもまあ『真実の愛』などという言葉を軽々しく口にしていたものだと、あきれかえらずにはいられない。
しかしその上で、あえて言わせて欲しい。私は君と出会って、『真実の愛』を見つけたよ、と。
私は君の笑顔が見たい。君が悲しんでいると考えただけで、苦しくてたまらない。何と引き換えにしてでも、君を幸せにしたい。それこそ、この命だって差し出してみせよう。
……ああ、本当にそんなことをしたら、きっと君を泣かせてしまうな。だからそんな軽率なことはしない。約束だ。
ともかくも、私はそんな風に、ただ君のことばかりを思うようになったのだ。
そのくせ、私の屋敷では君に寂しい思いをさせてしまった。あの時は本当に済まなかった。バルドゥルにさとされるまで気づかないとは、未熟にもほどがある。
だが、もう同じ過ちを犯しはしない。私はいつも愚かで、幾度も失敗をしてきた。そんな私の言葉をすぐに信じてくれとは、さすがに言えない。だから、行動で示していこう。どうか見ていてくれ。
いけない、すっかり話がわき道にそれてしまったな。
あの日、あの舞踏会の時に君が言ってくれた言葉。あの言葉は、何よりも強く、私の心を打った。私が立派になったと、君は必死に父上に訴えてくれた。
恥ずかしい話だが、あの時私は嬉し涙をこらえるので手一杯だった。もし父が生きていたら、彼のことを一人前の男だと言ったでしょうという君の言葉は、私にとって何よりの勲章だ。あんなに誇らしい気持ちになれたのは、後にも先にもない。
ありがとう、ゾフィー。
君に直接伝えるのがどうにも気恥ずかしくて、こうして手紙を書くことにした。しかし手紙を書いたら書いたで、直接渡すのが恥ずかしくなってしまったのだ。
家の中に置いておけば、いつか君が気づいてくれると思う。明日か、一週間後か、それとも一年先か。私はその時を、じっと待つことにしよう。……それまでに、アーデルハイトにいたずらされなければいいのだが。
願わくば、これを読んだ時の君が幸せで、笑顔にあふれていますように。
愛をこめて、コンラートより』
読み終えた後も、手紙から目が離せなかった。かすかに震える手で便せんをたたみ、封筒にしまう。
手紙をしっかりと胸に抱えて、大きく息を吐いた。胸がどきどきして、自分の心臓の音しか聞こえない。
彼に、こたえたい。思っていることを伝えたい。そんな感情が、次々にこみ上げてくる。口が震えて、勝手に言葉をつむごうとしているのが分かる。
けれどやっぱり、彼を前にしたらきちんと喋れない気がする。感じたままを表情に出すのには、少しずつ慣れてきた。でも口下手は、相変わらずだ。コンラートの父相手にあんなに話せたことが、未だに自分でも信じられない。
だったらここは、私も手紙を書くべきだろう。私に初めて手紙をくれたコンラートに、私の初めての手紙をあげる。これなら、きっとちょうどいい。
今から宿場町に行って、封筒と便せんを買ってこよう。この時間なら、コンラートに見つかることなく戻ってこられる。
そうして手紙を書いて、食料庫に隠しておこう。コンラートがそうしていたように。びっくりさせられたから、お返しだ。
外出用のカバンをつかむと、猟犬たちが集まってきた。アデルが軽やかに、肩に飛び乗る。
「……そうね、みんなで行こうか」
猟犬たちとアデルを連れて、森の小道を歩く。宿場町についたら、テオに会いに行こう。彼が手伝っている店で、確か紙類も取り扱っていたはずだ。ちょっとふんぱつして、良い紙を買ってもいいかもしれない。
手紙のことをこっそり話してやったら、テオは驚くだろうか。それとも、笑うかもしれない。どちらにせよ、彼は好意的に受け入れてくれるに違いない。本人たちはどう思っているか知らないが、私から見るとコンラートとテオは親友だ。というより、悪友かもしれない。
いつかコンラートを拾った道を、足取り軽く進んでいく。六頭に増えた猟犬たちと、人の肩に乗るのが大好きな黒猫を連れて。
「今日の晩ご飯は、コンラートの好物にしようね」
大きく笑みを浮かべて、そうつぶやく。様々な鳴き声が、一斉に返ってきた。
「……ふふ、幸せ」
強い緑の香りをはらんだ風が、私の髪をさらりとなでていく。もう、春も終わりだ。
コンラートと初めて出会ったさわやかな初夏が、もうすぐ訪れようとしていた。
ここで完結です。お付き合いいただき、ありがとうございました。
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