37.怒れる父親と、口下手な私
「よく分かった。お前は昔から夢見がちで甘ったれていたが、とうとう完全におかしくなってしまったということがな」
大広間に満ちていた沈黙を破ったのは、コンラートの父親の声だった。二年前の春、コンラートを連れ戻しに来た時と同じように、彼の顔は真っ赤になっていた。
「去年、お前がまた飛び出していった時は、いずれ音を上げるか飽きるかして戻ってくるだろうと思っていた。だが、それはわしの見込み違いだったようだな」
「はい、父上。私は、もうあの地に根付いて暮らす民の一人なのです」
「父などと呼ぶな! もうお前は、わしの息子ではない! どこへなりと、好きなところへ行ってしまえ! 二度と、戻ってくるな!」
コンラートの父の言葉は、私の胸にぐさりと刺さった。どうして実の息子に、そんなことを言えるのだろう。父が、子供が生きている。それがどれほど幸せなことなのか、彼には分からないのだろうか。
「いいんだ、ゾフィー」
私が口を開くより先に、コンラートが私の肩をつかんで止める。その目は、切なげに細められていた。
彼は怒り狂う父から目をそらし、大広間に集まっている貴族たちを見渡した。
「ここで一つ、新たなる当主バルドゥル殿に、祝いの舞を差し上げたいと思う。そしてどうか、私たちが選んだ道を、見届けてもらいたい」
それからコンラートは、壁際に控えている楽師たちにそっと目で合図した。うっとりするほど優美な音色が、大広間に流れる。貴族たちの顔に、また困惑の色が浮かんだ。
それもそうだろう。今演奏されているのは、村のお祭りの時に流される伝統的な曲なのだ。私とコンラートは昨日楽師たちにこっそり会って、この曲を教えたのだ。明日、お祝いに踊りを披露するので伴奏をお願いしますと、そう言って。
去年の祭りの時にも聞いた、懐かしい音楽に耳を傾ける。知っている旋律が、まるで違う優美で高級そうな楽器で奏でられているのは、何とも不思議な気分だった。
その音楽を聞いていたら、自然と心が落ち着いてきた。さっきまで感じていた緊張も、コンラートの父に感じていたいきどおりも、音楽が流し去ってくれた。
コンラートが微笑み、手を差し出してくる。その手を取って、大広間の真ん中に進み出た。
そうして、私たちは踊り始めた。劇でお姫様を演じるために教わった貴族の踊りとはまるで違う、あの村に伝わる古くから伝わる踊りを。
しっかりと手をつなぎ、くるくると目まぐるしく立ち位置を変えながら、軽やかに跳ね続ける。村の踊り上手たち、私の師匠を自称する彼らは、それは様々な技を私に教えてくれていた。
足の振り上げ方、足の踏み鳴らし方、そして空いた方の腕のしならせ方。そういった細かなところに気を配ることで、素朴な踊りが驚くほど華やかな、目を引くものになるのだ。貴族たちのしとやかな踊りに、決して劣らないくらいに。
コンラートは私の動きを邪魔しないようにしながら、持ち前の優雅さを見せつけるようにして跳ね、踊っている。昨日いくつかの技を教えたけれど、彼はもうすっかりその動きを自分のものにしている。
そうしているうちに、どんどん楽しくなってきた。曲に合わせて、次々と難しい技を繰り出していく。きっと村の師匠たちは、今の私たちを見たら大喜びで褒めてくれるだろう。
身をひるがえすたび、まとった野の花がふわりと揺れる。コンラートも楽しそうに笑っていた。それはとても幸せな時間だった。ここが貴族の屋敷だということすら、忘れてしまいそうなくらいに。
くるくると踊りながら、向かいのコンラートを見る。周囲の貴族たちよりもずっと質素な、私の手縫いの服。飾り付けられているのは可憐な野の花。
私たちの暮らしは貴族たちのように豪華ではないし、上品でもない。毎日食べていくのに一生懸命で、持て余すような暇などない。
そんな暮らしが当たり前なのだと思っていた。けれど私はここに来て、恥ずかしいと感じてしまった。何もかもがきらきらしている貴族たちと比べて、自分はなんてみすぼらしいのだろうと、そう思ってしまった。
そんな私を支えてくれたのは、やはりコンラートだった。私は貴族のお嬢様ではない。森の中に住む、ただの狩人だ。でもそんな私を、彼はひたむきに愛してくれている。
だから、私は恥じてはいけない。私が自分をちっぽけなものだと思ってしまったら、そんな私を愛してくれたコンラートをおとしめてしまう。
だから胸を張って、背筋を伸ばして。私たちはあの森での暮らしを、誇りに思っている。平民だって、貴族と同じ人間なのだ。泣いて笑って、支え合って生きている。そんな思いをこめて、私たちは踊り続ける。
周囲からの視線が、少し変わったように感じた。まだ戸惑いは残っているものの、私を見下すような、コンラートを憐れむような色は薄まっていた。
やがて、優雅な音楽が終わる。それに合わせて、私たちも動きを止めた。美しい音の余韻が響く中、二人並んでお辞儀をする。
静まり返った大広間の真ん中で、深々と頭を下げ続ける。コンラートと息を合わせて、ゆっくりと頭を上げようとした、その時。
大きな拍手の音が、聞こえてきた。はじかれるようにそちらを見ると、バルドゥルが手を叩いていた。泣き笑いのような、優しい微笑みを浮かべていた。
そこに、もう一つの音が重なる。バルドゥルの隣で、ルイーゼがにっこりと笑いながら手を叩き始めたのだ。とても上品で控えめな動きなのに、驚くほど気持ちのいい音を立てている。
拍手の音が、少しずつ増えていく。やがて大広間に、驚くほどたくさんの拍手が響き渡った。
盛大に着飾った貴族たちが、粗末な祭りの服と野の花をまとった私たちを褒めたたえる拍手を送っている。少し前までは考えもしなかったその光景に、ちょっとだけ涙がにじんできた。
けれどその涙は、すぐに引っ込んでしまう。この場でたった一人、険しい顔をしている人を見つけてしまったから。
コンラートの父は、何とも言えない表情で私たちを見つめていた。にらんでいるのではない。怒り狂っているようにも見えない。まるで苦しんでいるような、そんなまなざしだった。
その目を見ていると、勝手に言葉が込み上げてきた。今までにないほどなめらかに、言葉が口からこぼれ出る。
「……私と初めて出会った頃、コンラートは何もできませんでした」
その言葉に、拍手であふれていた大広間がまたしんと静まり返る。
「料理も、掃除も、生きていくために必要なことは、何一つ。私が見放したら、きっと彼はまたすぐに行き倒れてしまうのだろう。そう思いました」
隣のコンラートが、かすかに息を飲む気配がする。バルドゥルがまた目を見張った。
「けれど彼は懸命に努力して、一人で家を切り盛りできるようになりました。村の人たちにも頼りにされるようになりました。全て彼が、自分の力でつかみ取ったものです」
一瞬目線を落として、それから胸を張る。コンラートの父を、正面から見返した。彼は不思議なくらい、静かな目をしていた。
「彼はおかしくなってなんかいません。強くなりました。立派になりました」
そう言ってから、少し照れ臭くなる。でも、あとひとこと、言っておきたいことがあった。
「……もし私の父が生きていたら、彼のことをきっと褒めちぎったでしょう。もう一人前の男だな、と」
コンラートが、感嘆のため息をもらしていた。そっと隣を向くと、彼は泣きそうになりながら、それでも満面の笑みを浮かべていた。
私たちは一つうなずき合い、またその場の貴族たちに向き直る。もう一度礼をして、ゆったりと大広間を立ち去っていった。貴族たちは、何も言わなかった。
「ゾフィー、先ほどはありがとう。嬉しかった」
ひとまずコンラートの客間に戻り、扉を閉める。そのとたん、コンラートがそう言って抱き着いてきた。服に飾った野の花の、ほんのりと優しい香りが鼻をくすぐる。
「……どのこと?」
「最後に、父上にがつんと言ってくれたことだ。話すのが苦手な君が、ああも必死に私を擁護してくれるとは」
「思ったことを、言っただけ。たくさん喋って、疲れた」
またも照れ臭くなってしまったのを隠すように、いつも通りにぶっきらぼうな口調で答える。けれどコンラートの腕の力は、さらに強くなってしまった。
「……ありがとう、本当に」
そうつぶやく彼の声は、涙でにじんでいた。私は何も言わずに、すがりつく彼の背に腕を回し、じっとしていた。
それから私たちは、並んで寝台に腰掛け、あれこれとお喋りをした。カシアスの森の、私たちの家でそうしていたのと、まったく同じように。そうしていると、今までの疲れも吹き飛ぶような気がした。
「……そろそろ休もうか、ゾフィー。明日になれば、またゆっくり語り合えるのだから。それに明日の夜には、またあの家に戻れる。心からゆっくりと休めるな」
「うん。また明日」
そんなことを話しながら、二人同時に立ち上がる。その時、扉が控えめに叩かれた。