36.私たちの宣言
それから私たちは、夜遅くまで話し合った。そして次の日、私たちは二人して準備を整えていった。私たちの絆を、はっきりとバルドゥルに示すために。
たとえバルドゥルを納得させられなかったとしても、私たちのこれからにはほとんど影響はない。けれどここできちんとけりをつけておかないと、いつまでも彼の言葉が心の片隅に引っかかってしまう。そんな気がしたのだ。
そして、滞在最終日になった。今日が、バルドゥルが当主に就任する祝いのしめくくりだ。一昨日の食事会に集まった面々と、バルドゥルとルイーゼの親しい友人たちだけを招いて、ささやかな舞踏会が開かれる。
一通りの準備を済ませた私とコンラートは、彼の客間で顔を合わせていた。そろそろ、舞踏会が始まる。私たちもここを出て、そちらに向かわなくてはならない。
「……緊張してきた」
「大丈夫だ、ゾフィー。私たちが今まで積み上げてきたもの、築いてきた関係は、きっとバルドゥルにも伝わる」
「でもやっぱり……私は場違いだから」
ついそんな弱音を吐いてしまう。コンラートは少しだけ悲しげに微笑んで、私の肩に手を置いた。
「ああ、そうかもしれないな。だが私は、そのことを誇りに思っている。貴族たちとはまるで違う、強くて気高い君をとても愛おしく思っている」
いつもなら、それは大げさだと反論していただろう。けれど今は、そんな彼の言葉がとても嬉しかった。
無言で微笑む私に、コンラートは明るい声で語りかける。
「それに、あれでバルドゥルは君のことを気に入っている。わざわざ君のところまで説得にやって来たというのが、その証だ」
「そうなの?」
「そうだとも。彼は苦手な相手にはひたすら笑顔しか見せないし、優しい言葉しか言わない。もし君のことが嫌いならわざわざ説得などしない。断言できる」
バルドゥルは私のことを嫌っていない。もしそれが本当なら、少し希望が見えてきたかもしれない。
「それに、もしうまくいかなかったとしてもどうということはない。誰が何と言おうと、私は君のもとを離れることはないのだから。……君に追い出されでもしない限り」
堂々と言い放ったコンラートが、ふと心配そうに付け加えた。そんな彼の様子がおかしくて、くすりと笑ってしまった。
「それこそ大丈夫。もう、離れないから」
昔、あの宿場町で、私はコンラートを置き去りにした。先日、この屋敷で、私はコンラートを部屋に入れなかった。でももう、三回目はない。
「……ああ、ありがとう。それでは行こうか、私のたった一人の姫君」
コンラートが感慨深げに手を差し出してくる。その手を取って、二人でゆっくりと歩き出した。
屋敷の大広間、そこが舞踏会の会場だ。扉は開け放されていて、その中からは静かな話し声がさわさわと聞こえてくる。
コンラートと手をつないだまま、精いっぱいしとやかに入口をくぐる。大広間にいた人たちが、一斉にこちらを見た。その目はみな、驚きに見開かれている。
私とコンラートは、祭りの時に着た服をまとっていたのだ。白いブラウスやシャツに、花のししゅうが散った濃紺のベスト。秋晴れの村を歩いた時の、あの服だ。
先日の夕食会の時は、手持ちの中で一番いい服を着ていた。けれどもしかしたら使うことがあるかもしれないと思ったので、私たちはこの服も持ってきていたのだ。
そして私たちは、昨日丸一日かけてこの服を精いっぱい飾り立てていた。
まず私たちは屋敷を出て、近くの森を歩き回った。私たちが暮らすカシアスの森からそう遠くないということもあって、この辺りに生えている植物もほぼ同じだった。
香りの高い葉っぱ、綺麗な花をつけた細い枝。そういったものを手分けして集めては、水を張った手桶にさしていく。あっという間に、手桶は色とりどりの草木でいっぱいになった。
それをさげて屋敷に戻り、花冠をこしらえた。村の娘たちにとっては定番のおしゃれだが、あいにくと私はそんなものを編んだこともかぶったこともなかった。
しかしここでコンラートが活躍した。彼は、ためらいのない手つきで、あっという間に花冠を二つ編み上げてしまったのだ。どうも、去年の祭りの時に他の者がかぶっていた花冠をじっくりと観察していたらしい。「実は、春になったら君に作ってやりたいと思っていたのだ」とどこか恥ずかしそうに告白していた。
余った花は、ツタと一緒に編み込んで飾り紐に仕立てる。こちらは腰に巻くのだ。それでもまだまだ花に余裕があったので、私は編み込んだ髪に、コンラートは胸元にその花を飾ることにした。
そうして私たちは、村の伝統的な祭りの服と花冠、それにあふれんばかりの森の花をまとって、堂々とした足取りで貴族たちの前に姿を現したのだった。
「お二人とも、とっても素敵ですわ。このお花は、いったいどうされたんですの? 見慣れないものばかりですけれど」
みなが私たちを遠巻きにしている中、真っ先に声を上げたのはルイーゼだった。彼女はしとやかに近寄ってきて、にっこりと笑う。コンラートが一瞬息を飲むのが、重ねた手を通じて伝わってきた。
「これは、近くの森で集めてきたものだ。私たちがまとっているのは、祭りの時に着る特別な服なのだ」
周囲の人々が、いっせいに困惑の表情を浮かべる。特別な服という言葉が、どうにも引っかかっているようだった。それも無理もない。やはり私たちは、この部屋で一番貧相ななりをしているのだから。
コンラートはそんな視線にも動じることなく、とうとうと語っている。
「私はこの家を出て、初めて平民の暮らしに触れた。毎日が忙しいし、ぜいたくな物品など望むべくもない」
緊張している私に、コンラートはちらりと目を向けた。大丈夫だ、安心してくれ。その目はそう言っているようだった。
「だが私は、彼らの生き様をたいそう美しいと思った。日々を懸命に生きていて、命の輝きにあふれている。彼らのそんな暮らしは、かつての私の空虚な生き様とは、似ても似つかないものだったから」
ルイーゼの隣に歩み寄ってきていたバルドゥルが、かすかに目を見張った。
「様々な経験を経て、私はそんな彼らの一員として生きることにした。この選択を後悔したことは、一度もない。むしろ今の私は、恐ろしいほどぜいたくに過ごせているのだ」
コンラートの横顔に、さわやかな笑みが浮かぶ。青空教室で子供たちと話している時と同じ、こちらの心まで温かくなるような笑顔だ。
「最愛の人と共に、森の恵みを分け合い、助け合って生きる。自分にできることを探しているうちに、たくさんの人々と関わり、必要とされるようになった。空しさも退屈もどこにもない。私の胸には、果てのない愛おしさが満ちている」
コンラートの親戚や、バルドゥルたちの友人。みんな、平民の暮らしなど知るはずもない貴族たちだ。けれどそんな彼らの目つきが、ほんの少し和らいだように思えた。
「私たちのこのいでたちは、あなた方から見れば貧相なものでしかないだろう。だが私は、このなりを誇らしく思う」
コンラートはそう言って、こちらに向き直った。晴れた日の湖のような明るい水色の目が、まっすぐに私を見つめる。
「この服を仕立ててくれたのは、こちらの女性、ゾフィーだ。布を裁断して、この小さな花の模様を一つ一つ縫い取ってくれたのだ」
歌うように、コンラートが語る。
「そしてこの花冠の材料も、彼女が見つけてくれた。彼女は森のことなら、私など足元に及ばないほど詳しい。私は彼女を、心から尊敬している」
コンラートの声が、甘く優しい響きを帯びていく。
「私にとってゾフィーは、誰よりも愛おしく、大切な存在なのだ。どこの姫君よりも美しく、気高い」
ついいつものように、大げさ、と言いそうになって、あわてて口をつぐむ。コンラートは私のほうを見て、微笑んだまま小さくうなずいた。ここからは、私の番だ。
「……私にとってもコンラートは、一番大切な存在です」
足が震えそうになるのを必死に押しとどめながら、精いっぱい声を張り上げる。私は喋るのが苦手だ。でも今は、そんな甘えたことを言っている場合ではない。
目の前の貴族たちは、きっと私のことを軽んじているのだろう。確かに、私はただの狩人でしかない。でも私にだって、譲れないものがある。それを、示すのだ。きちんと、言葉にして。
「私は彼の幸せを、一番に思っています。そして、彼の決断を尊重したいと思っています」
心臓が乱れ打つ。手に汗が浮かんでくる。
「……私は、彼のそばにいたい。これからもずっと、彼と支え合っていきたい。私がこの思いをあきらめるとしたら、それはコンラート自身に拒まれた時だけです」
それでもどうにか、言い切った。腹の前で軽く組み合わせた手は、緊張しすぎたせいか小さく震えていた。
そんな私にひときわ優しく笑いかけると、コンラートはまた正面の貴族たちに向き直った。
「この機会に、私の決意をみなに聞いてもらおうと思う」
朗々と、彼の声が大広間に響く。あの時の劇を思わせる、しかしそれ以上に伸びやかな、晴れやかな声だった。
「私はこれからも、ゾフィーと共にカシアスの森で生きる。彼女と、周囲の者と助け合いながら。あまたある貴族の一人としてではなく、コンラートという一人の男として」
コンラートの声の余韻が、ゆっくりと消えていく。大広間には、不気味なほどの沈黙が満ちていた。