3.一生懸命な居候
薪割りに失敗して腰をしたたかに打ちつけたコンラートだったが、幸い怪我は深刻なものではなかった。湿布をして一日安静にさせておいたら、次の日にはぎこちないながらも動けるようになっていた。
しかし彼は怪我が治った後も、私の家に居座り続けていた。どうしても、一晩もてなしてもらった恩を返したい、彼はそう言い張っていたのだ。
正直な話、何もできない彼がここにいたところで恩返しができるとは到底思えなかった。けれどひとまずは、彼のやりたいようにさせてやることにした。
彼をこのまま追い払ったところで、すぐにまたどこかで行き倒れるのは目に見えている。それを分かっていて放り出してしまえば、おそらく寝覚めの悪いことになりそうだった。
彼は今どうしているのだろうか、無事だろうかと気をもみ続けるくらいなら、いっそここで平民としての暮らしに慣れさせておくのもいいかもしれないと思ったのだ。放り出すのは、それからでも遅くない。彼一人をしばらく置いておくくらいの余裕ならあるし。
ほんの二日足らずの間に情がわいてしまった私は、大きな犬でも拾ったかのような心持ちで、彼との生活を始めたのだった。
コンラートは多くの失敗を積み重ね続けながら、少しずつここでの生活になじんでいった。
彼が最初にできるようになったのは掃除だった。私が猟犬たちと狩りに出ている間、彼は家を掃除しながら私の帰りを待つようになった。
留守の間に彼が家財道具を持って逃げるかもしれないと、そう思わなかったと言ったら嘘になる。けれど私の家には金目のものなんてろくにないし、もしそうなったとしても、その時は私に見る目がなかったんだと笑い飛ばすつもりでいた。
けれどコンラートは、慣れない手つきで一生懸命家じゅうを磨き上げ、毎日私が帰宅するたびに嬉しそうな顔で出迎えてくれた。二年前からずっとしまわれたままになっていた父さんの服を差し出してみたら、彼は嫌な顔一つせずにそれに着替えていた。
「君の父上は、とても立派な体格の男性だったのだな。ほら、こんなに布が余ってしまっている」
まるで子供のように明るく笑いながら、コンラートはぶかぶかの服をつまんではしゃいでいた。そんな彼を見ながら、私は自然と微笑んでいた。普段感情を表に出さない私の微笑みは、たぶんかすかなものでしかなかったけれど。
そうして今日も、私は狩りを終えて猟犬たちと家に戻ってきていた。
「……今、帰った」
「お帰り、ゾフィー。見てくれ、こんなに野菜を上手に切れるようになったんだ。きっと今日のシチューは、とびきりおいしくなるだろう。ああ、とても楽しみだ」
玄関の戸を開けたとたん、軽やかな声が私たちを出迎える。コンラートだ。
彼を客人扱いすることをやめ、ぶっきらぼうな口しかきかなくなった私に、彼は相変わらず大仰な口調で話しかけてきていた。けれどその声からは、出会った頃のどことなく偉そうな感じは消えていた。むしろ無邪気で素直な感じすら受けるくらいに、彼はいつも朗らかだった。
コンラートは得意げに笑いながら、手にしたざるを見せてきた。そこには、皮をむかれ一口大に切られた野菜が山のように盛られている。毎日一緒に食事の支度をしているうちに彼の手際も少しずつ良くなってはいたけれど、ここまでできるようになっていたとは思いもしなかった。
「……本当。きれいに切れてる」
私が感心したようにそうつぶやいたのがよほど嬉しかったのか、彼はざるを抱えてうきうきと台所に戻っていった。すっかり彼にもなついてしまった猟犬たちが、私のそばを離れて彼の後に続いていく。
もう日常のものとなってしまったその光景を少しの間眺めてから、私も彼らの後を追いかけていった。
その日の夕食は、彼が言った通りに素晴らしいものになった。今日の夕食は自分一人で作る、と彼が言って聞かなかったので任せてみたところ、予想外のできばえとなったのだ。
シチューをさじですくってみると、そこには可愛らしい花の形に切られた根菜がちょこんと乗っていた。そういえば、帰宅した時に見せられたざるの中に、やけに複雑な形に切られた野菜があったような気がしたが、こんなことになっていたのか。
食べることも忘れて根菜をまじまじと見つめていると、向かいに座ったコンラートがそれは嬉しそうに笑った。
「やっと野菜を切ることにも慣れてきたから、飾り切りに挑戦してみたんだ。初めてだったけれど、うまくいってよかったよ」
「……こういうの、初めて見た」
「そうなのか? 私が屋敷にいた頃は、様々に趣向を凝らした料理が出されていた。味だけでなく、見た目にもこだわったものばかりだったな」
「貴族って、妙なところにこだわるのね」
「だが、こういうのも悪くはないだろう?」
確かにそうかもしれない。こくんとうなずくと、彼はさらに嬉しそうに笑った。
「さあ、冷める前にいただこう。……ゾフィー、これからも色々と工夫を凝らしてみるつもりだから、楽しみにしていてくれ」
「うん」
食べてしまうのがもったいないなと思いながら、花の形の根菜を口に運んだ。子供の頃から食べ慣れたその根菜は、いつもよりずっと優しい味がした。
コンラートは手先自体は器用だったらしく、思ったよりもずっと早く一通りの家事をこなせるようになっていた。
特に料理の腕は、みるみるうちに上達していった。元貴族ということもあって美味なものを食べ慣れているせいなのか、彼はよりおいしいものを作ることに余念がなかった。
何が違うのか分からないけれど、私が作ったものよりも明らかにおいしいシチューを食べながら、思ったことをつぶやいた。
「……これだけ家事ができるようになったのなら、どこかで雇ってもらえると思う」
「ゾフィー、どうしたんだ。唐突にそんなことを言い出して」
「だって、こんな森の中でただ働きするよりも、どこかで料理人として働いたほうがずっといい暮らしができるから」
横を向きながらそう言い切ると、彼が苦笑する気配がした。横目でそちらをうかがうと、彼が軽くうつむいて首を横に振っているのが見えた。
「いや、私などまだまだだ。君さえよければ、もうしばらくここに置いて欲しい。ここで学びたいことが山のようにあるのだ」
「ここで学べることなんて、特にないと思うけど……あなたがここにいたいのなら、別に構わない。ごはん、おいしいし」
「そうか、ありがたい。それに、自分の作ったものを褒めてもらえるというのは、とても心浮き立つものなのだな。私は今、とても嬉しい」
ひとかけらの濁りもない笑顔と、軽やかで快活な声が返ってくる。いまいち素直になれない自分が、少しだけ歯がゆかった。本当は、彼がここにいたいと言ってくれたことが嬉しかったのだ。
けれど、言葉がうまく出てこない。父さんを亡くしてから二年の間、私はほとんど他人とかかわらずに生きてきた。そもそも父さんも寡黙な人だったし、私も気のきいた物言いというものをろくに知らない。
だから彼に対して友情のようなものを感じていても、それを口にすることができなかった。言っておきたいことがあるような気がするのに、どうにもうまくいかない。
そんな私の内心を知るはずもない彼は、やはり変わらない笑顔をこちらに向けたままだった。