28.小さな拾い物
祭りが終わり、冬がすぐそこまで来ていた。
秋野菜の収穫を終え、畑に肥料をすきこんで冬野菜の種をまく。吹雪に備えて薪を蓄え、保存のきく食料を少しずつ買いだめする。毛布や防寒具を引っ張り出し、干してから虫食いや破れを点検する。外に出られなくなってもいいように、水瓶をもう一つ台所に運び込む。
本格的に寒くなる前に、するべきことは山のようにあった。祭りで浮かれた気持ちを引き締めて、私たちはせっせと働いた。
森で小枝を拾い集めながら、コンラートに呼びかける。
「たぶん、今年は雪が多くなる。しっかり備えないと」
「どうして、そのようなことが分かるのだ?」
「あの虫の卵。雪が多い年は、高いところに産みつけられる」
「雪に埋もれないように、ということか? ……虫は、天気を予知できるのだろうか。興味深いな」
そんなことを言いながら、コンラートは目線の高さに産みつけられた卵の塊をしげしげと眺めている。この辺りに暮らす者なら、あの虫の卵については当たり前のように知っている。だから、私からすると彼の反応の方が興味深かった。
「……今年の冬は、寂しくない」
彼を見ているうちに、そんな言葉が口をついて出た。幸い、彼の耳には届かなかったようだ。興味深そうに目を見張ったまま、まだ虫の卵をじっくりと見ていた。
ほっとしながら、またかがみこんで木の枝拾いに戻った。ちょっとだけ、耳が熱かった。
そうしてどうにかこうにか冬越しの準備も済んだ、ある夜のことだった。
「……何か、聞こえないか?」
食後のお茶を飲んでいたコンラートが、不意にそうつぶやく。彼の目線は、家の外に向けられていた。
てんでに寝そべっていた猟犬たちも顔を上げて、彼と同じ方向を見ている。何も聞こえないけれど、と思いつつ耳を澄ませる。その時、かすかな鳴き声のようなものが聞こえた。
「あれは、子猫だな。こんな季節のこんな時間に鳴いているとは……もしかして、親とはぐれたのだろうか」
コンラートはあからさまにそわそわしている。椅子から腰を半分浮かせて、玄関をじっと見つめていた。今にも外に飛び出していきそうな、そんな様子だった。
「外は寒いよ。雪、降ってるし」
「だからこそ、はぐれた子猫がいないか心配になるのだ。親猫なしにこの寒さを乗り切るのは、難しいだろう」
「まあ、そうだけど」
「ゾフィー、少し様子を見てきても構わないだろうか」
「私も行く」
きっと彼は、子猫の無事を確かめるまで探し続けるだろう。だったら、みんなで探した方が早い。上着をつかんで、猟犬たちに声をかける。
「みんなはここで待っていて」
猫を探すのに、犬の手を借りるのはまずい。下手をすれば、驚いた猫が森の奥に逃げ込んでしまうかもしれない。そう判断して、コンラートと二人だけで外に出る。
既に辺りは真っ暗で、ちらちらと雪が降っている。まだ降り始めで、積もってはいない。ランタンの中で揺れている小さなろうそくの明かりだけを頼りに、家の前の空き地を歩く。
「うう、さすがに寒いな。猫の気配はするか?」
「しない。声がしたの、どっちだった?」
「私にもよく分からない。そう遠くなかったように思うが」
上着のえり元をきっちりと押さえて、背中を丸めながら話し合う。その時、またか細い猫の声がした。
畑を回り込み、森の奥へ向かう道へ進む。この先には、私の両親のお墓がある。けれどその周囲は、獣道すらないうっそうとした茂みだ。もしその中にいたなら、探すのに骨が折れそうだ。
「確かに、この先から聞こえるな」
かすかな明かりに照らされたコンラートの横顔は、いつになく真剣だった。なんだかんだ言って人のいい彼は、この寒空の下で子猫が震えているかもしれないということが気にかかってしょうがないのだろう。
寒さもあって、自然と駆け足になっていく。じきに、お墓にたどり着いた。土を盛って太い杭を打っただけの、とても質素なものだ。杭にはそれぞれ、父さんと母さんの名前が刻まれている。
でも掃除は欠かしていないし、野の花やちょっとしたものをこまめにお供えしている。コンラートが来る前は、よくここでひとりぼんやりとしていたものだ。
そのお墓の前に、小さな子猫がいた。昨日供えた干し肉を、四本の足でしっかりと踏みしめて。親猫はどこにもいない。耳を澄ませて周囲の気配を探ってみたけれど、やはり何もいないようだった。
「ああ、やはり子猫だった……どうした、親はいないのか」
そう語りかけるコンラートの声が、やけに甘ったるい。私ですら聞いたことのない声だ。
コンラートはランタンを私に預けて、地面にひざをついた。そのままゆっくりと、子猫に近づいていく。真っ黒な子猫は、彼を見てふしゃあとうなった。
「怖がらなくてもいい、私たちは君の敵ではない。……もしかして、その干し肉を奪われまいとしているのか」
子猫の小さな爪は、干し肉にしっかりと食い込んでいた。その小さな喉から、またうなり声が漏れる。
「君はまだ子供だろう。その肉は硬いぞ。どうだ、私たちの家に来ないか。そこでなら、もっといいものを食べさせてあげられる」
コンラートはどうやら子猫を説得しようとしているようだった。必死に威嚇する子猫に、とても丁寧に話しかけている。うっすら雪の積もった地面にひざをついて、身をかがめて。
飼い猫ならともかく野良の子猫には言葉が通じないだろう、と私がこっそりとあきれていたその時、驚くべきことが起こった。
子猫はうなるのをやめて、コンラートが差し出した手の匂いをかぎはじめた。それから小さな顔を、彼の指にすりつける。そしてなんと彼の手の上に上がり込み、ちんまりと座り込んでしまった。
「ああ……いい子だ、さあ、一緒に帰ろう」
一方のコンラートは感動のあまり泣きそうになっている。手の中に納まった小さな子猫を、まるで宝物のように優しく胸元に抱え込んだ。
その愛おしそうな表情を見ていたら、なんだか腹が立ってきた。いつも私だけに向けられているコンラートのうっとりとした視線が、子猫に向いている。たったそれだけのことに、やけにいらいらする。
まさかこれが、嫉妬というものなのだろうか。猫相手に嫉妬するなんて、馬鹿げている。そう思いつつも、コンラートを恨めしい目で見ずにはいられなかった。
家に戻ってきたとたん、コンラートは実にてきぱきと動いた。木箱を床に置き、中に古い毛布をしく。子猫をその上にそっと下ろしてから、食料庫から新しい肉を持ってきて細かく刻み、買い置きの乳と一緒に小皿に盛った。箱の中の子猫に、そっと小皿を差し出す。
「これならば、君でも食べられるのではないかな」
私とコンラート、それに猟犬たちが見守る中、子猫は小さな鼻を小皿の中身に近づけ、匂いをかいだ後ぺろりとなめた。それから一心不乱に、肉と乳を食べ始める。
「良かった、これでひとまず安心だな」
コンラートが大きく息を吐いた。大げさに喜びすぎだ。
「ところで、その子どうするの」
内心のいらだちが出てしまったのか、そう尋ねる私の声は驚くほど冷たかった。あわてて口を閉ざす私に、コンラートは悲しげな目で近づいてくる。
「その、君さえよければ、なのだが……ここで飼うわけにはいかないだろうか。世話は私がする。君には迷惑はかけないと、そう約束するから」
「別に、いいけど」
ここで反対するのも大人げない。私の狩りも、彼の青空教室も大変順調だし、新たに猫を一匹養っていくくらい余裕だ。なんなら十匹だって飼える。お金のほうは、問題ない。ただちょっとだけ、引っかかるものを感じているだけで。
私の答えを聞いたコンラートは、切なげに眉をひそめた。
「ありがとう。実は、私はこの子猫に一目惚れしてしまったのだ」
「また!?」
うっかり大きな声が出てしまった。猟犬たちが、いっせいにこちらを向く。
コンラートは一目惚れのせいでひどい目にあったくせに、全然こりていないらしい。というか、私にも一目惚れだって言ったのに、今度は子猫相手とは。
私があきれているのを感じ取っているのかいないのか、彼は恥じらいながら目を伏せた。
「この子猫を見た時に、君に似ているな、と思ったのだ。こんなに小さな体でひとりきり、懸命に生きていて……それに、どことなく面差しも似ているし」
「面差し……って、私と、猫が?」
思いもかけない言葉に、今度はすっとんきょうな声が出た。コンラートは私をまっすぐに見つめ、力強くうなずいた。
「ああ。この黒い毛並みに金の目、君と同じだ。ほんの少し上がった目じりも」
確かに私の髪は黒いし、目は茶色を帯びた明るい琥珀色だ。言われてみれば、似ていなくもない、のだろうか。
食事を終えて顔を洗っている子猫をつかまえて、至近距離で見つめ合う。ついさっき拾われたばかりとは思えないほど子猫は堂々とした顔で、にゃあ、と一声鳴いた。
「どうやらこの子も、君のことを気に入ったようだな」
なおも見つめ合う私と子猫、その横ではしゃいでいるコンラート。猟犬たちは伸びをして、子猫の匂いをかいでいた。
今年の冬は、さらににぎやかになりそうだ。そのことがこんなにも嬉しいだなんて、私もすっかり変わったものだ。つい数年前には、ずっと一人で静かに生きていくのだろうと、そう考えていたというのに。
そんな私の心を読んだように、手の中の子猫がにゃあ、と満足げに鳴いた。