27.祭りの後
住み慣れた家の居間で、コンラートと一緒にお茶を飲む。もうすっかり習慣になった、安らげる時間だった。
私たちは無事に劇をやりとげた。割れんばかりの拍手と歓声の中、コンラートは堂々と手を振って答えていた。劇が終わったとたん、また緊張し始めた私の手を引いて。その手の温もりを感じていると、不思議なくらい落ち着くことができた。
そうして祭りも終わり、私たちは家に戻ってきた。既に夕食を終えていた猟犬たちは寝ぼけまなこで私たちを出迎えて、またすぐに寝床に戻っていった。
猟犬たちの寝息だけが聞こえる中、二人でお茶を飲みながら祭りの余韻にひたる。
「うまくいって、良かった」
「ああ。だが私は、必ずうまくいくと確信していた。君が、あんなにも懸命に練習していたのだからな」
「コンラートも頑張ってた。すごく」
そう付け加えると、彼は嬉しそうに、そしてちょっとはにかんだように微笑んだ。
「ありがとう、ゾフィー。そうだな、これは私たちが、そして村のみなが力を合わせた結果だな」
「うん。みんなすごかった」
「最初に劇の話を聞いた時は、ここまで立派なものに仕上がるとは思わなかった。かつて私が貴族であった頃に見たものと比べても、決して劣りはしない」
「……それは言い過ぎ」
「言い過ぎなものか。むしろ、今日の劇の方がより感動的だった」
そう言ってにこにこしていた彼だったが、ふと言葉を切って息を吐いた。妙に切なげなため息に、思わず目を見張る。
「……今日の劇は、とても見事だった。だからこそ、少しこたえてしまった」
「何のこと?」
「ほら、劇の中で姫君が悪魔に誘惑される場面があっただろう」
彼の言う通り、劇中にはそんな場面があった。悪魔が王子に化けて、姫に甘い言葉をささやきかけるのだ。姫は悪魔を王子だと信じて、そちらについていってしまう。
偽の王子を演じたのは村の若者で、コンラートとは似ても似つかなかった。そんなこともあって、私はいたって冷静にその場面を演じていたのだが、どうやらコンラートは違ったらしい。
「練習の時はどうということもなかったのだが……綺麗に着飾った君が悪魔と共にいるのを見てしまうと、な」
コンラートはお茶から立ちのぼる湯気を見つめながら、やけに暗い声でつぶやいている。
「舞台袖から飛び出しそうになるのをこらえるのが大変だった。そんな男についていくな、私はここだ、と言いたくてたまらなかった」
「それ、一発で劇が台無しになる」
「だから、必死に耐えたのだ。それでも、つらいことに変わりはなかった。……思えば、私は最低の男だったのだな」
どうもさっきから、彼の話はあちこちに飛んでいる。無言で続きをうながすと、彼は一瞬だけこちらを見て、また視線を落とした。
「君と出会う前、私は婚約者を捨てた。自分のことを愛していない相手とは添えないと、そんなわがままを言い張って」
その話なら覚えている。あの頃まだコンラートと親しくなかった私は、なんともまあ自分勝手な話だなと、そんなことを考えていた。
「だが、私のしたことは彼女をひどく傷つけた。どんな形であれ、信じた相手がよそにいってしまうというのは、辛いものだ。私は今日、ようやくそれを実感できたように思う」
裏を返せば、今まではいまいち実感できていなかったということか。彼はまっすぐで妙な具合に純粋で、おまけにやたらと情熱的だが、時々こんな風に抜けている。
「……実感できたなら、それでいいと思う。ちょっと遅いけど」
「そうなのだろうか。できれば一度きちんと彼女に謝りたかったのだが……」
「隣国の王子様の奥さんになったんだった?」
そう確認すると、彼は無念そうにうなずいた。確か彼は元婚約者に謝罪しようとして、門前払いをくらったと聞いた覚えがある。彼女は隣国で、幸せをつかんだのだとも。
「……今のあなたなら、謝罪させてもらえるかもね」
なんとなくそんな気がする。私は彼の元婚約者について、何も知らないけれど。
「手紙、書いてみるとか。あと数年くらい待ってから」
うちひしがれているコンラートを励ましたくて、そんなことを口にする。普段とはまるで逆だなと、そんなことを思いながら。
いつもは、戸惑ったりためらったりしている私を、コンラートが元気づけたり安心させたりしていることが多い。それにそもそも人付き合いが得意でない私は、他人を励ますのなんてほとんど経験がない。
「……それも、いいかもしれないな。あくまでも独りよがりなものでしかないのだろうが……それでも、やはり一言謝りたいと、そう思わずにはいられない」
ぽつりとそうつぶやくと、コンラートは力ないため息をついて顔を伏せてしまった。彼は普段前向きな分、いったん落ち込むとどんどん沈んでいってしまう。
自分の口下手を呪いながら、必死に考える。けれどやっぱり、いい言葉は浮かんでこなかった。
悩んだ末に立ち上がり、コンラートの隣につかつかと歩み寄る。彼の手を遠慮なくつかんで引いた。
「ゾフィー?」
「行こう、外。踊りたい」
目を丸くしながら、コンラートも立ち上がる。そのまま彼の手を引いて、外に出た。
驚くほど大きな月が、辺りを明るく照らしている。とても気持ちのいい夜だ。無言でくるりと振り返り、コンラートの肩に手を置いた。
「あなたと踊るの、楽しかった。これで終わりは寂しい」
話の流れも、彼の感傷もお構いなしにぶった切ってしまっている自覚はある。でも私にできるのは、こんなことくらいだった。
彼は私と踊ることを楽しんでくれていた。だったら、少しは気晴らしになるかもしれない。いや、なって欲しい。
すぐ近くで、祈るように彼の顔を見上げる。どうか、今度こそ思いが届いてくれますように。
「……ありがとう、ゾフィー」
無限のように感じられた長い沈黙の後、コンラートが小声でつぶやいた。さっきまで暗く沈んでいた水色の目は、夜の闇を映して黒くきらきらと輝いていた。
「ううん。もっと気のきいたこと、できなくてごめん」
「君の気遣いは、十分に伝わったさ。そうやって君が私のことを気にかけてくれた、それが何よりも嬉しい」
「……いつも、気にしてる」
「はは、私は幸せ者だ。それでは踊ろうか、私の愛しい姫君?」
そう言うと、彼は優しく私を抱きしめた。呼吸を合わせて、同時に足を踏み出す。
「二人だけの舞踏会だな。こんなぜいたくな時間をもらえるとは思わなかった」
私は舞踏会がどんなものかは知らない。けれど、こんなところでこんな風に開かれるものではないということくらいは分かる。
それでも、彼の言いたいことは何となく分かるような気がした。誰の目も気にすることなく、思う存分彼と踊るこの時間は、驚くくらいに心が浮き立たせるものだった。まるで、まだ祭りの中にいるみたいな気分だ。
「うん。楽しい。……幸せ」
照れくさいなと思いつつ、最後にそっと付け加える。
「ああ、とても幸せだ。……ゾフィー、君はどうか私のそばを離れないでくれ。あの姫君のようには、ならないでくれ」
不安げな彼にうなずきかけて、それから小声で言葉を返した。
「コンラートも、私を置いてどこかに行ったりしないで」
「もちろんだ。私はもうこれ以上、過ちを繰り返したりはしない。あの輝く月に誓おう。君を悲しませたりはしない、これからも君を幸せにすると」
「……やっぱり大げさ」
そう答えた私の声は、言葉とは裏腹にとても楽しげなものだった。
気ままに踊り続ける私たちを、いつの間にか目覚めたらしい猟犬たちが見守っていた。