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24.突然のお願い

 青空教室はその後も順調に続いていた。その噂を聞いてさらに新しく子供がやってくるようになったし、時折大人までもが参加するようになっていた。仕事のない日に、ちょっとだけ勉強しに来ているのだ。どうやら、子供たちがめきめきと賢くなっていくのを見てやる気になったらしい。


 コンラートはすかさず、新たな仕組みを考え出していた。月に一度授業料を集める今までのやり方に加え、一日分の授業料を持ってくれば、その日一日だけ授業が受けられるようにしたのだ。


 これにより、青空教室はさらに繁盛した。ゾフィーが手伝ってくれるから、まだまだ生徒を増やせそうだと、コンラートは嬉しそうに笑っていた。私も彼の力になれるのが嬉しくて、今まで以上に張り切った。


 とても平和で、何もかもが順調だった。


 そんなある日、コンラートが帰ってくるなり叫んだ。びっくりするくらい弾んだ、とても明るい声だった。


「ゾフィー、村の祭りに招待されてしまったよ! もちろん、君も一緒だ」


「……祭り」


 はしゃぐコンラートを眺めながら、記憶をたどる。まだ父さんが生きていて、私がもっと小さかった頃に、一度だけ参加したことがある。私も父さんも人付き合いの得意な方ではない、いやかなり苦手なたちだということもあって、参加したのはその一回こっきりだったけれど。


 とてもにぎやかで、夢のような時間だったことを覚えている。村の広場は華やかに飾り立てられて、みなが踊りや歌などを披露していた。たまたま旅芸人の一座が来ていて、劇を見せてくれた。王子様とお姫様が出てくる、砂糖菓子みたいに甘くてふわふわの物語だった。


「それでだな、実は……私が、祭りの劇の主役を務めることになったのだ」


「えっ?」


 あの祭りでは、村人たちが毎年ちょっとした劇をやることになっているらしい。私が参加した年は、間の抜けた若者が主人公の喜劇だった。旅芸人のものに比べるとずっと素朴だったけれど、それはそれで面白かったのを覚えている。


「村の者たちは、旅芸人がかつて披露した劇を再現したいと、ずっとそう思っていたらしいのだ。記憶を寄せ合って話の筋をまとめることはできたが、細かな台詞や立ち居振る舞いなどが、どうしてもはっきりしなかった」


 その旅芸人の劇というのは、もしかして私が子供の頃に見たあの劇だろうか。


「それって、どんな劇?」


「王子と姫君の恋物語だ。旅芸人が来たのは、もう十年以上前のことらしい」


 だったらきっと、それは私が見たあの劇だ。ということは、コンラートが演じるのは王子の役だろうか。彼は間違いなく、とても素敵な王子様になるだろう。


「そこに、元貴族の私がやってきた。私ならば、彼らの記憶をもとに台本を書き、演技をつけることができる」


 自信満々に言い切ったコンラートが、少しはにかむように笑って目線をそらす。


「だから、私は裏方として、劇を支えていくつもりだったのだが……」


「それはもったいない」


「みなにも同じことを言われてしまったよ。結局断り切れなくて、主役の王子を演じることになった」


「すごく、楽しみ」


「……それで、君に一つ頼みがあるのだが」


 ひどく真剣に、コンラートがこちらをのぞき込んでくる。どきりとしながら、その水色の目を見返した。


「君にも、劇に出てもらいたい。いや、出てもらわないと困ってしまうんだ」


「えっ、無理」


 私は何かを演じた経験なんてない。そもそも大人数の前で声を出すことすらめったにない。コンラートの青空教室を手伝うのが関の山だ。


「無理ではない! 君には気品と知性があるし、見た目も大変愛らしい。姫の役だって、十分にこなせるさ」


「褒めすぎ。でも無理」


 彼に褒められたのは嬉しいけれど、どう考えても無理だ。この私が、大勢の人の前で、演技をするなんて。考えただけでぞっとする。


 するとコンラートは、困り果てたようにうめくと、いきなり私の両肩をがしっとつかんできた。突然のことでぽかんとする私に、彼は頭を下げた。


「頼む、私を助けると思って、この話を受けてはくれないか!」


 彼はやけに必死だ。無言のまま小首をかしげていると、彼は顔を上げて、ためらいがちに言葉を続けた。


「その、だな……さっきも言ったが、くだんの劇は、王子と姫の恋物語なのだ。そして私は、王子を演じる」


 珍しくもコンラートが顔を赤くして、ついと目をそらす。確かにそんな話を聞いたけれど、それがどうしたのだろうか。


「……劇の中には、王子が姫に愛をささやく場面があるのだ。それも、恐らくは何度も。たとえ演技であっても、君以外の女性にそんな言葉を告げたくはない」


 目を見開いて、彼の顔を凝視した。確かに私も、そんな場面を見たくはない。しかし人前に立つのも恥ずかしい。


「私はこの劇を、みなに喜ばれる素晴らしいものにしたい。そのためには、君の協力が欠かせないのだ」


 さらに熱心に、コンラートが迫ってくる。なぜか猟犬たちまで彼の背後にずらりと並び、つぶらな目でこちらを見てくる。コンラートに味方するつもりらしい。


「村のみなの了承は既に得ている。後は、君がうなずいてくれればいいんだ! 頼む!」


 どうにも、私に勝ち目はないようだった。






 私がコンラートのお願いを、仕方なく聞くことにした次の日の午後。


「もう少し肩の力を抜くのだ。歩幅も小さく。……ああ、そうだ。その感じを覚えていてくれ」


 家の前の空き地で、私はコンラートに指導されながらあれこれと体を動かしていた。姫らしい立ち居ふるまいについて、一から学んでいるのだ。


 普段、青空教室で子供たちに色々なことを教えているせいか、コンラートの教え方はとても上手だった。


 基本の姿勢から、足の運び方。それに様々な仕草。最初こそ戸惑ったものの、慣れてくると案外簡単だった。


「君は元々狩りや畑仕事で体が鍛えられているから、新たな動きへの順応も早いのだろうな」


「……子供の頃、父さんに狩りの仕方を習った時のことを思い出した」


 父さんは子供の私に、獣に気づかれにくい動き方をそれはもう徹底的に叩き込んだのだ。動きの種類が違うだけで、今していることもあの時とさほど変わらない。


「コンラートは教えるのがうまい。たぶん、父さんよりも」


「それは光栄だ。……それにしても、君に教えることがあるというのは嬉しいものだ」


「そうなの?」


「ああ。いつもは、私が君に教わってばかりだからな」


「……そうでもないような」


 確かに、彼が私の家に来てすぐの頃は、何から何まで教えてやる必要があった。でも今の彼は、もう私の教えなど必要としていない。少し寂しくはあったが、彼も成長したのだとそう考えることにしていた。


 だからやんわりと否定したのだが、コンラートは意味ありげに笑っただけだった。


「何か隠してる?」


「秘密だ。ただ、君は今でも私にたくさんのことを教えてくれている。それはまぎれもない事実なのだ」


 小首をかしげる私に、コンラートはさらに楽しげに笑った。




 休憩をはさみながら、特訓は続いた。一通りの立ち居ふるまいを覚えたら、次は踊りの練習だ。なんでも、劇の中で主役二人が踊る場面があるらしい。


「……こんなにくっつくの?」


「初めてだと戸惑うかもしれないが、これが正式なものなのだ」


 コンラートの声が、驚くほど近くから聞こえる。私たちは向かい合って、寄り添うように立っていた。彼の右手は私の背中に回されているし、彼の左手は私の右手をつかんでいる。そして私の腰は、彼の腰とくっついてしまっている。


 いくら何でも、近すぎる。これでは踊るというよりも、抱き合っているといったほうが正しいと思う。


 しかしコンラートは動じていない。その落ち着きっぷりに、少しだけ溝を感じてしまう。私はこんなにも動揺しているというのに。


「それでは、実際に踊ってみよう。さっき教えた通りに、足を順に動かしていけばいい。力を抜いて、私に身を預けてくれ」


 相変わらず堂々と、彼はそんなことを言っている。身を預けろ、だなんて言われたら、余計に緊張してしまう。


 そんな私を抱きかかえるようにして、彼は最初の一歩を踏み出した。




 それはとても不思議な感覚だった。コンラートが足を踏み出し、自分の体で私の体をそっと押し出す。彼に押されるまま、導かれるままに私の足が勝手に動いて、右へ左へ、くるくると二人一緒に回っていく。


 すぐに、肩の力が抜けた。やがて、楽しくなった。コンラートに教わったことを頭の片隅に置いたまま、少しずつ大胆に、軽やかに足を運んでいく。


「……驚いた。君は、ダンスもうまいのだな」


「踊ったのは初めて」


「だが、私が今まで見たどの令嬢よりも見事に踊っている。とても華麗で、美しい。まるで自由に空を舞うツバメのようだ」


「そうなんだ、嬉しい。でも褒めすぎ」


「何を言う、これでもかなり控えめに表現したのだ。君が恥ずかしがるだろうと思って」


「控え目でそれなの」


 気づけば、踊りながらくすくすと笑っていた。


「……踊るのって、楽しいね」


「ああ、私もだ」


 そうして私たちは、日が落ちるまで踊り続けた。どうして家の前で踊っているのか忘れそうになるくらい、楽しい時間だった。

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