21.ちょっとした愚痴
テオに認められた後も、特に私たちの生活が変わることはなかった。私たちは数日に一度、近くの村に通って子供たちに勉強を教える。それ以外の日は前と同じように、私は狩りに出かけ、コンラートは家事や畑仕事に精を出す。
そして時々連れ立って宿場町に顔を出し、テオに会ったり必要なものを買いそろえたりする。とても穏やかに、毎日は過ぎていった。
けれどそんな日々の中、私はほんの少しだけもやもやするものを抱えていた。
ある日、私は小さな嘘をついた。狩りに行ってくると言って家を出た私は、猟犬たちを連れたまま宿場町に向かったのだ。コンラートはいつもと同じように、明るい笑顔で私を送り出してくれた。
胸の中のもやもやを、コンラートには打ち明けたくなかった。となると、話せるのはテオしかいなかったのだ。でもそうやってテオに会いに行くことを、なぜかコンラートには知られたくないと思ってしまったのだ。
しかしそうやって嘘をついたせいで、私はさらに後ろめたさまで抱えることになってしまった。ため息をつきながら、重い足取りで宿場町を歩く。猟犬たちは私の気持ちを察してくれたのか、くうんと小声で鳴きながら寄り添ってくれていた。
もうすっかり通い慣れた、テオが働く店に向かう。表には彼の姿がなかったので、裏に回った。
「どうした、暗い顔で」
店の裏で商品の整理をしていたテオは、私の顔を見るなり運んでいた荷物を置いてすっ飛んできた。それくらい、私は思いつめた顔をしていたらしい。
「……ちょっと、愚痴りたい」
「珍しいな。分かった、大急ぎでこの仕事を片付けてしまうから、それまで待ってくれ」
彼がすぐにうなずいてくれたことにほっとしながら、私は猟犬たちと一緒に邪魔にならないよう隅のほうで待つことにした。
テオは宣言通りすぐに仕事を片付けると、私たちを連れて宿場町の外れの空き地へと移動した。私はにぎやかなところは苦手だし、猟犬たちもいる。彼はその辺のことも踏まえて、人の少ないところに連れ出してくれたのだろう。
がらんとした空き地には、いくつも木箱が転がっている。めいめいそれを引きずってきて、腰を下ろした。私がどう切り出したものかと悩んでいると、すぐにテオが口を開いた。
「それで、愚痴ってのは何だ。いくらでも聞いてやるぞ」
彼は精いっぱい真剣な表情をしているが、その声はわずかに弾んでいた。私の兄代わりだと言い張っている彼は、私の力になれることが嬉しいのだろう。
一方の私は、今頃になってためらい始めていた。本当に愚痴を言ってしまっていいのだろうか。余計にややこしいことになりはしないか。でも、話してしまえばすっきりするような気もする。
しばらく迷ってから、おずおずと口を開いた。
「……実は、コンラートのことなんだけど」
「なんだ? まさかあいつ、お前を困らせてるのか?」
「違う。彼は悪くない」
急に顔を険しくしたテオの言葉を、あわててさえぎる。猟犬たちも私に合わせて一声吠えた。
「コンラートは、すっかり村のみんなとも仲良くなった」
「いいことだな。でもお前が悩んでいるってことは、そこに何かあるんだな?」
「うん……」
そのまま私は、こないだあったことを話し始めた。
ちょうど私たちが村にいた時、村の人が数名、彼のところにやってきたのだ。あんた、難しいことを色々知ってるんだろう? だったらこれも、どうにかならないか。そう言って彼らは、コンラートに一枚の羊皮紙を見せてきたのだ。
私も横からのぞいてみたが、やたらと小難しい文章が長々と書き連ねられていて、それが何を意味しているのかさっぱり分からなかった。
しかしコンラートは目を通すと大きくうなずき、あっという間に問題を解決してしまった。私にはちんぷんかんぷんだったが、どうやら彼らは何かの権利関係についてもめていたらしく、その詳細が羊皮紙には記されていたようだった。
村の人たちは大喜びで立ち去っていった。ありがとよ、コンラート先生。そんな言葉を残して。
そして一部始終を見ていた子供たちは、今までにないほど大はしゃぎしていた。コンラート先生はすごいんだ、とてんでに口にしながら、きゃあきゃあと喜び合っていたのだ。
そんな一部始終を聞かされたテオは、目を見張って感心したようにつぶやいた。
「コンラートのやつ、すごいじゃないか」
「うん。私も誇らしかった。……でも」
胸の中の思いをうまく言葉にできなくて、眉間にぐっとしわを寄せる。
「なんだか、取り残されたような気分なの。コンラートはみんなに好かれて、信頼されてる。それはとても嬉しい。でも……私だけ、置いていかれたみたいで」
コンラートはたくさんの人に囲まれて、輝いている。けれど私は、さわがしいのは苦手で、人と話すのも、人に関わるのもやっぱり苦手だ。コンラートのまわりに人が集まっていくほどに、私の居場所がなくなっていくような気がしてしまう。
不器用な私の言葉を、それでもテオはちゃんとくみとってくれたようだった。大きな頼もしい笑みを浮かべて、私の肩にぽんと手を置く。
「大丈夫だ。あいつはどれだけ周囲に認められようとも、お前を置き去りになんかしないよ」
「ずいぶん、自信たっぷりだね」
「逆だ、逆。お前が自信なさすぎなんだよ。コンラートがああやって頑張ってるのは、全部お前のためなんだよ。あいつが口癖のようにいつも言ってるだろ」
言われてみれば、その通りだ。ほんの少し、心が軽くなる。
「置いていかれそうで寂しいんなら、素直にそう言ってやれ。きっとあいつも喜ぶぞ」
「そういうものなの?」
「ああ、そういうものだ。現に俺だって、今こうやってお前が頼ってくれて嬉しいんだ」
そう言うと、テオは空を見上げた。雲一つない良く晴れた空が広がっている。
「お前、昔から感情をほとんど表に出さないだろう。おまけに、人を頼るのにも慣れてない。全部一人でどうにかしようとするしな」
何かを思い出しているのか、テオの声がわずかにくぐもった。
「お前の親父さんが亡くなってから、俺はこれまで以上にお前の力になりたいと思ってたんだよ。でもお前はそのたびに『大丈夫。問題ない』って言って、それで終わりにしてただろう。俺が、どれだけ歯がゆい思いをしたか」
不意に、テオが大きく笑った。まぶしく透き通った笑顔が、まっすぐにこちらに向けられる。
「だから、俺はお前が頼ってくれてとても嬉しい。……お前も、大きくなったもんだなあ」
「別に、ここ三年くらいずっと身長は同じ。太ってもいない」
「そういうことじゃなくってだな。お前が一歩大人に近づいたなって、俺はそう言いたいんだよ」
「年齢はとっくに一人前だけど」
「うん、そうだけどな。一人前の大人は、必要な時にちゃんと他人に助けを求められるものなんだよ。誰しも、一人でできることなんてたかが知れている。だから、お互い力を貸し合うんだ」
「そう、なんだ……」
今までの私の生き方とは正反対だ。ずっとあの家で猟犬たちと暮らし、あまり人と関わらずにいた私には、力を貸し合うという発想がそもそもなかった。
けれどテオの言葉は、すとんと私の心の中に納まっていた。彼の言っていることが正しいのだと、素直にそう思えた。
「うん、これから……気をつける。ちゃんと他人を頼って、ちゃんと思いを伝えられるように、努力してみる」
考えながらそう言うと、テオはまたさわやかな笑顔を見せてくれた。もやもやとわだかまっていたものが、少し軽くなったような気がした。