17.教師という仕事
それから私たちは、顔を突き合わせて話し続けた。夕食の時も、後片付けの間も、その後の休憩時間もずっと、同じことを話していた。
コンラートが教師として、周囲の村の子供たちに勉強を教え、それで生計を立てていく。そんな思いつきを実現させるために、私たちは気づいたことを一つ一つ検討していった。
「このカシアスの森の近くには、いくつの村があるのだろうか」
「三つ。どれも、ここからなら三時間以内にたどり着ける。一番近い村なら、一時間もかからない」
「ならば、朝ここを出て、昼に村で勉強を教えて、夕方に戻る……うむ、無理なくこなせそうだな」
「私の知る限り、この辺に教師の仕事をしてる人はいない。そもそも、きちんと読み書きできる人間が少ない」
「読み書きが必要とされていない、ということだろうか……?」
「ううん、違う。必要だけど、こんな田舎まで来てくれる教師がいないの」
この辺りでは、読み書きできる人間のほうが少ない。父さんから最低限の読み書きを教わることができた私は、恵まれているほうなのだ。
けれど、読み書きや算術を学びたいと思っている人間は多いはずだ。作物などの売り買いの時に複雑な計算ができなかったせいであくどい商人に騙された話や、もめごとが起こった時にややこしい法律の文書が読めなくて困った話などは、ちょくちょく小耳にはさんでいる。
私だってそうだ。父さんから最低限の読み書きを教わったし、商人の息子であるテオも、物の売り買いのこつなんかを教えてくれている。それでも少しこみいった話になると、頭がこんがらがってしまうのだ。子供の頃からもっと勉強することができたらなあ、と思ったことも一度や二度ではない。
だからコンラートが子供たちに勉強を教えるという話は、村の人たちにも受け入れてもらえると思う。一番近くの村ならば、私もそこそこ付き合いがあるし、彼と村の人たちとの橋渡しもできる。そうやって実績を作っていけば、ほかの村でも仕事ができるかもしれない。
うん、いい感じだ。けれどまだ一つ、問題が残っている。
「どの村にも結構たくさん子供がいるし、教える相手には困らないと思う。でも、どれくらいお金を取ればいいのかが分からない」
「一度計算してみよう。ゾフィー、村に暮らす人たちの、大まかな生活費を教えてくれないか」
コンラートは頭は回るが、平民の生活についてはまだよく分かっていないところがある。私はその辺りのことに詳しいが、計算は苦手だ。
私たちは二人の知識と知恵を出し合いながら、少しずつ計画を具体的なものにしていった。そうやって二人で何かを作り上げるのは、とても楽しい作業だった。
次の日、私たちは朝一番に、近くの宿場町に向かっていた。テオに相談と、報告をしにいくのだ。コンラート一人で行かせるのもどうかと思ったので、私も狩りを休みにして彼と一緒に家を出た。
テオの親戚がやっているという店に足を運ぶと、彼は裏手の倉庫で在庫の管理をしていると教えられた。そちらに向かうと、早朝にもかかわらずテオが明るく出迎えてくる。ここは客もやってくる店先だからか、彼はいつもより行儀のいい笑顔を浮かべていた。
「おう、おはよう二人とも。どうした、こんな朝早くから」
「うん、おはようテオ。ちょっと話したいことがあって」
「おはよう。朝早くに訪ねてしまったが、迷惑ではなかっただろうか」
「大丈夫だ。商人の朝は早いからな。作業しながらで良ければ、話を聞くぞ」
「そうか、ありがたい。例の試練について、一つ案がまとまったのだ。ぜひ、君の意見を聞かせて欲しいと思って、こうしてやってきたんだ」
まだほんの少し眠たそうなコンラートが、どこか誇らしげに胸を張りながら説明を始める。昨日二人で話し合った、教師という仕事と、その具体的な計画についてだ。
一通り聞き終えたテオが、感心したようににやりと笑った。
「……なるほどな。お前にしてはいい線いってると思うぞ」
実際に商売にたずさわっているテオからそんな言葉を引き出すことができて、コンラートはとても嬉しそうだ。もちろん、私も嬉しい。たぶん、顔にはあまり出ていないと思うけれど。
「ただし」
私たちが喜び合っているのを見たテオが、真剣な顔になり言葉を続ける。
「よそ者に子供を預けるなんて、っていうやつが間違いなく現れるだろうな。それを一人一人説得して、納得させる必要があるぞ。お前にそれができるか?」
それは忠告のようにも、励ましのようにも聞こえた。コンラートが私の肩にぽんと手を置き、穏やかな声で答える。
「なしとげてみせるさ。愛しいゾフィーのためだからね。私は絶対に、くじける訳にはいかないんだ」
「よし、いい心がけだ。そうでなければ、可愛いゾフィーを任せられないからな」
「二人とも、恥ずかしい」
朝っぱらから赤面している私の横で、男二人は妙に息の合った笑い声を上げていた。
ひとまずテオの賛同を得られたことで勢いづいた私たちは、その足で近くの村に向かっていった。
目指すは、私たちが住むカシアスの森を出てすぐのところにある村だ。私たちがそこに着いた時、もう男衆を中心に多くの村人が畑仕事に精を出していた。
私は時々ここに作物などを買いにきているので、彼らとは顔なじみだ。たまに畑を荒らす獣の退治を頼まれたりもするし、持ちつ持たれつの関係ができていると思う。
顔を上げた男たちは、私のすぐ隣に立つコンラートを見て目を丸くしている。考えてみたら、彼をこの村に連れてきたのは初めてだった。
「よう、ゾフィーじゃねえか。そっちの兄ちゃんは誰だ?」
「彼はコンラート。私の同居人。たぶんこれから、ちょくちょく顔を出すことになると思う」
コンラートが余計なことを言い出す前に、大急ぎでそう答えた。しかし男たちは、何かを察したような顔でにやにやしていた。
「とにかく、村長に用があるの。今は家?」
「おう、今日はまだ家にいるぜ。二人そろって村長にあいさつ、なあ?」
「一体なんの用だ? そもそもゾフィーが男連れだなんて珍しいな」
明らかにからかわれている。軽く頭を下げて、その場を立ち去ろうとした。しかしその時、コンラートがいきなり口を開く。
「それについては、いずれ話すことになると思う。どうかこれからよろしく頼む。ゾフィーの知己であれば、私にとっても同じようなものなのだから」
生真面目に答えているコンラートの袖をつかんで、村長の家のほうに急いで歩きだす。背後からは、男たちの朗らかな笑い声が聞こえてきた。耳が熱くなるのを感じながら、そちらを見ずに大股に歩き続ける。
畑を抜けて、村の広場を抜けて、どんどん奥へ。じきに、村長の家にたどり着いた。一番古くてひときわ大きな家の扉を軽く叩くと、すぐに中から返事があった。二人並んで、家の中に入る。
しわくちゃの老人が、揺り椅子に座ったまま私たちを出迎えた。まだ春先ということもあって、暖炉には薪が燃えていて、老人の膝には毛布がかけられている。
「久しぶりじゃな、ゾフィー。そちらのお連れはどなたかの?」
「初めまして、村長殿。私はコンラート、ゾフィーの恋人です」
今度はコンラートが先回りして、恋人だと宣言してしまった。まだ心の準備ができていないから、さっきから必死に言葉を濁していたのに。
誇らしげに胸を張るコンラートを、横目でにらむ。そんな私たちを見た村長は、歯のない口を大きく開けて、ふぁっふぁっ、と楽しそうに笑った。
「そうか、ゾフィーにもようやくそんな相手ができたか。仲が良くて何より。ところで、今日はわしに何の用かの? 彼をわしに会わせにきただけではなさそうじゃが」
その言葉にようやく我に返り、大きくうなずく。
「はい、その通りです。実は……」
それから順を追って、説明していった。コンラートは貴族の出で高い教養を身に着けていること、私と暮らしていくにあたって生計を立てる方法を探していること。そして、村の子供たちに勉強を教える仕事ができないかと考えたということ。
大まかな計画の一通りを聞き終えた村長は、しわだらけの顔をほころばせた。
「なるほど、そういうことならうまくいきそうじゃの。子供にちゃんとした教育を受けさせたいという者は多いし、授業料も妥当なように思える」
その言葉に、はじかれたように隣を見る。コンラートは、まるで子供のように顔を輝かせていた。
「村の広場が空いておるから、そちらを使えばいいじゃろう。ただ、実際に子供を通わせるかどうかはそれぞれの親が判断することじゃからな。頑張ってくだされよ、コンラート先生」
茶目っ気たっぷりに、村長が片目をつぶった。コンラート『先生』。その響きは、思っていた以上にくすぐったくて、私の心を嬉しくさせるものだった。
それから私たちは夕方までかかって、村中を歩いて回った。子供たちやその親を捕まえては、自分たちの計画を説明する。おおむね好意的な反応を得ることができたこともあって、私たちは上機嫌で村を後にした。もちろん拒否されることもあったが、改めて誘っていけばいい。ひとまず、最低限必要な人数は集まりそうだった。
村を出て森の入口に向かいながら、私たちは笑顔を見かわしていた。
「どうやら無事に仕事を始められそうだな。安心したよ。これもみな、君がこの村の人々といい関係を築いてくれていたおかげだな。ありがとう」
「気を抜くのは早い。大急ぎで準備しないと」
「ああ。でも君もいるのだし、何とかなるさ。君は私の知らないことをたくさん知っているし、有能だ。それに何より、私の最愛の人なのだから」
「最後の、仕事と関係ある?」
「大ありだ。君がいてくれるからこそ、私は頑張れるのだ。こうやって必死になっているのは、全て君のためだ」
相変わらず大真面目に、コンラートが断言する。その目はとても愛おしそうに、まっすぐに私を見ていた。
照れくさくなって目をそらす。すぐ近くに、森の入口が見えていた。あの森の奥に、私たちの家がある。猟犬たちが待つ、大切な家が。
「さあ、帰ろう。急いで夕食の支度をしなくてはな」
「私も手伝う」
「ありがとう。君のために腕を振るうのも楽しいが、君と共に料理をするのもとても楽しいんだ」
「……うん」
彼と一緒に料理をすることを楽しみにしているのは、私も同じだった。ただ、彼のように素直に顔に出せないだけで。けれどコンラートは私の気持ちをくみとってくれたらしく、それは嬉しそうに微笑んでいた。