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16.気がついたこと

「それじゃ、行ってきます」


「ああ。今日の弁当は会心の出来だ。帰ったら、ぜひ感想を聞かせてくれ」


「うん、お昼を楽しみにしてる」


 次の日、二人一緒に朝食を終えた後、私はいつものように狩りに出ることにした。彼が作ってくれた弁当を受け取り、猟犬たちを連れて森に分け入る。


 結局、昨夜の話し合いはうやむやのまま終わった。できそうなことを一つ一つ試してみようという、そんな答えに落ち着いた。


 彼と話したことを思い出しながら、森を歩く。しかけた罠を見回ったり、獣の痕跡を探したりしているうちに、すぐお昼時になった。


 森の奥に、よく休憩場所にしている大岩がある。そこで昼食をとることにした。猟犬たちに干し肉と水を与え、大岩のそばに腰を下ろす。


 コンラートが持たせてくれた弁当は、薄切りのパンに肉や野菜をはさんだものだった。彼がよく作っているものと、そう変わらないように見える。けれど彼がああ言うからには、きっと何かが違うのだろう。


 そんなことを思いながら何気なく一口かじり、目を見開く。


「本当だ、すごくおいしい……」


 いつも食べているものよりずっと複雑で、奥の深い味がする。きっと、肉と野菜にからめてあるソースが違うのだろう。


 目を閉じて、ソースの味に集中する。ほんの少しだけ、いつもと違う匂いがする。これはきっと、香草か香辛料だろう。


 コンラートが私の家に戻ってきた時、彼は様々なものがつまった大きなカバンをいくつも持っていた。その中に、大量の香辛料も含まれていたのだ。君にこれを使った料理をふるまいたいんだ、と彼は意気込んでいた。


 けれど、このうま味は香辛料だけでは出せないような気がする。そういえば昨夜、彼は野菜くずや肉の切れ端をぐつぐつと煮込んでいた。明日のお楽しみだよ、と彼は言っていたが、もしかしてあれが、このソースのもとなのかもしれない。


 実家に帰っている一年の間に、彼は明らかに料理の腕を上げていた。もしかしたら、屋敷の厨房で練習していたのかもしれない。普通の貴族は厨房に足を運んだりしないし、ましてや料理などしないらしいが、彼ならそれくらいやりそうだ。


 これだけの腕があれば、料理で生計を立てることもできるかもしれない。ただそれには、一つ問題があった。多分だけれど、この弁当を売り出そうとしたらかなり高価なものになってしまう気がする。


 なんだかんだ言って彼は貴族育ちなので、金銭感覚は平民のものとは大きくずれている。彼は高価な香辛料を惜しみなく使い、手間暇かけることでこの味を出したのだろう。この料理は貴族の食卓になら出せるだろうが、平民に売りつけるのは難しい。


 せっせと弁当を食べながら、さらに考える。もう一つ、大きな問題があるのだ。


 もし彼が料理で生計を立てていくのであれば、どこかの店に勤めるか、あるいは屋台を借りて自分で商売を始めるか、のどちらかになるだろう。そしてどちらを選んでも、間違いなく彼は年頃の女性たちに囲まれることになる。食堂の給仕たちやら、お客さんに。


 コンラートは見た目が良いし、人当たりもいい。最初の頃は少々偉そうな雰囲気だったけれど、今ではすっかりそれもなくなった。


 料理の味だけでなく彼自身も、客に好かれることだろう。もしかしたら、彼目当ての女性客がつめかけるなんてことになるかもしれない。それは稼ぐという点においては望ましいのだろうとは思う。でも、私はそんなことになるのは絶対に嫌だった。


 コンラートは私のことを愛していると言ってくれたし、貴族の暮らしを捨ててまで私のもとに戻ってきてくれた。そんな彼の心を疑っている訳ではない。これはただの、私のわがままだ。


 彼と出会った最初の秋、宿場町に彼を置き去りにした時の冷たい悲しみは、今でも私の心の片隅に居座っていた。彼がまた若い女性に囲まれるようなことになったら、きっとまた私は逃げ出したくなってしまう。あんな思いは、もうしたくなかった。


 そんなことを考えているうちに、とってもおいしい昼食はぜんぶ私のお腹の中に消えていた。ソースのついた指をぺろりとなめながら、ため息まじりにつぶやく。


「おいしいんだけど、料理で生計を立てるのはちょっと保留かな……」






「ただいま、コンラート」


「お帰り、ゾフィー。今日も君が無事で何よりだ。猟犬たちも」


 夕方、帰宅した私を笑顔のコンラートが出迎える。これがもう当たり前の日常になっているというのが、いまだに信じられない。実のところ、頬をつねって夢ではないのだと確認したくてたまらない。


 けれどもしそんなことをしたら、きっとコンラートは笑うだろう。馬鹿にするのではなく、心底愛おしそうな目をして。その顔を見てみたいなとも思ったけれど、子供扱いされそうな気もした。だから私は毎日、大急ぎで話をそらすのだ。


「そうだ、お弁当のことだけど……」


「ああ、君の感想を聞きたかったんだ。あれは、試練の答えとなり得るだろうか?」


 コンラートが弁当の包みを受け取りながら、一歩こちらに乗り出してくる。昼に考えたことを、私のちょっとしたやきもちは伏せて伝えると、彼は複雑な顔をしてため息をついた。


「君の口に合ったのなら何よりだ。だが、確かに料理で生計を立てるのは難しそうだな。どうやら私には、つい豪華で凝ったものにしてしまう癖があるようだ」


「もっと質素にして平民向けにすると、今度はありきたりなものになっちゃうかも」


「そうだな。売り方などを工夫すればどうにかなるかもしれないが……あいにく、私は商売には明るくない」


「私も。毛皮ならしょっちゅう売りにいってるけど、あれは商売とは違うし」


「テオに頼んで商売のあれこれを学ぶか……しかし、そうすると何年もかかってしまいそうだ」


 そうやって話し合っているうちに、コンラートの顔がどんどん曇っていく。彼ががっかりしていると、私の胸も痛くなる。


「ああ、私にはろくに取り柄がないのだな。こうしてその事実を正面から突き付けられると、さすがに少々こたえるな」


「取り柄なら、ちゃんとある。あきらめないで」


 焦りながらそう口をはさむと、私のすぐ後ろにずらりと並んでいた猟犬たちが声をそろえてわんと鳴いた。まるで、私に同意しているように聞こえる。


「あなたは何事にも一生懸命で、人間のことが好きで、他人に好かれる。とてもまっすぐな人」


 思いつくままそう口にすると、コンラートはかすかに潤んだ顔をずいと近づけてきた。そのまましっかりと抱きしめてくる。


「君は私のことをそんな風に思ってくれていたのか……! これほど喜ばしいことが、他にあるだろうか」


「苦しい、手加減して。それに、ただ事実をそのまま言っただけだから」


「君が支えてくれるなら、私もまだ頑張れそうだ。この程度で、めげている場合ではないな」


 しかしコンラートは私を放すことなく、そのままの体勢で考え事を再開させてしまった。


「料理で駄目なら、あとは細工物か……しかしまったくの我流だし、何を作れば売れるのかが分からない」


「どこかに弟子入りするとか?」


「ううむ……そうすると、君といられる時間が減ってしまう……ああいうのは、何年も住み込みになるのだろう?」


「私の知る限りでは、そんな感じ」


「ならば、その選択肢はいったん横に置いておこう。君と離れて暮らすなどというのは、最後の手段だ」


 私を抱きしめているコンラートの腕に力がこもった。腕を伸ばして背中を軽くたたいてやると、彼は小さく息を吐いた。彼をなだめながら、さらに続きを考えていく。


「一生懸命なことが大切になるのはどんな仕事でも同じだろう。だったら後は、人に好かれること……か?」


 できればその能力は活かして欲しくない。年頃の女性に囲まれるコンラートなど、絶対に見たくない。男性や年寄り、子供が集まってくる分には、私も気にならないけれど。


 子供。そう考えた時、ふとあることに気がついた。


「……ねえ、貴族って読み書きは得意なのよね?」


「ああ、もちろんだ。領地の統治のために、様々な書類を取り扱う必要があるからな。私も子供の頃からしっかりと学んでいる。あとは、税収の管理のために、基本の算術も一通り練習しているよ。商売はできないが、金の計算だけなら任せてくれ」


「それだわ」


 私の言葉に、コンラートは腕の力をゆるめて正面から私を見つめた。その水色の瞳が、期待に輝いている。


「ねえ、子供たちに勉強を教えるのはどう?」


 そう提案すると、彼は目を真ん丸に見開いて、それからくしゃっと笑った。とても鮮やかで、晴れ晴れとした笑みだった。


「ああ、それならきっと私にもできる。ありがとう、ゾフィー。やはり君は私の幸運の女神だ」


「もう、大げさなんだから」


 私たちは抱き合ったまま、満面の笑みを見かわしていた。まだただの思いつきでしかなかったけれど、きっとうまくいく。そんな確信が、私の胸にはあった。

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