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15.試練と彼の悩み事

 すっかり和んでいた空気が、また緊張に包まれる。じっと見つめる私たちの目線を真正面から受け止めながら、テオはコンラートに向き直り、一言一言をかみしめるように口にした。


「コンラート、今後お前がゾフィーをまるごと支えていけるということをしっかり示してみせろ。それが、試練の内容だ」


「……もう十分すぎるくらいに、支えてもらってるけど」


 さっきまでの軽口の名残で、ついうっかりコンラートの肩を持ってしまった。テオがもどかしげに首を振る。


「ああもう、お前までのろけるなよゾフィー! ……つまりだなコンラート、お前一人でもゾフィーを養っていくことができるか、それを証明しろって俺は言ってるんだ」


 その言葉を聞いた私の感想は、なるほどな、といった軽いものでしかなかった。しかしコンラートははっきりと絶望した顔になると、それは大げさな動きで机に突っ伏してしまったのだった。


 コンラートの行動に戸惑いながら、テオがそろそろと声をかける。


「お、おい、コンラート? どうした?」


「……失礼した。試練の内容、しかと承知した。全身全霊をもって挑むと、ここに約束しよう」


「おっ、おう。じゃあ、結果が出るのを楽しみにしてるぜ」


 テオはまだちょっと困惑しているようだったが、やがて気を取り直して帰っていった。お前のほうの準備が整ったら宿場町まで呼びにきてくれ、と言い残して。


 コンラートはどこか呆然としながらテオを見送っていたが、彼の姿が見えなくなるとふらふらとした足取りで家の中に戻り、崩れ落ちるように椅子に腰を下ろした。


 彼は切なげなため息をついていたが、同時にちらちらとこちらに目線を送っている。どうやら、私に話を聞いて欲しいらしい。


 その子供のような仕草に苦笑しつつも、私は彼の期待にこたえてやることにした。椅子を引きよせて、彼のすぐそばに座る。


「どうしたの、そんなに落ち込んで」


「聞いてくれるか、ゾフィー。私は今、己のふがいなさを嘆いているところなのだ」


「別に、ふがいなくなんてない。あなたがいてくれて、とても助かってる」


 それはお世辞や口先での慰めではなく、本心から出たものだった。そのことは彼にも伝わったらしく、コンラートはくるりとこちらに向き直ると、両手で私の手をしっかりと握りしめた。


「ありがとう、ゾフィー。君にそう言ってもらえてとても嬉しい。しかし、それだけでは駄目なのだ」


 よほど嬉しかったのか、コンラートが感極まったように涙ぐむ。しかし彼はかすかに鼻を鳴らすと、うつむいて肩を震わせた。


「愛する女性を養うことすらできずして、どうして一人前の男を名乗れようか。私はそのことに気づいていながら、君の優しさに甘えてずっと目を背けてきたのだ。そこを、テオに指摘されてしまったのだよ。君の兄代わりというだけあって、彼はしっかりしているな」


「私が稼ぐのじゃ駄目なの?」


 私が稼いで、彼が家の中のことをする。それでいいと思うのに、コンラートもテオもそうは思っていないらしい。首をかしげていると、コンラートは私の両肩をそっとつかんできた。ひどく優しい目で、彼は静かに語る。


「今はそれでもいいだろう。……けれど君の仕事は、赤子を産み育てながら続けるにはあまりにも過酷だろう?」


 その指摘にはっとしつつも、同時に少しあきれてもいた。まだ恋人らしいことなど何一つしていないというのに、もうそんな先のことを考えていたなんて。


 私とコンラート、そして猟犬たち。その暮らしに、新しく赤子が加わる。そんな未来を想像したとたん、頬が一気に熱くなった。


 真剣な水色の目で、コンラートはまっすぐに私を見つめている。その視線のせいで、余計に恥ずかしくなってきた。はぐらかすように、何事もないふりをして答える。


「……それは、まあ、そうかも。とにかく今は、テオの試練をこなすことを考えよう」


 試練。その言葉を聞いたとたん、コンラートはまたがっくりとうなだれた。


「そうだな。ああ、そうだ。私はどうにかして、自力でしっかりと稼ぐ方法を見つけなければいけない。試練のために、そしてなによりも、君のために」


 実のところ私は、テオの試練とやらをこなせなくてもいいと思っていた。というよりも、テオはもうコンラートのことを認めているように感じられたのだ。時間が経てば、彼らの関係もじきに落ち着いてくるだろう。


 とはいえ、コンラートが試練をきちんとやりとげたいと考えているのなら、彼の力になってやりたい。


「私も手伝う。一緒に考えよう」


 そう口にしたとたん、コンラートはぱあっと顔を輝かせ、私をしっかりと抱きしめてしまった。突然のことに大いにあわてふためきながら、もぞもぞともがく。


「放してくれないと、話せない」


「私は今、とても嬉しいんだ……一番大切な君が、私に力を貸してくれる。もう少しだけこの幸せをかみしめさせてくれ」


 それ以上何かをしてくるような気配もなかったので、彼の好きにさせることにした。恥ずかしいからコンラートには内緒だけれど、彼の温もりにすっぽりとくるまれているのは、癖になりそうなほど心地良かった。




 結局それからしばらく、私はコンラートに抱きしめられたままになっていた。ようやく解放された時には、頬どころか頭まで熱くなってしまっていた。


 コンラートは手際良くお茶を入れ直して、湯気が立つ杯を私の前に置いた。そうして並んで座り、うなずきあう。足元には猟犬たちが寝そべり、のんびりとくつろいでいる。


「では、改めて考えていくとするか。テオの課した試練について」


「うん。あなたがきちんと稼げる手段を探す。それが目的ね」


「ああ、よろしく頼む。しかし、そうだな……まず、狩りは難しいな。血なまぐさいのは、いまだに慣れない。悔しい話だが」


 コンラートが口惜しそうに目を伏せる。この家に来てから、彼は幾度となく狩りに挑戦しようとしていた。しかし彼は武器の扱いはいつまでたっても上達しなかった。それに、気配も消せなかった。そもそも静かにしているのが苦手らしい。


 これではとても、狩りに連れていくことができない。ならばと、罠で生け捕りにした獣を持ち帰ってみたのだが、彼は獣にとどめを刺すこともできなかった。狩人となるには、コンラートは優しすぎる。


「畑仕事は十分にこなせてるけど、この家の周りにはあまり土地がないから、ここで農業をやっていくのは難しいかも」


 この家の周囲には猫の額のような空き地があるだけで、その周囲は一面の森だ。だから畑もとても狭い。


 私たちが食べる分の野菜を育てるには十分だが、農業ができるくらいに畑を増やそうと思ったら、木を切り倒して地面をしっかりと掘り返し、岩や木の根をどかして、腐葉土や肥料をすきこんで……かなりの手間だ。


 もっとも、いずれ家族が増えるかもしれないということを考えると、今のうちに畑を広げておくべきなのかもしれない。テオの試練が片付いてからでも、本気で考えてみようか。


「後は、料理とか細工物とか? いい線いってると思うけど」


「確かに、それらの作業は得意だな。しかしどうやって、それで金を稼いだものか……」


 それからも私たちは試練についてあれやこれやと話し合っていたが、いつしか少しずつ話がずれていって、気がつくといつものお喋りになっていた。


 他愛のないことを話しているのも楽しかったので、あえて話を戻さずにいた。もしかしたらコンラートもそうだったのかもしれない。今日あったことをぽつぽつと話す私を、彼はとても優しい目で見ていたから。

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