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14.コンラート、張り切る

 次の日、テオは予告通りやってきた。しかも朝一番に。


「よう、二人とも。今日は一日休みをもらってきた。よろしくな」


「待っていたよテオ、さあ私の生き様を心ゆくまで見ていってくれ!」


 あまり朝に強くないコンラートだったが、この日ばかりは元気いっぱいにテオを出迎えていた。実のところ、昨晩からずっと張り切りっぱなしだったのだ。


 そのせいで彼は少々寝不足らしく、目の下にはちょっとだけくまができていた。それはとても薄いくまだったし、おそらくテオは気づいていないだろう。けれど、私にははっきりとそれが見て取れる。そんなことが、不思議と嬉しく感じられた。


「そうだテオ、朝食はまだだろうか? 少し作りすぎてしまったから、君も同席してもらえると嬉しいのだが」


「ん、軽く食ってはきたけど、せっかくだしそうさせてもらうか。昨日の晩飯もうまかったし」


 コンラートの誘いに、テオはあまり興味がなさそうな口ぶりで答えている。しかし彼の黒い目はきらきらと輝いていて、明らかに嬉しそうだった。どうやら、彼は昨夜のシチューがかなり気に入ったらしい。


 じっくりと焼き色をつけた野菜と肉を中心とした朝食の皿を、テオは喜々として平らげていた。そんな彼を、優しい笑みを浮かべたコンラートが見つめている。まるで子供を見守る母親のようなまなざしだったが、幸いテオは食事に夢中で気づいていないようだった。


 そうしてにぎやかな朝食が終わった後、私は猟犬を連れて森に入った。テオはコンラートと共に家に残っている。彼らを二人きりにしておくことに少し不安はあったけれど、こうなったら心配しても仕方がない。運を天に任せるしかないだろう。


 けれど狩りの間も二人のことが気になってしまって、どうにも集中できなかった。そのせいで、大きな鹿をうっかり逃がしてしまった。あれをしとめることができれば、いい稼ぎになっただろうに。


 それでも前に仕掛けておいた罠のおかげで、どうにか小ぶりのイノシシを狩ることができた。いつものように手早く血抜きをして大まかに解体し、肉と毛皮をかついで家に戻る。


 狩りの後は全身返り血や泥で汚れているので、近くの小川に寄り道して、自分と肉、それと毛皮を洗うことにしている。まだ水は冷たいけれど、汚れを家の中に持ち込みたくはないのでしっかりと水を浴びた。


 毛皮は物置小屋にしまって、荷物と肉を抱えて家に急ぐ。猟犬たちを従えて。


 かたかたと歯を鳴らしながら玄関の扉を叩くと、すぐにコンラートが顔を出した。そのまま肩を抱いて、暖炉の前まで連れていってくれた。


「お帰り、ゾフィー」


「ただいま、コンラート。今日はイノシシがとれた」


 コンラートは私から肉を受け取り台所に運び込むと、すぐに戻ってきた。暖炉の前に腰を下ろすと、彼もかがみこんで私をじっと見た。


「今日も、どこも怪我はしていないようだな。良かった」


「うん。ありがとう」


「礼など不要だ、ゾフィー。私が君の身を案じるのは当然のことなのだから。むしろ、礼を言わせてくれ。今日も無事に戻ってきてくれて、ありがとう」


 彼は私が狩りに出た日は、いつもこうやって私の無事を確かめている。自分の身を案じてくれている人がいる嬉しさに、つい頬がゆるむ。


 そんなコンラートの肩の向こうに、テオの姿が見えている。彼は宣告通り、じっくりとコンラートのことを観察しているようだった。床に座ったまま、そちらに呼びかける。


「テオ、そっちは何もなかった?」


「ああ。コンラートが一日中家事をしているのを、ずっと見てたよ。ものすごく張り切ってたな」


 感心しつつも難しい顔になったテオにうなずきながら、辺りをぐるりと見渡してみた。


 家の中はいつも以上に片付いていた。コンラートは相当気合を入れていたようで、気のせいか床や机が輝いて見える。どうやら、家のあちこちを全力で磨きまくったらしい。


「……家の中が綺麗すぎて、落ち着かない」


「どうしたのだ、ゾフィー。きっと君が喜んでくれると思って掃除に精を出したのだが、駄目だったろうか」


 コンラートはそう言って、悲しげに眉を下げる。その表情のあまりの変わりっぷりに、テオはぽかんとしていた。小さく首を横に振って、説明を足す。


「駄目じゃない。私は水浴びしかしてないから、まだ獣の脂が服や肌についてるの。へたに動いたら、家の中を汚しそうで怖い。……着替えてくる」


「ならばその前に、湯で汚れを落とすといい。少し待っていてくれ」


 そう言うとすぐに、コンラートは台所に向かっていった。彼はこうやって、いつもかいがいしく私の世話を焼いてくれるのだ。なんというか、まめな奥さんを持った夫の気分だ。


 暖炉の前の床に座って待っていると、じきにコンラートが湯を張った桶と数枚の布巾を手にして戻ってきた。湯に浸してしぼった布巾を受け取り、体や服に残った獣の脂をぬぐっていく。


「ゾフィー、髪も汚れているな。私に任せてくれ」


 言うが早いか、コンラートは別の布巾を手にして、私の髪を丁寧に拭き始めた。とても慎重に、まるで壊れ物を扱っているかのような手つきで。


「もっと強くこすれば、すぐに落ちると思う」


「それでは君の髪が傷んでしまうだろう。私は君の美しい髪も好きなんだ。夜空を思わせる、つややかな美しい黒髪が」


「別に美しくない。あなたの金髪の方がずっと綺麗」


 今まで口にしたことはなかったけれど、私はコンラートの淡い金髪をとても気に入っていたのだ。子供の頃に見た旅芸人の劇、その中に出てきた王子様が、ちょうどあんな金の髪をしていたのだ。


 私の口から褒め言葉を聞けたのが嬉しかったのか、コンラートは色白の肌をほんのり桜色に染めて、はにかむように笑った。


「……君にそう言われると、とても心が温かくなるな。でも、やはり私には君の鮮やかな黒髪が一番美しく思える」


 コンラートが私の髪を一房手に取り、そっと唇を寄せた。たったそれだけのことで、私の心臓がものすごい勢いで打ち始める。


 ちょうどその時、テオの声が割って入った。


「おーいお前たち、俺がいること忘れてないか? あとコンラート、あんまりゾフィーになれなれしく触るな。元は貴族でも、今は平民なんだろう、お前?」


「ああ、そうだ。今の私はまごうことなき平民だ。そのことに誇りを持っているよ」


「だったらもうちょっと、平民らしくふるまえよ。貴族はどうなのか知らないけどさ、俺たち平民は、嫁入り前の女にべたべた触るなんてしないぞ。はしたないとか、ふしだらとか言われるしな」


 どこかあきれたようなテオの声と、いつも通り堂々としたコンラートの声が行きかう中、私はただ黙ってじっと固まっていた。せっせと私の髪をきれいにしているコンラートの手の感触に、こっそりと頬を赤らめたまま。




 それから三人一緒に夕食をとり、のんびりと食後のお茶を飲む。和やかな空気が流れたその時、テオが重々しく言い放った。


「試練の内容、決まったぞ」


 その言葉に、私とコンラートが同時にテオを見た。コンラートは水色の目を期待に輝かせている。


「今日一日、俺はお前をじっくりと観察させてもらった」


 テオがどことなく緊張しながら、それでも精いっぱいおごそかに言う。


「お前の家事の腕前については褒めてやる。料理に掃除、畑の世話、ゾフィーの手伝い……まあ、及第点と言えなくもない」


「お褒めいただき、光栄だ。毎日頑張った成果を認められるのは、嬉しいものだな」


「しかし、だ!」


 珍しく褒められたことにコンラートが嬉しそうに微笑む。テオもつられて笑みを浮かべそうになったが、すぐに顔を引き締めた。


「裏を返せば、お前はごく普通の女たちと同じような働きしかしていないということだ。ゾフィーを安心して任せるには、まだまだ足りない」


 コンラートも今回ばかりは口をはさまなかった。真剣な顔で固唾を呑み、テオの次の言葉を待っている。


 テオは私たちの顔を順に見ると、もったいぶりながら口を開いた。


「俺はそもそも、ゾフィーが一人で狩人なんて危険な仕事をしていること自体、反対だったんだ。そんな仕事、いつまでも続けられるものじゃない。ましてや、か弱い女の身で」


 彼はあくまでも、私のことを気遣ってくれている。でも、ちょっと引っかかるものを感じずにはいられなかった。


「私、別にか弱くない。なんならあなたたち二人より強いと思う」


 けれどこの一点だけは譲れなかったので、話の腰を折る覚悟で口をはさんだ。すぐにコンラートが食いついてくる。


「そうだな、君はとても強い。森の中で熊を追い払った、あの時の君の背中は、今でもよく覚えているよ」


「あの時は必死だったから。猟犬たちもいなかったし」


「今だから白状するが、私はあの時君の背中に見とれていたんだ」


「……あの状況でそんな余裕があったなんて、ある意味大物ね」


「おいお前ら、その話は後にしといてくれ。というか、後でじっくり聞かせろ」


 あっという間に置いていかれる形になったテオが、疲れた様子で私たちの雑談をさえぎった。


「ああもう、話が進まないったらありゃしねえ……まあいい、仕切り直すぞ。それで、試練の内容だが」


 私とコンラートは弾かれたようにテオを見た。彼は大きく一つ息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。

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