その一言が決定打。
まだ二曲しか踊っていないのに少し疲れてしまった。
軽食に目を向けるが、どうもそんな気分になれない。私は先程ユリウス様に手渡されたものと同じノンアルコールのシャンパンを手に取ってテラスに出た。いくつか並べられているベンチの一つに腰掛ける。
もうすぐ春だというのに風はまるで冬のように冷たくて、むき出しになった二の腕がぶるりと震えた。けれど同時にその冷たさは頭を冷やすのに丁度よかった。
「ルドウィジア嬢」
「シュリーレン様。いかがなさったのですか」
「いや、君が見えたものだからつい声をかけてしまった」
その表情は逆光でよく見えない。
「まあ、お気遣いありがとうございます。情けないことに少し疲れてしまって」
「アルベールと――いや、なんでもない。いくら完璧でも初めてのパーティーだ、疲れてしまって当然だよ」
おそらく気付いているのであろうシュリーレン様は、何も気付いていないというように流してくれた。そしてそれは実際最善だった。それに、深入りさせるつもりもない。
シュリーレン様は私の隣のベンチに腰掛けた。婚約者でない男女として適切な距離だ。
「シュリーレン様は踊らなくてよろしいのですか?お誘いも多いでしょうに」
「第二や第三の低位貴族の女性たちばかりだし、しつこいんだ。二曲目のときにきちんと断ったというのに三曲目になるとまた誘ってくるんだよ。一人になりたいからって振り切ってきた」
シュリーレン様がくくっと喉の奥で笑う。私はそれに苦笑を返した。
「シュリーレン様のような方と踊る機会は滅多にありませんから。出席者の少ない卒業パーティーくらいでしかお誘いもできないのですよ」
「そうかもしれないけれどね?全員にサービスをしていたらいくら俺でも疲労困憊だ」
「確かに一人と踊れば私も私もとなるでしょうね」
女性達がシュリーレン様に群がる光景が目に浮かんで私はくすりと笑った。沈み切っていた気分が少しばかり浮上する。
「そうだろう?だが君も同じだろうね。さてそろそろ四曲目が始まりそうだ。私と踊っていただけませんか?」
断られるはずもないとでも言いそうな自信満々の表情で手を差し出される。
「まさか本当にお喋りのためだけに来たとでも?」
「二曲のダンスで疲れている私を癒すために来ていただいたのだと思っておりました」
揶揄うように言われて私も挑戦的に返す。やんわりとした断りの言葉を並べつつ私は彼の手をとった。
楽しませてくれたのだから、ダンスの一つくらいは吝かではない。
「君を四曲目に誘うために癒して差し上げたんだ」
「まあ!悪いお方ですこと!」
尊大な口調で言われて驚いたような顔を作ってみせると、シュリーレン様はにやりと笑った。
ボーイにグラスを返すのと同時に四曲目が始まった。ゆったりとフロアの中央へ向かい、自然な流れでステップを始める。
流石公爵令息と言うべきか、ステップの始まりは合図なしでもぴったりと揃った。
「流石というべきか。いやあまさかアンスリア様以外にステップを揃えてくる令嬢がいるとは思わなかったよ」
「またそんなことを仰って。シュリーレン様が揃えて下さったのではありませんか」
わざとらしく驚いたシュリーレン様に呆れてみせると、シュリーレン様は少し口角を上げた。
「そうするつもりだったんだけどね、その必要はなかったみたいだ。僕がリードするまでもなくベストなタイミングでステップを始めるものだから驚いてしまった」
「そうですか?ありがとうございます」
それは純粋に感心しているようで、私は素直に褒め言葉として受け取っておいた。それでいいというようにシュリーレン様は満足気に頷いた。
「そういえばスイーツは食べたかい?」
「いいえ、食べておりませんけれど……」
「それは勿体ない。是非食べた方がいい、とても美味しいんだ。王城のパティシエが作っているんだが、美味しいと思っていた学院のスイーツが二流に思えてしまうほどだ」
「あら、シュリーレン様は女性方とお話されていたのではないのですか?」
「断ってスイーツを食べていたらまた話しかけてきたんだよ。食べるのを優先してしまうのも仕方ないと思わない?それでも懲りずに話しかけてくるんだよ!全く、そのくらいは察してほしいよね」
シュリーレン様が億劫だと溜め息をつく。
話しかけているのに食べるのを優先するというのはつまり話しかけるなということである。ただこの場合、察していないのではなく察しつつも話しかけているのではなかろうか。
「強引に行けば応えてくれると思っているのではなくて?」
「確かにジークには集まっていなかったな」
ジークフリート・フォン・キルケニー辺境伯令息。第一クラスの男性の中で家の爵位が最も下であった方だ。国境を守る辺境伯家の出だからか、剣がクラスで一番強かった。
彼は非常に強面で、令嬢が強引に迫るには難易度の高い方である。
「話しかけるなというオーラがこちらにまで伝わってきそうですもの。キルケニー様を知らない方はお誘いすることは難しいでしょうね」
「ははっ、その通りだ。俺もあれくらいのオーラを出せばいいのか」
「あら、できますの?あのくらいのレベルは強面ありきですわよ」
「なら俺には無理だな。次もまた同じことになるのか……」
シュリーレン様はそう言いながら期待するようにこちらを見てくる。その様子が可笑しくて、私はついつい応えてしまっていた。
「ふふ。シュリーレン様はスイーツを食べられたのですよね。おすすめを教えていただきたいのですが」
「仕方ない、教えてやろう」
「ありがとうございます。シュリーレン様を独り占めできるなんて夢のようですわ」
再びの尊大な口調とは裏腹の、感謝を伝えてくる眼差し。『独り占め』という言葉に込めた、女性除けになってあげるという意味をきちんと理解してくれたようだ。
ダンスが終わってシュリーレン様に教えてもらったスイーツは確かにとても美味しかった。
「本当に、王城のパティシエというのは格が違うのですね」
「そうだろう。しかし一度これを食べてしまえば他のスイーツを食べられなくなってしまいそうだ」
「私の侍女が言うには、下町には独特で美味しいスイーツがあるそうですわ」
「何だと!?それは是非行かなければならないな」
シュリーレン様が大仰に言うので私は笑ってしまった。
案内してあげるとは言えないのが残念だった。
「シュリーレン様はスイーツがお好きなのですね」
「ああ、男にしては少し珍しいかもしれないが。それより、ランスロットと呼んでくれないか」
「光栄です、ランスロット様。では私のこともカルメリーナと呼んでくださいませ」
貴族らしいけれど楽しい言葉遊びの応酬と、軽やかなやり取り。
私の心はすっかり羽根のように軽くなっていた。
ランスロットに1話も使ってしまった……