芽吹き
結婚して二年。
私とランスは初めて避妊なしの夜を過ごした。
ランスは子供ができることで二人の時間が減ることを嫌がり、しばらくは子供を作らないことになったのだが、リア様と殿下の間に子供が生まれ、成長をずっと側で見ているうちに子供が欲しくなったらしい。
「ねえリーナ……俺、子供が欲しくなった。子供って、リーナとの愛の結晶なんだよね。ヴァルとアンスリア様の子供ですら可愛いんだから、俺とリーナの子はきっとすごくすごく可愛いと思うんだ。二人きりがいいって言い出したのは俺だけど……」
寝室で迷いながら言うランスが可愛い。
そもそも私は子供は欲しくない訳ではないのだ。単にランスの希望を聞いただけ。だからランスが求めるならば、子供を作ることに関して否やはない。
「うん。分かった。子供作ろうか」
にっこり笑って言うと、ランスは僅かに目を瞠り、嬉しそうに笑った。
半年後。
領地で大規模な不作が起こった影響で、お義母様にシュリーレン公爵夫人教育の実戦と称して駆り出されて処置に追われていたからか、体調が優れない日々が続いていた。
お義母様とランスには勿論さっさと気付かれてしまい、休養を命じられたのだが、力になりたかったのとお義母様に認められたいという気持ちがあったために無理を言って手伝わせてもらっていたのだ。
ようやくある程度の後処理が終わったという頃、その日は朝から少し吐き気があった。朝食もあまり食べられず、吐き気に気を取られて教育にも集中できなかった。お義母様は流石に見ていられなかったのか、私は強制的に寝室に寝かされてしまった。
昼食は果物しか食べられず、時間が経つ程に吐き気が強くなってゆく。夜はプリンを一口食べるのがせいぜいだった。湯浴みもできず、強い眠気に襲われてランスを待たずに眠りに落ちた。
起き上がれば吐いてしまいそうだったが、深夜にお手洗いに行きたくなり、起き上がるしかなくなった。息をゆっくりと大きく吐いて何とか吐き気をやり過ごす。
「リーナ?」
小声でランスが私を呼んだ。
「ぁ……起こしちゃった、ごめん」
「いや。どうしたの、水?」
「ううん、……お手洗いに」
「分かった」
ランスはベッドを揺らさないようにそっと降りると、私をゆっくりと持ち上げて横抱きにした。
「ランス」
「歩くのしんどいでしょ」
ランスはできる限り私を揺らさないように慎重に、それでいて速く歩いていく。
確かに歩くのはしんどいのでありがたく甘えておくことにした。
「俺は少し離れて待ってるから。出てきたら迎えに行くね。急がなくていいから」
「ありがとう」
ランスは微笑んで私を下ろすと、言葉通り少し離れた。
お手洗いを済ませて手を洗っているとき、私はとうとう限界を迎えてしまった。要するに、戻したのである。
殆ど胃にものが入っていなかったのが幸いだった。
「リーナ!?」
ランスが駆け寄ってきて優しく背中をさする。心地良かったが、心地良すぎてもう一度戻してしまう。
見られたくなかったと思う余裕もなかった。
ランスは泣きそうな顔できゅっと眉を寄せる。
「もう大丈夫……」
戻したものを流して口をすすぐ。ランスはさっきよりも優しく、壊れ物を扱うかのように私を抱き上げた。今回は横抱きにされなかったので、ランスの肩口に顔を埋める。横抱きよりこちらの方が楽だ。
寝室に戻って私をベッドに座らせ、グラスに水を注いで手渡してくれる。こういうところは本当に気が利く。
「ありがとう」
グラスを返すとランスは私を寝かせた。
「うん。明日は好きなだけ寝ていいから。母上にも言っとく」
「ありがとう」
戻したことで吐き気が少しましになり、襲ってきた眠気に逆らわずに目を閉じた。
翌朝、ランスが起き上がった気配で目が覚める。
目を開けた私に気付いてランスは顔を真っ青にした。
「起こすつもりじゃなかった、ごめん。リーナはそのまま寝てて」
「うん……」
と言いつつ眠くならない。今朝は吐き気がかなりましだったため、昨日ほとんど食べていない分空腹を感じる。
「今日は大分ましなの。できれば湯浴みと、何か食べたいわ」
「湯浴みは駄目だ!侍女に体を拭いてもらうように頼むから」
一応言ってはみたものの湯浴みを許可してくれないことは目に見えていたため、素直に頷いておく。
「いい子。食べたいものはある?」
「何か甘いものが食べたいわ。うーん、プリンが欲しい。生クリームたっぷりの。甘いやつ」
口がやたら甘いものを求めている。
「分かった」
ランスが大仕事を任されたかのような真剣な表情で頷き、寝室を出て行った。
やはりお義母様とランスに従って休んでおけばよかったのだろうか……。
「リーナ。持って来たよ」
「ありがとう」
引くほど生クリームが載っている。下町のあの生クリームメインのカフェくらい。
スプーンを受け取ろうとすると、ランスがスプーンを手放さない。
「ランス」
「俺が食べさせてあげるから。ほら口開けて」
ランスは丁度一口で食べられる量をスプーンにとって差し出した。できれば動きたくない気分だったため、断らずに受け入れる。
「どう?」
「うん、美味しい、ありがとう」
「よかった。俺が味見したんだよ」
ランスが鼻を高くするので少し笑ってしまった。ランスがほっとしたように笑う。
全体的にいつもよりも甘めに味をつけられていて、美味しい。私の求めていたものとぴったり同じだった。
「俺今日は仕事休むから」
「私が体調崩してるから?」
「うん」
「駄目。ちゃんとお仕事行って来て」
「嫌だ」
「お仕事しない旦那様はいらないわ」
じっと潤んだ目で見られるが、絆されはしない。何とか説得してランスを送り出した。
見送りはできなかったけれど許して欲しい。ましとはいえまだベッドから出るには足りないのだ。
昼食にアイスクリームを所望したが、フェリに却下されてしまった。
「お体が冷えてしまいます。冷たいものは駄目です」
「なら生クリームサンドがいいわ。朝のものと同じ甘さの生クリームで」
「畏まりました。伝えて参ります」
希望が通ったようで、フェリは生クリームサンドを持って来た。生クリームだけを挟んだサンドイッチ。これがまた美味しいのだ。私はフルーツサンドよりも生クリームサンドの方が好きである。
昼食を終えた少し後で、馬車の音がした。今日は来客の予定はなかった筈だが、誰が来たのだろうか。疑問に思っていると、しばらくしてノックの音と共にランスがドアの隙間から顔を覗かせた。
「ああ、起きているね、丁度よかった」
「仕事は?」
「俺が集中できなさすぎてヴァルに帰されたんだよ。それで、ヴァルが王族付きの医者を一人貸してくれたんだ」
「まあ!後でお礼しないといけないわ」
「それは俺に任せておいてくれ。とにかく診て貰おう」
診察した医師は微笑んで一言告げた。
「おめでたです」
私もランスもぴたりと動きを止める。
じわじわと歓喜が湧き上がってきた。
「ああ、リーナ!嬉しい!」
破顔したランスがそっと私を抱き締めた。私も強くランスを抱き締め返す。
生理が来なかったり微熱が続いたりしていたのは疲れからかと思っていたが、妊娠したからだったようだ。昨日から続く吐き気は悪阻だろう。
全然実感はわかないけれど、私のお腹には命が宿っているのだ。
私はそっとお腹を撫でた。
⁑*⁑*⁑
「無理ぃ!もう、っ、無理!死ぬぅ!」
「息して!呼吸!ひっひっふー、ひっひっふー」
「ひっひっふー、あああ無理ぃ!裂ける!」
「頭出てきましたよ!もう少しです!頑張って!」
めっちゃ痛い。
覚悟はしていたけれど、予想より遥かに痛い。死にそう。
だって考えたらおかしいよね?赤ちゃんのサイズおかしくない?あんな大きいのが出てきたらそりゃ死ぬほど痛いよね。
いっそ気を失ってしまいたい。でも痛すぎて気絶できない。
そして痛みとひたすら闘うこと七時間。
「おめでとうございます!元気な女の子ですよ!」
ばたんとドアが開いてばたばたとランスが駆け寄る。
ランスは生まれた赤ちゃんを見て感動していたが、私はげっそりしていてそれどころじゃない。
『生まれた子供を見たら辛さなんて吹き飛んだ。』
昔読んだ恋愛小説にそんな文章があったが、そんなの嘘だ。あの辛さが吹き飛ぶ?そんな訳がない。いや人によるのだと思う、辛さが吹き飛ぶ人もいるのだろう。けれど残念ながら私は違う。子供を見ても何とも思わないというか、無である。
だってめっちゃ痛かったんだもん!っていうか今もまだ痛い。
それに赤ちゃん可愛くないし……。しわっしわのべったべただからむしろ触りたくない。なんていうか、べたってしそう。早く洗ってくれ。
私って冷たい?母親失格?でもめっちゃ痛かったし!
七時間は世間的に見ても長い訳ではないらしい。一日以上かかる人も普通にいるらしいし。けれど長いと私は思う。七時間。ランスが働いている時間よりは断然短いとはいえ、あの痛みに七時間も耐えたのかと思うと自分を尊敬する。
「綺麗になりましたよー」
「抱っこしても!?」
「どうぞー。気を付けて下さいね、こう、そうじゃなくて、ああそうですそんな感じです」
あっちでランスが赤ちゃんを抱っこしている。
なんだかお腹が軽い。突然軽くなるとなんだか不安になる。
不安になってるのにランスは私を放置している。イラっとした。
「ランス、私は?放置なの?」
自分でも驚くほど声の温度が低かった。
ランスがばっとこっちを向く。
「はっ!そういう訳じゃないんだ!」
「ああっ気を付けて!」
ランスは赤ちゃんを抱っこしながらこちらに駆け寄ってきた。助産師さんが慌てている。
「リーナ、ありがとう。こんな可愛い娘を産んでくれて本当にありがとう」
私はランスが抱いている子供を見つめた。泣き疲れてすやすやと眠っている。可愛くない。
そっとその小さな手をつついてみると、ぎゅっと指を掴まれた。小さな小さな手で私の指を強く握っている。眠っているのに。
私の子。私の娘。
全然可愛くないのに、とても愛しい。
あの痛みが、辛さが吹き飛ぶことはないけれど、それがなければこの子が生まれてこなかったのだと考えると許せる気がした。
気がしただけで許せはしない。
この世界の妊娠出産はこんな感じ。
出産のリアルを知って衝動的に書きました。
異議は受け付けません。笑




