神は、時に酷く残酷になる。
彼は医務室にいることになった。いつ意識を取り戻すか分からないし、そして万が一容体の急変があったときのために、教諭が一人付きっ切りになるのだという。
だが面会謝絶だそうだ。そのためお見舞いに行くこともできない。私には彼が戻ってきたときのために毎日の授業のノートを彼の分もとっておくくらいしかできることがなかった。
シュリーレン様は自分を責めるなと言ってくれた。
「あいつが勝手にルドウィジア嬢を助けただけだ。ルドウィジア嬢はあいつに助けを求めたわけじゃないだろう?ルドウィジア嬢を守ってあいつが怪我をしたのは事実だが、ルドウィジア嬢に責任は一切ない」
「ですが」
「君はむしろ被害者だ。あいつが手出ししたせいで君は自責の念に駆られている。あいつを責めておけ」
「ユーステス様を責めることはできませんが、そうですね。必要以上に自分を責めないように致します」
「必要以上に、じゃなくて全く、だ」
断固とした口調のシュリーレン様に、私は頷くしかなかった。
彼が意識を取り戻したのは丁度一週間後のことだった。
「ユーステスさんが意識を取り戻しました。後遺症は特にないようです。完治はしていないのでもう少し安静が必要ですが、今月中には出席できるようになるとのことです。第一クラスに限って面会謝絶も取り消されたので、放課後お見舞いに行っても構いませんが、くれぐれも大勢で押しかけないように。一人ずつが望ましいです」
朝のホームルームで担任のハイアット先生が頬を僅かに緩めて言う。
クラスに安堵の空気が流れた。
「以上でホームルームを終わります」
「起立、礼」
ハイアット先生が機嫌よく教室を出ていき、体の力が抜けた私は椅子にくたりと座り込んだ。
「リーナ」
「リーシャ……ユーステス様、無事でよかった……」
「うん」
よく見るとリーシャの瞳も少し潤んでいるように見える。私達はぎゅっと抱き締め合った。
「リーナ様、リーシャ様。よかったですわね」
「「アンスリア様……!」」
学院は今回の事故の経緯は公表していない。しかしその場で一部始終を目撃していた生徒達全員に口止めをすることもできず、そのとき何があったのかはすぐに広まった。
トルストイ嬢はいじめられてこそいないものの孤立気味であるそうだ。小さな社交界ともいえるこの学院に、故意でなくとも第一クラスの侯爵令嬢に危害を負わせかけ、結果的に第一クラスの公爵令息に怪我をさせてしまった彼女の味方をする者はほとんどいない。誰だって公爵家と侯爵家に睨まれたくはないのだ。さらにアンスリア様も私達を気に掛けて下さっているから余計に。
「お見舞いに行くのでしょう?」
「はい。お休みされてた間のノートも渡しておきたいですし」
「そうね。シュリーレン様と話し合って、氏名順でお見舞いに行くことになっているのだけれど、当事者である貴女達を優先させることにもなっているの。ノートを取っているのがリーナ様だからリーナ様を先にと思っているのだけれど、どうかしら?」
「そうですわね、私もそれがいいと思いますわ」
リーシャが賛成してくれたため、有難く最初のお見舞いの権利を受け取っておく。
恋人として、婚約者として、できるだけ早く彼のお見舞いに向かいたかった。
⁑*⁑*⁑
放課後、私は全力で早歩きをしていた。廊下を走るのは校則で禁止されているし、淑女が走るのはご法度だ。ただきちんとした淑女教育を受けた者は、速足の練習もさせられる。早歩きでも軽く駆けているくらいのスピードが出せるのだ。
息を整えて医務室に入る。
「失礼します」
「ああ、ルドウィジアさん。お見舞いですか?」
「はい」
「こちらへ」
教諭が医務室の奥のドアを開ける。重病の生徒や教師のための個室なのだという。
「聞き耳立てたりしないから。ごゆっくり」
私が入ると教諭は入らずにドアを閉めた。
彼は起き上がって教科書を読んでいたようだ。
「アル」
左腕が骨折しているのかギプスで固定されていたが、顔色もよく元気そうに見えた。
ぼろぼろと涙が零れた。
今すぐにでも抱きつきたい気持ちだったが流石にそれは控える。
「ルドウィジア嬢」
「アル、助けてくれて本当にありがとう。私のせいでアルに何かあったらって思うと……」
「実はそのときのことをよく覚えていないんだ。ルドウィジア嬢が悪いわけじゃないんだから気にしないで」
「そう言ってもらえると助かる。それからね、アルが休んでたときのノートを取っておいたから渡しておくね。でも呼び方とか、二人きりなんだからいいじゃない」
誰もいなくても学院での呼び方をする彼は相変わらず生真面目だが、誰の目も耳もない場所でくらい構わないではないか。それに男女間での愛称呼びやタメ口が禁止されているわけでもないのだ。
しかし私が促すと彼は戸惑ったような表情をし、苦笑いを浮かべた。
「僕は君とそこまで仲良くなかったよね?」
それは遠回しな拒否。だがその言葉の意味がさっぱり分からなかった。
「学院ではそういう風にしているけれど、二人きりなのだから元のような感じでもいいと思うの!」
少し口を尖らせると、彼は苦笑いを消して眉間に皺を寄せる。
「元?何を言ってるんだ、僕と君は学院で初めて会ったじゃないか」
「もうっ!クラスで順番こなんだから私はもう来れないんだよ!冗談言ってないで折角二人になれたんだから久しぶりに話したいのよ」
わかったよ、ごめん。
笑顔とともにそんな返事が返ってくるだろうと思った。
「冗談?確かに僕は君を助けたのだろうが、勘違いしてもらっては困る。そもそも学院は恋愛禁止だし、卒業後も君とどうにかなるつもりはない」
厳しい表情できっぱりと言われ、私は心底混乱した。彼がこんな無駄な冗談を言うとは思えなかったし、そんな顔を向けられたこともなかったから。
「冗談はもう十分よ。卒業後に結婚するの楽しみなんだから」
「何度も言わせるな。君と結婚するつもりはない。君を助けたことを後悔はしていないが、こんな勘違いをされるとは思わなかった」
いい加減腹が立った。冗談にしては酷すぎる。
「いい加減にして。限度ってものがあるのよ。それとも本気で婚約を解消するつもりなの?」
「婚約?公爵家の僕と子爵家の君が?あり得ない」
「ねえ、本当に怒るわよ」
やり過ぎた、ごめん。流石にそう言ってくるだろうと思ったのに、彼は戸惑ったような表情をした。
「確かに君は第一クラスだ。もし婚約があるとすれば卒業後だ。入学前に婚約をしている筈がないだろう?」
「7歳の頃から婚約してるでしょ」
「7歳?僕は君との婚約は聞かされていないが」
その表情は本気にしか見えなかった。どんな顔をすればいいのか分からなくなって、拗ねた顔を作った。
「幼馴染じゃない。学院は恋愛禁止だからただの同級生として振舞ってるけれど、元々恋人だったでしょう。距離があっても気持ちは離れないって言ったの貴方じゃないの。大体私は貴方と結婚するためにこんなに勉強して頑張ってるんだから!」
「すまない。それは事実なのか?僕にはその記憶が一切ないんだが」