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もう一つの道で、通らない道。

「ご無沙汰しております、ランスロット、カルメリーナ嬢――いえ、カルメリーナ夫人。ご結婚おめでとうございます」

「ありがとう。久しぶりだな、ユリウス」

「ありがとうございます。ご無沙汰しております、ユリウス様」


 最近姿を見ていなかったユリウス様は、今日は前髪を上げていた。


「幸せそうで良かったです」

「ええ、とても。ところで今日は髪を上げていらっしゃるのですね。とてもお似合いです」

「服装ではなく髪型にコメントをするところがカルメリーナ夫人らしいですね。心機一転ということで、初めて上げてみたのです。似合っているなら良かった」


 ユリウス様がにこりと微笑む。私は小さく首を傾げた。


「心機一転ですか?」

「はい。新しい自分になろうと思いまして」


 なんだか隣からぞわぞわとした感覚が、と思ってランスを見上げると、獲物を見つけた鷹より鋭い目でユリウス様を見ていた。

 びくりと肩を揺らした私に気付いたようで、その目元がふわっと和らぐ。


「ユリウス、リーナは俺の妻だからな」

「そうだね、おめでとう」


 不貞腐れたように言うランスにユリウス様はくすくすと笑った。

 私?妻という響きが素晴らしくてうっとりしていましたとも。


「俺が言いたいことくらい分かっているだろう」

「何のことかな?」


 わざとらしくとぼけるユリウス様はランスの言葉の意味が分かっているのだろう。しかし私にはさっぱり分からなかった。

 目でランスに説明を求めるが、にっこり笑ってはぐらかされてしまう。


「俺が気付いていないとでも?リーナが悩んだのもユリウス、お前なんじゃないのか?」

「ふむ。私にはよく分からないが、私のことで悩んでいただけるならありがたいね」


 ふっと思い至る。ランスは恐らく私の縁談の話をしているのだろう。ユリウス様もそれに気付きつつひらりひらりと躱している。

 しかし私は少し焦っていた。誰が聞いているとも分からないのに、この場でそれを話す必要があるのか。


「ランス、ユリウス様はそういうのじゃなかったのよ」

「そう?まあリーナがそう言うのならそうなんだろうね」


 いやこれは絶対信じてない。


「愛してる人と結婚する方がいいってユリウス様も仰ったのよ?」

「正論だね。ただそれは『そういうのじゃない』理由にはならないけどね」


 ほらやっぱり!

 私達のやり取りを見てユリウス様は笑っている。


「そんなに心配しなくても奪ったりしないよ。余程のことがなければね」

「ユリウス様!」

「ユリウスにとっての『余程』がどの程度なのか知りたいところではあるが」

「ちょっとランス!」

「何故?生涯このままである自信がないと?」

「誰もそんなことは言っていない」


 私の抗議は完全にスルーされてしまった。

 何故火花が散っているのか。ユリウス様はただ私に縁談を持って来ただけで、ランスと違って私を好きだった訳でもないというのに。

 ユリウス様も不必要に挑発しないで欲しい。ランスもわざわざそれに応える必要はないのだ。何故いつものように軽く流してくれないのだろう。


「では私の『余程』を知らずとも問題ないのでは?」

「ああそうだな。少し気になっただけだ」


 ユリウス様が揶揄う所為で、ランスがユリウス様を威嚇してしまっている。

 仲裁すべきなのだろうが、あまりに馬鹿らしい会話であるためにそんな気が起きない。


「カルメリーナ夫人。この男が貴女を泣かせたり不安にさせたりしたら、さっさと離婚して私と再婚して下さいね」

「おいユリウス」

「他の女性と結婚するつもりはありませんし、いつでも歓迎ですので」

「ユリウス。リーナがお前のところに行くことは今後一切ないからな」

「ありがとうございます、ユリウス様。ですが私はランスを信じておりますので」


 私にできるのは平然と笑うことだけだ。内心は顔に出さないのが淑女というものだ。


「ランスロット、彼女の信頼にきちんと応えてくれよ。いや応えなくても私としては全く構わないが」

「当然だ、俺がリーナを手放すことはあり得ない」

「そうか」


 ユリウス様は適当に相槌を打って私に目を向ける。隣から冷気が漂ってくるのであんまりそういうことをしないで欲しい。


「カルメリーナ夫人。一つお願いがあるのですが」

「私に叶えられることなら」

「貴女に振られてしまった哀れな私に、貴女をリーナと呼ぶ権利を頂けませんか?」


 振られたとは大袈裟な。貴族が婚約を断るのはよくあることだというのに。

 しかし私は少し悩む。

 本来ならば夫を持つ身で簡単に愛称呼びを許すことはできない。では何故悩んでいるのかというと、彼は例外だからだ。学院の卒業パーティーでペアだった男女に限っては、友人として親しくなることを許される風習がある。正直謎すぎる風習なのだが、その風習がある以上、愛称や呼び捨ても許されるのである。よって簡単に断ることもできない。


「駄目だ」


 考えているとランスが勝手にぱしゃりと断ってしまった。ユリウス様は不満そうにランスを見る。


「私はカルメリーナ夫人に訊いているんだ。貴方の許可を得る必要はない」

「ユリウス様。やはり愛称は恋人にしか許したくないのです」

「けれどアルベールは貴女をリーナと呼んでいるのでは?」

「彼は幼馴染なので」


 うーん、とユリウス様が考え込む。カルメリーナ夫人じゃ駄目なのだろうか。意味が分からない。


「ではカルメリーナと呼び捨てにすることは?折角卒業パーティーでペアになれたのに、カルメリーナ夫人では特別感がなさすぎます」

「……では、それくらいなら」


 卒業パーティーを持ち出されてしまえば、このくらいの妥協は許さざるを得なくなってしまう。

 それをランスも分かっているのか、不機嫌そうにしながらも何も言わなかった。


「良かった!ならカルメリーナ、私のこともユーリと呼んで頂きたいのですが」

「駄目だ」


 またランスが勝手に断ってしまう。だが確かに相手の呼び名は呼応していなければならないだろう。


「私は愛称呼びを断っておりますので、それは……」

「ではユリウスと呼び捨てにするのは?」

「……分かりました」


 ユリウス様が満足そうに頷いた。しかし何故そんなに呼び名にこだわるのだろうか。

 ランスへの挑発にしては少しやり過ぎな気がする。


「当てつけが過ぎるのではないか?」

「当てつけ?そんなつもりはないけれど。彼女に言った通りだよ、折角ペアになったからね」


 ランスはまだ信じていないらしい。ただユリウス様の言動だけ見てしまえば確かに信じられないと思う。


「貴女方とお話したいと思っていらっしゃる方も多そうですので、この辺で失礼致しますね。カルメリーナ、先程も言いましたが私はいつでも歓迎ですから」

「家出先に使わせて頂くかもしれません」

「勿論匿いますよ」


 くすくす笑い合う私達を見てランスがまた不機嫌そうにする。

 実際に家出先にすることはない。他の男性のところに逃げ込むなんて以ての外だ。あくまで冗談、或いは社交辞令だ。


「では失礼します」


 くるりとユリウス様――ユリウスが背を向ける。ねちっこくランスを攻撃していた割にはあっさり去っていくな、と嘆息する。


「リーナ、俺はリーナをずっと愛しているからな?」

「分かっているわ。私だってそうよ」


 ランスは私を見つめ、はぁと息を吐いた。


「何?」

「ちょっと疲れたんだ。一緒に外に出てくれないか?」

「ええ」


 外に出ると、冷たい風が肌を撫でる。寒くはなかった。

 ホールから見えないところのベンチの前まで来て、そこに座ろうとしたのだが、ランスがそれを許さなかった。

 ランスが私の顎を持ち上げ、噛みつくように唇を合わせてきたからである。


「ん、んっ!」


 ランスの腕を叩いて抗議すると、ランスは無理矢理舌を押し込んで私の舌に絡めてきた。

 私は最早反射で応えるようになってしまっていた。

 すっとランスの手が私の体を撫でる。その手が胸に差し掛かったところで、私は思い切りランスを突き飛ばした。


「っごめん!」

「そういうのは夜まで待って。あと数時間じゃない、そんなに待ちきれないの?」

「待ちきれない!それにユリウスが変なこと言うから」

「ユリウスは何も言ってないじゃない」

「嫉妬したんだよ悪いか!俺だってリーナとのペアが良かったのに」


 ランスは口を尖らせるが、私は同意できなかった。


「私もそうだけど、でも卒業パーティーは一番最初の社交なんだよ。練習なんだよ。だからランスとじゃ駄目なの」

「分かってるけど嫌なんだ。俺以外の男にエスコートされてるのも見たくないし、ダンスなんて以ての外だ。しかもよりによってユリウスだ!」

「ユリウスはそういうのじゃないってば」

「……リーナはそう思っておいて」


 多分何回訂正しても無駄だ、と思って私は説得を諦めた。

 ランスは微妙に不機嫌そうだったが、馬車の中でぎゅうぎゅうと私を抱き締めていたので問題はなさそうだ。

 馬車が向かうのはルドウィジア子爵家ではなくシュリーレン公爵家だ。

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